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その伝送可能距離/鍵生成レートは50 km光ファイバーで1 Mbps[22]などシビアな制限が課されており、技術としての適用範囲にはいまだ課題が残っている。現在、量子ICT先端開発センターでは、上記に挙げたQKDが直面しているスループットの問題に対して、その相補的な技術として古典光空間通信における物理レイヤ暗号の研究を推し進めている。光空間通信は、狭い広がりのビームによる見通し通信で行われるため、盗聴者はビームの端などの不利な状況で盗聴を行わざるを得ない。したがって、盗聴者に漏洩し得る情報量の上界を実装上の見地から与えることができ、結果、物理レイヤ暗号の利用が期待できる。さらに、光空間通信自体の性質から、数Gbpsに迫る高速度かつ長距離間での秘匿通信の実現が期待でき、現状のQKDでは高速な鍵生成が困難である衛星通信や、安全性技術の必要性が叫ばれているドローン、各種IoT機器等への応用も期待できる。その一方で、確固とした安全性の証明が数学的及び物理学的見地から行われているQKDとは異なり、光空間通信における物理レイヤ暗号の安全性や漏洩している情報量の推定法については、いまだ決定的な議論が提出されていないのが現状である。実際に、豊富な理論的研究[23]–[28]に対して、実用的な装置構成や想定し得る攻撃に対する議論が十分になされた実用的な研究は我々が知る限り存在しない。以上の現状にかんがみ、我々は電気通信大学(UEC)と共同で、UECとNICTの2地点間を結ぶ光空間通信テストベッドを構築し、そこから得られたデータを基にそのような通信路の状態及び漏洩情報量を推定するといった通信路推定実験などの、実験的なアプローチから光空間通信における物理レイヤ暗号の実現に向けた研究に取り組んできた。本稿の目的は、物理レイヤ暗号という技術の基礎事項について概説し、その後我々が取り組んできた実験から得られた知見について概説することにある。まず、この後に続く2及び3にて、物理レイヤ暗号の代表的なモデルであるワイヤタップ通信路符号化と秘密鍵共有の原理について述べる。そして、4にてNICTが取り組んできた通信路推定実験について概説する。ワイヤタップ通信路符号化による秘匿通信2.1通信路符号化本節の目的は、物理レイヤ暗号の内で最も基本的なモデルであるワイヤタップ通信路符号化を概説することにあるが、それに先立ち通信路符号化について述べる。なお、本論を通して情報は0または1のビットで表現されているとし、情報量(長さ)の単位をビットと定める。送信者(アリス)が受信者(ボブ)に無線や光ファイバーといった通信路を通して通信を行う過程で、あるビットが別のビットに変化するといったエラーが生じると仮定する。アリスはボブに正しい情報を送るために対策を講じる必要がある。そこで、アリスは送りたいメッセージに対して誤り訂正のためにあえて冗長な情報を追加し、ボブがそれを手がかりとして元の情報を再生できるようにする。例えば、アリスが各ビットにそのコピーを2つ加えて送った(0→000または1→111)場合、3つの連続するビットのうちの1つが他のビットに変化したとしても、ボブは多数決的な判断に基づいてその誤りを訂正できる。このように、冗長情報を加える処理を通信路符号化と呼び、メッセージに冗長情報を加えたビット列を符号語と呼ぶ。また、ボブが受信したビット列からメッセージを再生する操作を復号と呼ぶ。直感的には、多くの冗長情報を加えるほど、復号に失敗する確率n を限りなく0に近づけることができるが、その反面、伝送効率が犠牲となる。そのため、誤りのない通信を実現可能な必要最低限の冗長情報の量を知ることはシステム設計上非常に重要である。そのようなモチベーションの下、Shannonは符号語の長さn に対するメッセージの長さk の比である符号化レートnkRB/ が、伝送を担う通信路ごとに定義される通信路容量C よりも小さい場合に、n を長くすることで復号失敗確率n を任意に小さくできることを示した。この主張は通信路符号化定理と呼ばれ、情報理論における最も基本的な問題設定の1つである。通信路容量C の具体的な評価のために、通信システムを特徴づける確率をいくつか定義する。アリスは、独立で同一な確率)(xPX に基づいてビットx を選択して伝送する。また、通信路におけるエラーの発生確率は、シンボルx が入力された場合にボブがシンボルy を得る条件付き確率(遷移確率))|(xyWB によってモデル化される。なお、ここでは定常無記憶な通信路を仮定する。以上の準備の下、アリスとボブの間で伝送可能な情報量を表す、相互情報量);(YXI を下記の式で計算できる。xyxBXBBXxyWxPxyWxyWxPYXI'2)'|()'()|(log)|()();( アリスはボブへとより多くの情報を伝送するために、入力確率)(xPX の最適化を図る。結果として、通信路容量C は下記の式で与えられる。);(max)(YXICxPX 228 情報通信研究機構研究報告 Vol. 63 No. 1 (2017)3 量子光ネットワーク技術
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