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第1期中期計画(2001~2005年度)研究室で最初に取り組んだのは、量子通信の基本原理、すなわち究極の通信効率を実現するための符号化技術の実証実験である。量子通信分野では1995年に大きな転機を迎えていた。すなわち、シューマッハーら米英の理論チームが量子通信の容量に関するホレボー上界予想に厳密な証明を与え、シャノン限界を超える通信の存在が証明された。しかし、具体的にどうすればシャノン限界を超え究極のホレボー限界へ近づけるのかは未解明で、存在定理にとどまっていた。我々の研究はそのエッセンスを抜きだし、実験可能なモデルへ具現化するという作業から始まった。1996年に箱根で開催された国際会議で著者は初めてホレボーと出会い会議後の1週間をともに過ごし、彼が容量定理を更に一般化してゆく様子を目の当たりにした。彼との議論の中で、著者もシャノン限界を超えるための仕組みに思い至る。その原理とは、復号過程で量子計算を行いながら符号語状態間の量子干渉を引き起こして信号の識別性を向上させるもので、これにより超シャノン限界の通信が可能になる。その効果はシンプルに表現できる(通信資源を2倍に増やすと、伝送情報量が2倍以上に増える:超加法的符号化利得)。従来の理論では、伝送情報量は最大で2倍までは増えるが、決して2倍以上に増えることはない。超加法的符号化利得の原理実証実験は2003年に成功した。しかし、その実用化は予想以上に困難であることが明らかになっていく。一方、量子暗号分野では2000年以降、本格的な実験が世界各国で始まった。2005年には、アメリカの国防総省国防高等研究計画局の支援を受けたプロジェクトがボストン地区に3地点を結ぶ量子暗号ネットワークを構築しフィールド実験に成功した。ヨーロッパでは2004年に欧州連合のプロジェクトSECOQC11 緒言佐々木雅英スマートフォンやパソコン、インターネットの中を駆け巡っている情報の実体は、電気や光のパルスの膨大な羅列であり、これらは0と1という記号の流れを表している。この2つの数字(ビット)による情報の抽象化が完成したのは1948年のことである(シャノンの『情報理論』)。同時期の1950年、ガボールはシャノン理論と量子力学の統合を試み、電磁波をその最小単位である光子として制御できれば通信路容量はシャノン限界より上がるだろうと示唆した。量子通信という概念の誕生である。1960年にはメイマンがレーザー発振に成功し、レーザーによる新時代が幕を開ける。レーザーの周波数は電波の10万倍あり、温度に換算すると光子1つで1万℃に相当するため熱雑音に埋もれることなく光子という粒(量子)の性質が顕在化する。量子通信は技術的な現実味を帯びて、その後、基礎理論の研究が連綿と続くことになる。1982年には物理学者のベネットと暗号学者ブラサールが、プエルトリコのホテルのプールで偶然出会って交わした何気ない会話から量子暗号が誕生した。1985年には、ドイチェが多世界宇宙論の理論を発展させ、これまでの0と1による抽象化に代わり、0でもありながら同時に1でもあり得るようなビット『量子ビット』の概念を導入して量子計算の定式化を行った。1994年には、ショアによって、離散対数問題を高速で解く量子計算アルゴリズムが発見され、量子計算機が実現されれば、現代暗号も数分で解読できることが示された。これを契機に、量子通信、量子暗号、量子計算に関するおびただしい論文が発表されるようになり量子情報科学の誕生につながる。ちょうどそのころ、通信総合研究所(CRL、現NICT)でも、量子通信に関する研究が始まった。当時はまだ光情報処理研究室の中の一研究課題として、理論研究を中心に進められていた。1999年から郵政省の下で量子通信、量子暗号、量子計算を統合した量子情報通信技術(量子ICT)に関する調査研究が始まり、産学官の識者と協力し研究開発戦略をまとめた。2001年にはCRLに量子情報技術研究室が発足し、高度通信・放送研究開発助成金交付業務(TAO)による量子暗号に関する委託研究と連携する形で、量子ICTの本格的な研究開発が始まった。11 緒言

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