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まえがきNICTが進める超高精度原子時計の研究開発や、NTTやNICTが目指す、より安全で省エネルギーな通信など、現代社会に不可欠な技術は、光と原子の振る舞いを光子1個という究極のレベルで解き明かすことから始まったといっても過言でない。物質が光を吸収・放出するのは、原子と光に相互作用が存在するからであるが、「光と原子の相互作用は果たしてどこまで強くできるか?」という基本的な問題は、原子物理学において永く研究されてきたものの、非常に強い相互作用を実現する適切な方法が見つからず、未解決のままであった。この状況を進展させたのは、原子の代わりに人工原子の一種である超伝導人工原子*1(量子ビット)を用いた実験を可能とした回路量子電磁力学の登場であった。共振器量子電磁力学物質と光の基本的な相互作用を光子1個のレベルで観測するためには、まず、微小な空洞共振器等を用いて、原子と実効的に相互作用する電磁場のモードを1個のオーダにまで減少させ、原子の自然放出を抑制する必要がある。反射率が極めて高い鏡で囲まれた微小共振器を低温に準備すれば、共振器中の光子数を0個または1個に制限した実験が可能である。図1に模式的に示すような空洞共振器中の単一モード電磁場と、共鳴条件にある二準位近似された原子を考えよう。電磁場は、共振器によって離散化されており、原子と実効的に相互作用するモードは、1つであると仮定する。このとき、原子と電磁場の相互作用は、図1中のハミルトニアンによって記述される。ここで、第1項は二準位原子のエネルギー、第2項が電磁場のエネルギー、そして第3項が二準位原子と電磁場の相互作用を表わす。原子と光子の間の量子もつれ振動である真空ラビ振動は、いわゆる強結合条件と呼ばれる条件が満たされる場合に限り、観測可能である。これは、原子と電磁場の相互作用(g)が、空洞共振器からの光子の損失(κ)、励起原子からの光子の自然放出(γ)、あるいは、空洞共振器を原子が通過する時間の逆数、のいずれよりも十分大きい場合に限り、相互作用に起因した量子振動が観測可能となることを意味する。S. Haroche率いるENS Parisグループは、イオン化寸前の巨大な電気双極子モーメントをもつリュードベリ状態の近似的二準位原子(主量子数n = 50: 基底状態|g>, 51:励起状態|e>)と、内面に超伝導体Nbを蒸着したQ~108に達する空洞共振器を0.3 Kに冷却して、強結合条件を準備し、原子と空洞共振器間で1個の光子を交換し合う真空ラビ振動 (|e,0> ⇔ |g, 1> 間の量子もつれ振動)の観測に成功した[1]。最近では、共振器のQ値を極限(Q~1010)にまで高めて共振器中の光子の緩和時間を延ばし、リュードベリ原子を用いた124-3 回路量子電磁力学の未踏領域仙場浩一 吉原文樹 布施智子 アシュハブ サヘル 角柳孝輔 齊藤志郎NICTは、NTT物性科学基礎研究所(NTT-BRL)、カタール環境エネルギー研究所(QEERI)との共同研究で、超伝導人工原子とマイクロ波光子の相互作用の強さを系統的に変え、分光実験を行った結果、人工原子に光子がまとわりついた分子のような新しい最低エネルギー状態(基底状態)が存在することを確認した。本研究により、原子(物質)と光の相互作用に新たな未踏領域が存在することが明らかになった。従来に比べて桁違いに広いエネルギー範囲で物質と光の相互作用を操る術を提供できるため、量子相転移の物理の解明や、シュレディンガーの猫状態のような非古典光状態を使う量子技術への応用の可能性を広げ、量子通信、量子シミュレーション・計算、次世代超高精度原子時計の開発など、量子技術分野への応用が期待される。*1超伝導人工原子超伝導体を用いて作製された線スペクトルとみなせる原子のような離散エネルギー準位を有する量子回路。限定されたエネルギー範囲や温度範囲において近似的に量子二準位系とみなすことができる場合には、量子ビットとも呼ばれる。ここでは、図3赤枠内に示す超伝導磁束量子ビットを指す。実際には、ナノメートルオーダの極薄絶縁体を超伝導体でサンドイッチした構造のジョセフソン接合と呼ばれる素子を複数個含んだ超伝導電気回路。ループを貫く磁束を変化させることで、おおよそ数GHz程度の範囲で量子二準位のエネルギー分裂の大きさを制御できる。エネルギー分裂が数GHz程度の超伝導量子ビットの場合には、動作温度として、おおよそ0.1 Kより低温が必要となる。534 量子ノード技術
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