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まえがき現代の情報通信技術の発展は目覚ましいものがあり、今も日々進歩し続けている。一方で、現在の技術体系の延長上では、将来性能限界を迎える可能性も指摘されている。地上のファイバー網から人工衛星を介した通信まで、急速に広がる現代の通信ネットワークにおいてセキュリティの確保は極めて重要な課題であるが、現在の一般的な暗号方式は、将来のコンピュータ技術等の発展により解読されてしまう危険性が指摘されている。また、とどまることなく増大する通信量に対し、光ファイバーに入力できるレーザーの電力には物理的限界があり、惑星探査機などの超長距離通信の場面においては、信号が弱すぎて受信した信号の正確な識別が不可能になる識別限界がある。これに対して、量子力学という原子や電子、光子などミクロな世界を扱う最新の物理学を駆使した新しい情報技術、いわゆる量子情報技術が実現できれば、従来技術では不可能な安全性を実現する量子暗号や、現在のコンピュータでは何万年もかかる計算を短時間で実行する量子コンピュータ、物理学が許す究極の通信容量限界を実現する量子受信技術など、抜本的な技術革新が可能になることが、近年、次々に予言されてきた。21世紀に入り、その実現に向けた本格的な研究開発が世界各地で進められている。NICTでは、こうした量子情報技術の中でも、特に通信に関わる技術、すなわち量子情報通信技術の実現に向けた研究開発を進めている。本稿では、NICTにおける研究開発の概要を紹介する。量子光ネットワーク技術現在、社会の様々な場面で暗号が用いられている。しかし、現在の一般的な暗号方式は、将来の計算技術の革新によって解読されてしまう危険性が常に指摘されている。これは、ソフトウェアで構成される現代暗号の安全性が、暗号解読に膨大な計算量を必要とするという、いわゆる計算量的安全性に依存しているためである。例えば、代表的な現代暗号の1つであるRSA暗号は、現在の計算機では巨大な数の素因数分解を行うのに膨大な時間がかかることを安全性の根拠としている。しかし、これは日々急速に進歩する計算機能力の向上や新しい素因数分解アルゴリズムの発明などにより、近い将来、現実的な計算時間で解読されてしまうことが危惧される。また、量子力学の性質を利用した量子コンピュータが実現すれば、RSA暗号は極めて高速に解読できることもわかっている。これらは、国家情報や金融情報、医療情報など、長期にわたり極めて高い安全性が要求される機密情報を通信する際には、重大な問題となる。この問題を解決する手段として期待されている量子情報通信技術が、量子暗号である。量子暗号は、どれほど強力な計算能力を使っても解読不可能な安全性を保証する情報理論的安全性と、どのような物理的な盗聴攻撃(例えば光ファイバーから一部の信号を抜き取ってしまうなど)でも検知できる物理的な盗聴に対する安全性という、現在の暗号方式にはない2つの大きな特長がある。量子暗号は、量子鍵配送(Quantum Key Distribution: QKD)と呼ばれる、送受信者だけが知る秘密鍵(秘密のランダムビット列)の共有と、それを用いた暗号化通信からなる。後者は、QKDで共有された秘密鍵を使って送りたい情報を暗号化し、通常のインターネット回線等を使って通信を行う。QKDには、量子の性質を用いた通信装置が必要となる。送信者は光の粒子である光子に特殊な変調により乱数を載せて伝送する。受信者は届いた光子1個1個の状態を検出して、さらに、盗聴の可能性のある122 量子情報通信技術研究開発の概要武岡正裕 仙場浩一 佐々木雅英現在の情報通信技術は19世紀に確立された物理法則に基づいて設計されているが、通信容量の限界や暗号解読の危機など、将来的にその性能限界を迎えることが危惧されている。このような限界を打破する手段として、究極の物理法則である量子力学に基づく新しい情報通信技術「量子情報通信技術」や、そこから派生する応用技術が注目されている。本稿では、NICTにおける量子情報通信技術の研究開発についての取組の概要を紹介する。52 量子情報通信技術研究開発の概要
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