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我々はまた、運動準備脳活動から手指の系列運動の種類を判別するという試みも行った[25]。手指の系列運動とは、ピアノを弾くときなどに見られる連続した一連の手指運動であり、脳はこのような一連の運動を行う場合、個々の指を独立に制御するのではなく、チャンク(ひとまとまり)化された運動の塊を一挙に実行すると考えられている。被験者は、実験に先立って、系列の1つ目の運動を同じ指で開始する、2つの似て非なる系列指運動を学習した。学習が完了した後、この課題を行っている際の運動準備期間の脳活動をfMRIで計測すると、両側の広範な前頭–頭頂領域や運動関連領域が活動していることがわかった。しかしながら、デコーディングを用いると、背側運動前野や補足運動野という高次運動領野の活動のみから、次にどちらの系列運動が実行されるかの判別が可能であることがわかった(図2)。これらの脳領域は古くから運動を心的に想像する(運動をイメージする)場合に活動することが知られている[15]。この研究結果は、これらの高次運動領野の運動準備脳活動には、その後実行される運動の具体的な内容に関する情報が表現されている可能性を示唆している。現在のデコーディング技術は、人間が運動を開始する前の脳活動から、その後どのような運動が実行されるのかを予測することを可能にしつつある。このような技術は、人間の危険行動への予測的警告やロボットなどを用いた運動機能支援を可能にするため、更なる予測精度の向上や携行可能な脳計測装置での実現など技術的な改善が望まれる。一方で、脳情報というこれまで人類が扱ったことのないレベルの個人情報を扱うことになるため、安心・安全に運用できるような倫理的側面からの議論も必要である(図2)。他者動作の観察・予測により自己の運動を変化させるfMRIなどの脳計測技術は、ある脳機能を実装する神経基盤の可視化において極めて有効な研究ツールである。一方で、頭部の動きを伴う全身運動とは相性が悪いという限界もある。身体運動研究の究極の目的は、脳が全身運動をどう制御しているかを解明することであるため、脳計測技術だけではこの理解に到達することはできない。これを可能にする方法は、運動行動を詳細に解析し、その背後にある脳の制御モデルを明らかにするアプローチである。我々の研究プロジェクトでは、このアプローチも動員して包括的な研究を展開している。 2では、運動準備中の脳活動に、既にその後実行される運動に関する具体的な情報が準備されていることを示した。言い換えれば、この運動準備中の脳活動を何らかの方法で変えることができれば、その後に実行される運動も変えることができる。これを効果的に実現する方法の1つに、他者動作を観察するという手段がある。例えば、スポーツを観戦しているとき、テレビの前でアスリートと同じように、思わず身体を動かしてしまいそうになった、あるいは実際に動かしてしまった経験を持つ人は多いはずだ。このように他者の動作(他者動作)の観察によって自己の動作(自己動作)が無意識的に影響を受ける現象を運動伝染と呼ぶ[26]。運動伝染は20年ほど前から心理学の分野を中心に盛んに研究され、他者動作の意図や目的を理解するメンタライジングの基盤としても提案されている[26]。近年、我々は従来の運動伝染とは異なる新しい種類の運動伝染が存在することを突き止めた[27]。以下では、従来の運動伝染を紹介しながら、新しい運動伝染に関する一連の研究を紹介する[27]–[31]。3.1従来の運動伝染:模倣運動伝染 他者動作の観察が自己動作に影響する従来の運動伝染は、以下の2つの特徴を示す。1)他者動作を見ることによって自己動作が無意識のうちに影響を受ける。2)自己動作は、他者動作を模倣するように変化する(自動模倣)[32]。後者の特徴に基づき、従来の運動伝染をここでは「模倣運動伝染」と呼ぶ。模倣運動伝染によって、自己動作は、キネマティクス、目標、結果といった様々な動作特徴、または動作全体において、他者動作を無意識的に模倣するようになる。例えば、野球のバッティングでは、前の打者がヒットを打った同じ方向に、次の打者もヒットを打ちやすくなる(動作結果の運動伝染)[33]。また、誰かと会話している際に、相手が腕を組むと無意識のうちに自分も腕を組む動作を行いやすくなることなどが知られている(動作全体の運動伝染)[34]。3.2新しい運動伝染:予測運動伝染 他者動作の予測が自己運動を変化させる我々は、近年、模倣運動伝染のように他者動作を単に観察するだけではなく、他者動作の予測に依存して生じる新しい運動伝染を発見した。この現象を「予測運動伝染」と呼び、以下で一連の研究成果を紹介する。まず、他者動作に対する予測能力の変化が自己動作に与える影響について解説する[29]–[31]。この研究では、ダーツのエキスパートが被験者になった。エキスパートは、自分が実際にダーツを投げる運動課題と、素人がダーツを投げる映像(ダーツの軌道や的は見えないように撮影)を見て、ダーツが的のどこに刺さったかを予測する予測課題の2つを行った。予測課題で320   情報通信研究機構研究報告 Vol. 64 No. 1 (2018)3 ニューロフィードバック技術

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