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ベクトルを生み出す必要がある。直感的には、肩屈筋の活動レベルは、肩で要求される屈曲トルクにだけ依存して変化すると考えられるが、実際にはそうはならない。肩屈曲トルクに加えて肘伸展トルクも同時に要求されたときの方が、より強く活動する。つまり、筋の力学的作用方向と最も活動する方向には乖離があるのである(図5BとCを比較)。この一見不可解な現象は、長年の謎とされてきたが、最適化仮説によってうまく説明されうることが最近の研究からわかってきた。図5Bのように筋群の分布に偏りのある場合、これらの活動度の二乗和が最も小さくなるような筋活動パターンをシミュレーションしてみると、上記のような一見不可解な筋活動パターンが現れることがわかった[39]。この結果は、脳が、肩の筋の活動レベルを決定する際に、肩だけではなく肘の状況も踏まえて、身体全体としての最適なパターンを選び出していることを示している。この考え方を用いると、上肢だけでなく下肢の筋活動パターンも推定できる[40]ことから、脳はこのような最適化の原理に基づいて、筋活動パターンを選んでいると考えることができる[41] [42]。4.1筋骨格モデル「Dデフef Mマッスルuscle」の開発従来の研究では、上肢や下肢の運動を2次元平面内に限定した場合でしか検証が行われておらず、3次元的な運動においてもこの最適化仮説が当てはまるのかは実は明らかではない。3次元的な運動においては、筋トルクベクトルの関係性が時々刻々と複雑に変化するが、このような筋骨格系の変化を正確に表現できるモデル(筋骨格モデル)は存在せず、最適化仮説の検証は不十分な状態であるのが現状である。そこで、我々は今までにない新しいタイプの筋骨格モデルの開発にも着手している。現在普及している筋骨格モデルの最大の欠点は、筋をボリュームのない線や折れ線で表現していることである。ボリュームのないモデルでは、筋同士または筋と骨の干渉を正確に表現することができずに、筋肉が骨の中に埋まったり、本来表層にあるべき筋肉が深層の筋肉の内部に埋まったりといった不自然な状況が起きてしまう場合がある。特に、肩関節や股関節など筋が3次元的に複雑に絡まった部位では、筋の力学的作用方向を正確に表現することがほぼ不可能であった。この問題を根本的に解決するため、筋肉のボリューム(大きさ・形状)と干渉(ぶつかり合い)による変形を考慮したデフォーマブル筋骨格モデル「Def Muscle」の開発を行っている(図6)。ボリュームの変形の計算には多大なコストがかかるが、近年急速に発展したGPU並列プログラミング手法を取り入れることでこの問題の解決を図り、現在では、従来の線モデルでは表現しきれなかった肩の複雑な筋走行を再現できるモデルの開発に至っている[43]。今後は、このモデルから各筋のトルクベクトルを抽出し、これらが姿勢変化に伴ってどのように変化するのかを定量的に示すとともに、このような特徴をもつ筋群に最適化仮説を適用した場合に、どのような筋活動パターンが出現するのかを予測することで、実際に観察される筋活動を説明できるかを検証していく予定である。「Def Muscle」は、脳科学だけでなく、人間の運動を扱うすべての分野で有用なツールになることが期待できる。現在、MRI画像を基に個人の形状をそっくり写し取ったパーソナルモデルの開発も進めている。これを導入することで、これまでにない高精度な筋骨格運動の計測、整形外科的診断、運動機能向上アドバイスが可能となり、健康・スポーツ分野にイノベーションを起こすことが期待できる。謝辞本稿で紹介した研究は、多くの共同研究者のご協力の下、行った。ここにすべての共同研究者に感謝の意を表します。小池美穂、片桐奈央子、河上千恵、藤江陽子各氏の研究支援に心より感謝いたします。図6GPUを用いて開発された肩周辺のデフォーマブル筋骨格モデル「Def Muscle」233-1 人間の感覚・運動機能の理解と機能改善・向上のための研究

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