HTML5 Webook
48/102

金属音及び木の音を付与した条件の方が太鼓音を付与した条件より高いと知覚された。この実験から、接触音の付与により手で感じる表面の硬さの知覚は実際に変化していることが明らかになった。それでは、このような体性感覚と聴覚の相互作用は、感覚処理過程のどのレベルで生じているのであろうか。材質(金属、木等)が異なる物体から生じる接触音は、それぞれ特有の音響特性(周波数・減衰特性)を持つ。感触に影響を与えているのは、音から推定された高次の材質カテゴリなのか、それとも低次の音響特性なのか。この点を明らかにするために、材質カテゴリの知覚は維持したまま、金属と太鼓の平均周波数が同じになるように減衰係数を変化させた音刺激を新たに作成し、剛性知覚の実験を再度行った。実験の結果、音だけで硬さを判断する場合は、音響特性ではなく材質カテゴリが影響するのに対し、音に感触を加えて硬さを判断する場合は、材質カテゴリではなく音響特性がより強く影響することが明らかとなった(図9)。よって、低次の音響特性をうまく調整すれば、金属よりも太鼓の方が硬いと“手に錯覚させる”ことも可能であることが分かった。本実験が示すように感触の再現を音により補強できるのであれば、感触処理にかけるコストを接触音の付加により大幅に削減できる可能性がある。また、当研究グループでは、視覚と感触の情報を統合して3次元空間内の物体を操作・比較する際、両感覚の変換過程に特定の相互作用が生じることを見いだしている[12]。将来、感触・聴覚・視覚の情報をヒトのクロスモーダル知覚特性に合わせて適切に提示することにより、医療・遠隔作業等、様々な分野において自然なインタラクションが低コストで実現可能になると期待される。2.4嗅覚メカニズムの解明と解析技術の活用ヒトの嗅覚メカニズムの解析に関しては、当研究グループにおいて独自の香り提示技術の開発を進めてきた[13][14]。他の感覚情報と比較して、嗅覚情報の制御・提示には独特の難しさがある。それは、香りが化学物質であるため一旦空中に拡散すると、それを瞬時に消すことが困難で、香りの残存・付着・混合といった問題が生じるからである。我々が開発してきた香り提示技術の最大の特徴は、香り物質を広く拡散させることなくヒトの鼻腔付近にだけ噴射させることにより、香り特有の残存問題を回避し、多様な香りを瞬時に切り替えてユーザに提示可能にした点にある。また、香源はほぼ密閉された容器に閉じ込められているため、香りの長期的な保存・利用も可能となった。この香り噴射装置“アロマシューター”(図10)は、現在、NICT発のベンチャー企業によって製品化され、香りのデジタルサイネージ(香りによるブランディング・集客等)やリラクゼーション空間の提供・ストレス軽減などの分野において社会実装が進んでいる[15]。当研究グループでは、この香り提示技術を用いて、香りを画像・音声・感触といった他の感覚情報に付加することによってもたらされるクロスモーダル効果の定量的な解析を進めている。このような取組の1つとして、香りが感触知覚(物体表面の硬さ・ざらつき知覚)に与える効果を心理物理実験により解析した[16]。本実験では、香り噴射装置“アロマシューター”と力覚(a) 音だけで硬さを判断する条件(b) 音と感触で硬さを判断する条件図9 音の材質カテゴリと音響特性が硬さ知覚に与える効果を検証する実験硬い表面(H)に対しては、音だけで硬さを判断する場合(a)、金属音(M1, M2)か太鼓音(D1, D2)かといった材質カテゴリで知覚される剛性が決まるのに対し、手で硬さを判断する場合(b)は、同じ材質カテゴリと知覚されても音響特性の違い(M1 vs. M2、 D1 vs. D2)が剛性知覚に影響することを示している。図10 香り噴射装置“アロマシューター”6種類の香りを瞬時に切替えてユーザに提示することができる。44   情報通信研究機構研究報告 Vol. 64 No. 1 (2018)5 脳機能の理解と知見応用のための各種アプローチ

元のページ  ../index.html#48

このブックを見る