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こともある。コンピュータは脳科学のデータを分析するうえで重要な役割を果たしたが、その一方で脳科学主義にインスピレーションをもたらした「コネクショニズム」(connectionism)は情報科学の一分野となり、人工知能に関する最近の動向を生み出す元となった。本稿では、神経科学と情報科学がお互いに恩恵を受ける相補的な研究分野であることを前提にしている。神経科学における脳のネットワークは、慣例的には、実験的に記録された神経イメージングデータ内の時空間パターンの有無を確認し、このデータに対して統計的評価を適用することによって推定される。この「ネットワーク」という用語の解釈は、ノードと相互接続リンクからなる離散的な計算グラフ構造としての情報科学におけるネットワークの解釈とは大きく異なる。しかし、グラフとしてのネットワークの視点は、近年、神経科学ではコネクトミックス(connectomics)[3]という言葉で普及しており、神経科学におけるネットワークの構造や構成の計算的評価が可能になっている。 2では、それぞれ統合失調症及び慢性的な腰痛に苦しむ患者の脳スキャンから得られたネットワークの2つの事例研究を論じている。そのような疾患を診断するための客観的なデータ指向の方法はまだ存在しないので、臨床医及び精神科医は現在、患者の症状の主観的な報告に基づいて診断を確立している。患者と健常者の脳ネットワークがモジュール構造でどのように異なっているかを示し、安静時脳活動画像から疾患を効率よく検出するための「バイオマーカー」として特定の「関心領域」(Regions of Interest: ROI)を認識することができる。情報ネットワークから神経科学への技術の適用に加えて、逆方向の研究も進めている。ニューロンの細胞内と細胞外の電位差(膜電位)が急激に変化したときに起こる神経発火と呼ばれる動的挙動は、脳における実質的に全ての認知活動の基礎を形成する。神経発火に起因するパルスは「スパイク」と呼ばれ、ニューロン間の通信に不可欠である。スパイクのデューティサイクル(相対時間)は非常に低く、これは脳の低エネルギー消費の重要な理由である。スパイクは、タイミングや連続したスパイク間の経過時間によって情報を符号化するが、脳の正確な符号化方式はまだ分かっていない。神経スパイクは一時的な活性化パターンとして情報を符号化するので、通信のためにインターネットプロトコル(IP)パケットの代わりに、スパイクのみを使用する情報ネットワークのためのプロトコル(スパイクベースのプロトコル)をどのように実装できるか、という疑問が生じる。メッセージはスパイクのシーケンスで構成されるが、スパイクのほかのシーケンスはその上に重ねることができる。そのようなシーケンスの混合を復号すれば、シーケンスにおける有効なパターンを認識することが可能になる。我々は、正確なパターン認識を行うことができる新しいモデルを開発した(3を参照)。最後に、4ではこれまでの研究について議論し、今後の方向性の視点に置くことにする。疼痛や精神障害に関連する脳ネットワークの解析神経学的研究が進展し、脳計測技術の精度が向上するにつれて、ボクセル(1辺が数ミリメートルの立方体の容積ピクセル)の空間分解能及び数秒の時間分解能で脳活動を測定することができる機能的磁気共鳴イメージング(fMRI)を使用して脳関連障害を研究することが可能になった。患者が特定の神経障害の影響を受けているかどうかを診断するためには、臨床医は患者の脳のfMRIスキャンを正しく解釈する経験と能力がなくてはならなかった。しかし、近年は状況が変わり、患者が特定の種類の神経学的疾患に苦しんでいるか否か、そしてどの程度苦しんでいるかに関して、臨床医の意思決定プロセスを支援する計算ツールを使用する傾向が高まっている。神経学的研究を行う場合、通常、(a)病気にかかった患者(患者)、(b)参照としての健常被験者、の2種類の被験者が存在する。fMRIによって測定される脳活動は、統合失調症[4]や慢性的な背痛[5]のような特定の神経疾患に関連する関心領域(ROI)を認識することによって、しばしば調査されている。研究が進展するにつれて、特定の障害の根底にある複数の脳領域間の相互作用であることがますます明らかになっている。これらの相互作用は、通常、脳に近い複雑さとデータの豊富さを有する脳ネットワークとしてモデル化されている。脳計測技術の不正確さや測定における雑音のために、患者と健常被験者の違いを信頼性高く一貫して特徴付けることは非常に困難である。最近普及している、異なる種類の脳ネットワークを区別するひとつの方法は、機械学習または多層の学習方法を用いることである。しかしながら、特定の精神医学的疾患を分類するうえでの成功は達成されているが、純粋に分類器だけに基づいて脳ネットワークの変化を解釈することはしばしば困難である。これは、分類器の入力パターンが、多くの個々の機能的結合の大きな行列から構成されることが多いためであるが、強く予測的な(すなわち情報量の多い)機能的結合が、必ずしも疾患における積極的役割を意味するとは限らない。252 情報通信研究機構研究報告 Vol. 64 No. 1 (2018)5 脳機能の理解と知見応用のための各種アプローチ
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