Alfred Wegenerが提唱した「大陸移動説」を端緒とし、主に1950年代以降の海底古地磁気記録や地震のスリップベクトルの解析結果を踏まえて確立してきた。1980年代に至り、当時の郵政省電波研究所(RRL、現NICT)は米国NASAと共同でVLBI観測を行い、鹿島に対しハワイが年間6.3cmの速度で近づくというプレート間運動の直接測定に成功してプレートテクトニクス理論の実証に大きく貢献した。さらに、光学望遠鏡による天体観測で測定されていた地球回転の歳差・章動・極運動・自転速度変動がVLBIによってより高い精度で計測可能となった。1987年には国際地球回転・基準系事業(IERS)が発足し、VLBIは地球回転を計測する主要な宇宙測地技術のひとつとしてIERSに寄与している。日本のVLBI研究に関係する地球の自転計測についての歴史的な出来事を表2に示す。郵政省電波研究所では、1964年に直径30mの大型パラボラアンテナとともに鹿島支所が設置された。1968年には後に日本のVLBIに大きな足跡を残す26 mパラボラアンテナが設置され、宇宙通信・衛星放送の研究を開始した。これらのアンテナはまた、東京天文台(現国立天文台)との協力の下、当時飛躍的な発展を始めた電波天文観測にも使われ始めた。一方電波研究所は、日本標準時を維持するため原子時計の開発を推進し、高い安定度をもつ水素メーザ原子時計を開発していた。大型パラボラアンテナと水素メーザ原子時計を組み合わせて誰も測定したことのない大陸の移動や電波天体の精密観測ができるVLBIは、電波研究所の持つ技術を融合した研究として大きく発展した。1984年から米国NASAのCDPプロジェクトに参加し、その後IERS及び国際VLBI事業(IVS、5.2参照)の中で、観測に参加することはもちろん、VLBI技術開発センターとしての指名を受けて世界に先駆けた観測技術の開発で世界に貢献してきた。5.2国際的な地球回転(UT1)・測地VLBIの観測的及び技術開発センターとしての貢献「うるう秒」は、地球の自転に基づく時系UT1と原子時計に基づく時系UTCのずれを1秒以内に維持するため、調整する1秒のことである。地球は、月との潮汐相互作用によって自転エネルギーを月の軌道運動に移しており、その自転速度はだんだん遅くなっている。また、地球表層の大気–海洋間あるいは地球内部のコア–マントルの相互作用の影響を受けて、地球の自転(1日の長さ:Length Of Day)は揺らいでいるが、現在もその精密な予測は困難であり研究が続けられている。1765年に数学者で天文学者のEulerが地球の極運動(自転軸の移動)を予測し、精密な地球の自転を観測するため、1899年に国際緯度観測事業(ILS) が開始された。観測手法は星の南中時刻を精密に測定する光学観測で、これに貢献する日本の緯度観測所(現国立天文台水沢VLBI観測所)の木村栄所長がZ項*2を発見した(1902年)。1988年にVLBIがIERSの要素技術に組み込まれ、それまでの天体の光学観測から、より高い精度での観測が可能なVLBIに技術が変遷した。IERSにおいては日本から経緯度観測所の横山紘一氏が1988年から1992年の間の評議委員を務めている。この頃の日本において、地球自転も含めて国際測地VLBI観測ができるパラボラアンテナは、鹿島26mアンテナが唯一であった。VLBIの観測・記録システムから、相関処理・解析までの一貫したVLBI技術を研究開発する郵政省通信総合研究所(CRL、旧郵政省電波研究所より改称、現NICT)は、精密な地球の自転観測を目指す国立天文台水沢観測所や、高精度な測量を目指す国土地理院と密接に協力しながら、VLBI技術の高精度・高感度・安定性を追求した開発を進めてきた。これらを背景として、米国MIT-Haystack観測所と共にCRLを「技術開発センター」として指名する手紙が、1990年にIERSよりCRL畚野信義所長宛に届いている。また、VLBIで長期間精密に測定された鹿島26mアンテナの位置は、国際基準座標系に合わせて日本の地図を改定する際に、日本の地図の原点表2 地球の自転計測に関する主な出来事1765 年Eulerが地球の極運動(自転軸の移動)を予測1899年国際緯度観測事業(ILS) の定常観測が開始1901年日本の緯度観測所(現国立天文台水沢VLBI観測所)の所長木村栄がZ項を発見1962年ILSが国際極運動事業(IPMS)に改組1968年鹿島26 mアンテナ完成1988年国際地球回転・基準系事業(IERS)が設立2001年国際VLBI事業(IVS)の設立*2極運動による緯度変化のうち観測地点の経度の依存しない項。2317-1 時空標準活動に関する国際的枠組みへの貢献
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