光の周波数と光強度は音響光学素子(acousto-optics modulator: AOM)によって制御される。AOMによる透過光の消光比は高くないため、Cs原子がマイクロ波と相互作用している間は、メカニカルシャッターを用いてAOMで消しきれなかった残留光を完全に遮断している。レーザー冷却と検出の過程ではF=3の原子をF=4に戻すリポンプ光が必要であり、外部共振器型半導体レーザーを1台用意し、CsF1とCsF2用にレーザー光を分けて使用している。CsF1用光学系とCsF2用光学系は1つの光学テーブル上に構成され、レーザー光は偏光保持ファイバーを介してそれぞれの原子泉型周波数標準器にまで運ばれている。Cs原子に照射されるレーザー光強度は、強い条件では10mW/cm2程度である。原子泉型一次周波数標準器はマイクロ波帯の標準器であるが、レーザー冷却やレーザー光による打ち上げなどレーザー光による原子操作が動作の基盤となっているため、レーザー光学系の堅牢性は重要な課題である。実際、原子泉型周波数標準器の動作を止めてしまう一番の原因は光学系周りの不具合である。我々は、前回の特集号[9]での紹介以降も、マスターレーザーの周波数安定化システムの見直し、スレーブレーザーとして使用する半導体レーザーの変更を含む注入同期システムの改善、振動の少ないメカニカルシャッターの導入、無駄な光学系の排除、などを行い、より長時間の連続動作を目指している。2.3ラムゼー共鳴を起こすマイクロ波ソース2.3.1冷凍機型冷却サファイア共振器(Cryocooler Cryogenic Sapphire Oscillator: CryoCSO)周波数標準器開発において、原子や分子の量子遷移をプローブする信号源の局部発振器(Local Oscillator)の短期安定性が悪いと、量子遷移本来の精度で信号が取れず、結果として、周波数標準器自身の性能を制限してしまうことはしばしば起こる。NICTの原子泉型周波数標準器においても同様の問題が発生しており、[8]にあるようにCsF1の周波数安定度は局部発振器として用いた水素メーザーの短期安定度に制限されていた。そこで我々はこの問題を解決するために、西オーストラリア大学で開発された冷却サファイア共振器を導入した[10]。冷却サファイア共振器は、サファイア結晶を極低温まで冷却すると得られる高Q値の共振特性を利用した信号発振器である。HEMEX法によって作られた円筒型高純度サファイア結晶を液体ヘリウム温度まで冷却すると、円筒型結晶の円周に沿う形で共振モードが立ち、直径約5cm、高さ約3cmのサファイア結晶を用いた場合は、共振周波数約10GHzにおいて109という非常に高いQ値を実現する。このような特性を持つ冷却されたサファイア結晶とそのロスを補完するHEMTアンプなどを含んだループ回路を組み、ループ回路長がサファイア結晶の共振モード周波数の定数倍になるように調整すると、共振周波数で自励発振を始める。そこに、周波数安定化や強度安定化を施すことで、最終的には平均化時間1秒で10-15という非常に高い短期安定性を持つマイクロ波信号を発生させることができる。これは水素メーザーよりも100倍程度高い安定度である。この冷却サファイア共振器の信号を、原子泉型周波数標準器のラムゼー共鳴を引き起こすマイクロ波の原振に使うことで、一次周波数標準器の周波数安定度は局部発振器の性能に制限されるのではなく、Cs原子がもたらすラムゼー共鳴の信号/雑音比(SN比)によって決定されるようになる。導入当初、真空層に入れられたサファイア結晶を、容量250リットルの液体ヘリウムデュワーの中に丸ごと沈められ冷却していた。我々の運用環境では、1日で約20リットルの液体ヘリウムが蒸発していたため、約3週間に1度液体ヘリウムを供給する必要があり、その作業の際には信号に位相の不連続点が頻繁に発生したのに加え、作業後にサファイア結晶の温度が安定するまでの時間は原子泉型周波数標準器の局部発振器として使えないという問題があった。また、昨今のヘリウム枯渇による価格高騰により、運用コストの上昇も大きな問題となっていた。そこで我々は、液体ヘリウムデュワー内でサファイア結晶を冷却するのではなく、パルスチューブ冷凍機を用いた機械式冷却によりサファイア結晶を極低温にまで冷却する方式に変更した。パルスチューブ冷凍機は、低温部に可動部品がないため、長寿命で高信頼性というメリットがある。パルスチューブ冷凍機は振動の比較的小さい冷凍機と言われているが、その振動がサファイア共振器に与える影響を押さえる工夫が必要であった。振動除去のための試みや、温度安定性を上げるための工夫に関しては[11]を参照いただきたい。サファイア結晶を梱包した真空容器をパルスチューブ冷凍機の“coldfinger”部に設置し、液体ヘリウム温度(4.2K)以下まで冷却し、ヒーターを用いてサファイア結晶のゼロ膨張温度(我々の場合は7.6K)で温度安定化している。このようにパルスチューブ冷凍機内で極低温まで冷やされたサファイア結晶を含んだループ回路を構成し、冷却サファイア共振器として高安定なマイクロ波を発振している。冷却部分以外の構成は、デュワー型冷却サファイア共振器の際に用いていたものと同じである。NICTの冷凍機型冷却サファイア共振器の発振周波数は11.2005GHz、出力パワーは約10dBmで、数年間という長期間においてメンテナン70 情報通信研究機構研究報告 Vol. 65 No. 2 (2019)4 原⼦周波数標準
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