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が、キネシン–5と相互作用することで1,000倍に及ぶセンチメートルサイズの実験槽全域に広がる安定なネットワークを形成し、それが大域的な収縮を起こして崩壊することなど、これまで報告されていなかった現象を発見したのである。この収縮性は、微小管の端をしっかりと掴んでいるタンパク質モータの濃度と力学特性に依存する。モータの特性を変えた場合には、均一で小さな星状体が実験槽全面に分散して形成されることも確認できた。これらの観察は、タンパク質フィラメントの収縮性の一般原則を明らかにするうえで、新たな知見を与えたものである。前述の微小管による渦形成の場合と同様に、これらの実験結果を再現する簡潔な理論モデルを構築した(図4A)。ここでは、タンパク質モータの機能に二つの役割を与えた。「フィラメントを束化する能力」と「滑り運動能」である。数値計算によって、この二つのパラメータがネットワーク構築を決定する因子であることが定量的に示され、そのパラメータを変えることによる創出構造への影響を予見することができるようになった。具体的には、共同研究者である石原准教授(明治大学、現東京大学)のグループとNICTが連携して進めた理論モデルで、ネットワーク全体の挙動を僅か三つの局所ルールを与えたアクティブネットワークである(図4B)。このモデルのパラメータと実体レベルのパラメータとは高い整合性を示し、モータ特性の変調がネットワーク構造に与える影響について、高い予見性を示した。このように、ネットワーク全体の挙動を僅か三つの局所ルールで説明できたことは、細胞骨格操作という観点からみると重要な進展である。例えば、この理論を使うことで、微小管密度がどのようにネットワークの形状に影響を与えるか、モータの微小管への親和性がネットワークの形状にどのように影響するかなどを説明することができる。細胞骨格ネットワークは、生体機能に大きく関わるものであるので、そこにかかわるタンパク質モータの特性を阻害、あるいは促進することで細胞の構造ダイナミクスを変化させ、ひいては細胞集団である組織の特性を変化させる、あるいは制御させることも可能になるのである。実験と理論の間で行う相互理解とフィードバックを通して大きく進展することが期待できる。生体分子の物性研究の情報通信技術へのインパクト生体機能を活用し、その動作原理を学ぶことで工学的応用を考える工学として、バイオミミクリー、バイオミメティックスやバイオインスパイアード技術などが発展してきた。当初、自然界の主たるモデルとして生命の持っている形態を研究して、そのデザインを模倣し、そこから新たな発想を得ることが主たるものであった。確かに、その素晴らしい発明の数々は人々の活動に関わる諸課題の解決につながってきた。近年、関連分野の発展、例えばナノテクノロジーの発達や材料科学の発展は、バイオミミクリー・バイオミメティックスの可能性を飛躍的に伸ばしている。マイクロメートル以下のサイズの構造を模倣することで、撥水表面を作り出したり、粘性抵抗を効果的に低下させたり、グレア反射を防ぐなど、身近に使われている表面加工技術が発展してきている。加えて、生命科学も自然現象を記述することが中心の学問から精密科学へと進化を遂げて、物理的・工学的アプローチとの親和性は著しく向上した。これまでのように自然の産物を搾取するような利用の仕方だけではなく、自然の原理から学ぶという手法が持つ発展性は大きくなりつつある。ICTにとって重要となる自然の持つ「知」は、恐らくノイズとの付き合い方、S/N比の悪い状況でのエネルギー変換効率の向上を図る方法にあるのではないだろうか。生物はエントロピー増大の流れに逆らって、分子の秩序を細胞内で維持している。この分子の秩序を生み出す過程において、熱生産を秩序増加に共役させる方法を持っている。これは、人間の作った内燃機関が燃焼によってエネルギーを作り出すこととは大きく異なる。生物は有機物の酸化によってエネルギーを得るが、これは燃焼のような急激な酸化ではなく、制御された緩やかな酸化である。自由エネルギー変化(ΔG)が正となるような反応(ΔG>0)は起こりにくい。生体機能で考えれば、一方向性の運動やイオン濃度勾配の形成などである。このような起こりにくい反応は、自由エネルギー変化が負となる(ΔG<0)反応と共役することで引き起こされる。このΔG<0の反応で、生体が最も使っているのがATPの加水分解である。ATPはエネルギーの活性型運搬体であり、主要なエネルギー通貨ということができる。つまり、生命機能の大きな特徴は、熱擾乱にさらされながらもナノメートルサイズの構成要素が特異的結合とATP加水分解のようなエネルギー勾配に沿った反応(高々ノイズの20~30倍のエネルギーしかないが)と共役し、高い変換効率で構造化や方向性のある運動が進行することにある[15] [16]。この点で、エネルギー変換に関わるタンパク質は見事な化学装置である。その特性は、分子表面の精密な化学特性、特に立体特性に依存している。分子表面へのリガンドの結合が次々と構造変化を引き起こしていくが、ATPやGTPの加314   情報通信研究機構研究報告 Vol.66 No.1 (2020)2 バイオ材料の知に学ぶ

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