2.3シナプス可塑性の新しい実験プロトコル以上のようなシナプスの機能だけでなく、シナプスの構造変化についても詳細に包括的な理解をしたうえで[10]、“シナプス伝達がいかにして活動依存的に可塑的変化をするか”について研究する方法を考案した。上述のシナプトブレビン突然変異体解析の研究の途上で、“微小シナプス電流”がその頻度を突然数百倍-千倍も劇的に変化させることを観察していたので(図2)[4]、それこそが記憶の素過程かもしれないという着想を得、微小シナプス電流を電気刺激によって運動ニューロンに起こした活動電位によって活動依存的にON/OFFする方法を考案した。100 Hzの高頻度で運動神経活動電位を起こさせると微小シナプス電流の頻度が数百倍に上昇をすることを発見し、“高頻度刺激誘発微小シナプス電流放出(High Frequency stimula-tion-induced Miniature Release=HFMR)”と名付けた(図3)[2]。このHFMRは、プレシナプスでの変化であるにもかかわらず、ポストシナプス細胞からの逆行性シグナルによって生じることを発見し、その逆行性シグナルの放出がシナプトタグミン1と同じシナプトタグミンファミリー分子であるシナプトタグミン4によって調節されていることを見いだした。2.4“ローカルフィードバック仮説”HFMRがシナプスでの細胞同士の相互作用によって起こるという発見に基づき、全く新しい発想による記憶の仮説、“ローカルフィードバック仮説”をScience誌上において実験結果の報告と共に提唱した(図4)[2]。脳内でつながる二つの神経細胞がお互いに伝達物質の放出によって強め合うことにより正のフィードバックがかかり、それが単一シナプスでの短期記憶を保持し、それがシナプス形態の変化を引き起こして永続する記憶に変わると考えたのである。 分子ではなく“生理学的状態”が短期記憶を保持するというこのような考え方はそれまでにない新しいもので、それまでの多くの報告された実験結果をうまく説明したので、この仮説こそが記憶を作る“ミクロ”の一般的メカニズムであることを期待した。しかし、この仮説はショウジョウバエ卵の神経筋接合部での可塑性から考えたメカニズムであり、それと同様に脳内でおこるミクロのシナプス可塑性をマクロの記憶と結びつけてテストする実験系が存在しなかったので、この仮説は机上の空論でしかなかった。もしこれが脳の中で本当に起こっていたら脳機能の基本原理ということになるので、記憶のしくみを考えるには、何としてもこれを試すための実験系が必要である。そこで次に、ミクロとマクロを結びつけることによって、記憶時にこの仮説を検証することができるショウジョウバエ成虫を使った実験系をゼロから作ることを試みた。記憶のミクロをマクロにつなげるための記憶研究の新しい方法論3.1“食べる”コマンドニューロンローカルフィードバック仮説で仮定した細胞間のミクロの仕組みをマクロの記憶と結びつけるには、ミクロの細胞変化をマクロの行動として現れる記憶に対応させる必要がある。そのために考えた新しいストラテジーは、筆頭著者の恩師池田和夫博士が1960年代に行動を司令するニューロンとして確立した、“コマンドニューロン”というコンセプト[11]を利用することであった。このニューロン上のミクロのシナプスの変化3図4 “ローカルフィードバック 仮説”(Science, 2005)[2]図5 ミクロとマクロの同時観察[14]脳内の同時観察のためにショウジョウバエの頭を開けて脳を露出している一方で、ハエの“顔”は実験者の方を向いていてショ糖水溶液で刺激して摂食行動を引き起こすことができるし、パブロフのような条件付けのための機械刺激をあたえることも可能である。この微細な作業には10ミクロンレベルの剪断を必要とするため、専用の“先合いバサミ”を考案・開発し(NICTから特許出願中)、それを駆使して生物試料を作成している。46 情報通信研究機構研究報告 Vol.66 No.1 (2020)3 バイオシステムの知に学ぶ
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