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3.4記憶ができる瞬間を目撃する現在、条件反射でハエが記憶したときのフィーディング・ニューロン上のつながりの変化を、深部を見ることのできる二光子顕微鏡を使ったタイムラプスイメージングによって細胞の変化としてとらえようとしている。また、機能変化について、電気生理学実験によって記録する予定である。この私たちが独自に積み重ねてきた方法論によって、まだ人類がみたことのない景色、“記憶ができるその瞬間”をリアルタイムで観察できるはずである(図7)。どのような細胞の変化が記憶をつくるのだろうか、その真実を目撃する日を楽しみにしている。私たちの記憶の実験系の強みは、記憶形成だけでなく忘却過程もリアルタイム観察できることであるので、忘却に関しても、細胞構造と機能の変化を追跡する予定である。3.5“ローカルフィードバック仮説”の検証長い回り道をしたが、“百聞は一見に如かず”で、記憶のできる様子を顕微鏡下で目の当たりにすることができるので、 この一連の技術開発の果てにようやく独自の仮説(図4)を検証することが可能になる。著者らが考案した“ローカルフィードバック仮説”が正しければ、フィーディング・ニューロン上の記憶がつくられる部分で局所的に微小シナプス電流が続くはずである。記憶形成に伴う局所的な微小シナプス電流を検出することができたら、著者らの仮説が脳の一般原理と理解される可能性が濃厚となる。局所的な微小シナプス電流は、局所的なカルシウム流入としてカルシウム指示タンパクにより検出できるはずである。しかし、非常に微小なカルシウム流入を光学的に検出することは困難が予想される。そこで、同じく神戸の未来ICT研究所内の記憶PJと同階の超伝導PJにより開発された最先端センシング技術である超伝導単一光子検出器(SSPD)を用いて、局所でのフィードバックが記憶を保持する様子を観察する準備を、超伝導PJの寺井上席研究員、三木主任研究員と光学技術による生体観察・制御を専門とする生体物性PJの小嶋上席研究員の協力を頂いて進めている。単一光子さえも検出できるNICT発の最先端技術による仮説の検証に胸躍らせている。3.6記憶の分子機構高度に洗練されたショウジョウバエ遺伝学を利用すれば、2.2で説明したように、各細胞での各分子の機能を調べることができる。ショウジョウバエ卵の神経筋接合部プレシナプス終末においてシナプトタグミン7が短期可塑性のスイッチの役割を果たしていることを最近見いだしたが(藤居研究技術員、突然変異体を供与いただいたMITのLittleton教授と共に発表準備中)、シナプトタグミン7は微小シナプス電流のための小胞放出も担っていると予想している。また、2.3で述べたように、シナプトタグミン4がポスト側からの逆行性シグナル放出を制御していることがショウジョウバエ卵の生理学から予測されているので[2]、それらの分子の突然変異体を、パブロフのハエの条件付け実験において解析し、記憶における各キー分子の機能を明らかにする予定である。3.7ミクロとマクロ—記憶研究における論理構造現在の記憶研究の分野において行動観察によって記憶を査定する方法が広く行われているが、「手を怪我して字を書くことが著しく困難になれば、時間制限のある記憶テストの点数が悪くなることもある」もので、因果関係を演繹するためには、方法論に関する細心の注意が必要である。実際は記憶と全く関係しない操作によって生じた行動実験の結果を見て、それが記憶に“必要かつ十分だ”と詭弁を弄する“疑似科学”といっても過言ではない作業が、現在全世界的に流行している。その論理構造を詳細に解析することにより、その危険性に警鐘をならし、真の理解のためにはどのような研究が必要であるか具体的に論じたところ[16][17]世界中で広く反響があり、ついにはNature誌の社説でも大きくとりあげられた[18][19]。上に述べたミクロとマクロを正確に対応させ、細胞レベルの変化として記憶現象をとらえる方法こそが、記憶のメカニズムの因果関係を明確にすることが可能な、記憶研究においてもっとも求められている方法論[20]であると著者らは考えている。今後の展望—記憶時の単一細胞の変化をデバイスに実装して、“自然記憶人工知能”を作る私たちの研究は記憶の原理に関する基礎研究にとどまらず、記憶時の単一細胞レベルの解析によって、 脳の素子一つひとつが記憶をたくわえる仕組み、すなわち、脳内“メモリー”の働きについて、歴史上初めての知見を与える。ここで理解された真実は、そのまま直接神経細胞の機能を模倣したデバイス開発を可能にするので、同未来ICT研究所のテラヘルツエレクトロニクスPJの原主任研究員、笠松上席研究員と共同でこれを始めている。神経細胞と同じ様式で活動依存的に可塑的変化をするデバイスを多数つなげてネットワークをつくることにより(図8)、脳と同じ方法で記憶を形成する電子回路(“自然記憶人工知能=Naturally 448   情報通信研究機構研究報告 Vol.66 No.1 (2020)3 バイオシステムの知に学ぶ

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