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まえがき「コンピューターがウイルスに感染した。」既に、当たり前のように使われているフレーズだが、考えてみれば、何事か、悪さをしようとして、他人のコンピューターに忍ばせるプログラムのことを、「ウイルス」と呼ぶ必然は、どこにもないのである。生きた細胞に感染する「ウイルス」と件くだんのプログラムとは、似ても似つかないものだから。ところが、「ウイルス」という言葉を用いたことで、コンピューターウイルスに対しても、感染、増殖、ワクチン、検疫など、関連する生物学の用語が違和感なくそのまま流用されている。この違和感のなさが、物理的なみかけが、大層異なっているコンピューターを中心とした情報ネットワーク社会と細胞を中心とした生物界とが、実は、極めて類似した世界を構築しているのではないかということを暗示している。それぞれを支えているICTが、エレクトロICTとバイオICTである。バイオICT(生き物が生育のために用いる情報のやりとりの技術)の中でもDNAを介した遺伝情報の制御は、生命というシステムの生存、継承において、最も主要なICTの一つと言ってよい。本稿では、DNAを介した遺伝情報制御のうち、リボソームタンパク質遺伝子の発現制御について紹介する。リボソームは、タンパク質合成装置タンパク質というと、一般には、食品に含まれる栄養物質のことのように見なされがちだが、細胞にとってタンパク質とは、およそ、あらゆる生命の営みにおいて中心的な働きをする分子である。細胞が何か(成長、運動、合成、応答、伝達、輸送、調節などなど)をしようとすれば、そこに必ず何らかのタンパク質を必要とする。タンパク質を一つも介さない生命現象は、存在しないといってよいほどである。そして、その際、これが重要な点であるが、細胞は、必要なタンパク質は、自分で合成する。よそで作られたタンパク質を流用しないのが原則である。我々の摂取する食品にも多数のタンパク質が含まれるが、これらがそのままタンパク質として使われることはなく、いったん、バラバラに分解されて、自前で合成するタンパク質(を含む多数の窒素化合物)の原材料となるにすぎない。そして、この自前のタンパク質合成に際して、その設計図となるものが遺伝子であって、タンパク質を合成する装置がリボソームである。タンパク質の設計図である遺伝子は、タンパク質ごとに存在する。遺伝子の数は、生物種によって異なり、ヒトの場合、2万から3万個と言われている。分裂酵母の場合、およそ5,000個である。遺伝子が5,000個ということは、この生き物が持っている固有のタンパク12遺伝子総数が5,000個ほどしかない単細胞真核生物である分裂酵母を低窒素環境にさらすと、細胞あたりの総タンパク質量は、高濃度窒素源を与えた場合に比べて、30%も低下していたが、増殖速度の低下は、5%程度であった。このことは、増殖速度の低下を最小に抑えながら低窒素環境に適応する仕組みがこの生き物に備わっていることを示唆している。分裂酵母で見いだされた低窒素環境適応における遺伝子制御の仕組みについて紹介する。The fission yeast is a unicellular eukaryote that has about only 5,000 genes total. When it is exposed to the low nitrogen medium, a total amount of protein for each cell has decreased by as much as 30% compared with the case at the high nitrogen source. However, the decrease in the growth rate was about only 5%. This suggests that this organism has the mechanism by which the growth rate is kept as much as possible at the low nitrogen condition. I report here the gene regula-tion mechanism adjusting to the low nitrogen condition found in the fission yeast.3-3 遺伝子制御メカニズムからのICT探究3-3Regulation of Gene Expression as an ICT近重裕次CHIKASHIGE Yuji573 バイオシステムの知に学ぶ

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