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「業務」とはすなわち、定常的に財やサービスを顧客に提供する事業であり、NICTは宇宙天気予報業務を通じ、多種多様な利用者に「宇宙天気予報」を提供している。この点こそが、国内の他の宇宙天気研究を行っている大学や研究機関との大きな違いである。本稿では、NICTとその前身である郵政省電波研究所時代から行われてきた予報業務体制の変遷について紹介するとともに、宇宙天気予報業務の今後の展望について紹介する。なお、NICTとその前身におけるより詳細な歴史については、本特集号5-5を参照されたい[3]。宇宙天気予報業務体制の変遷2.1電波研究所時代NICTは1952年に発足した郵政省電波研究所に源流を持つ。この時代にはすでに電離圏の異常により短波通信が障害を受けることがわかっており、電離圏じょう乱を前もって予測・通報する「電波警報業務(図2)」が1948年から開始されていた[4]。電波警報業務は、国内外から集積される太陽面現象・地磁気活動度・電離圏観測データ及び国内外から送信されている短波電波の受信状況を基に平磯電波観測所(現茨城県ひたちなか市)で実施された。1949年からは国分寺において、電波伝搬状況をモールス符号の“W”(激しい通信嵐が予想)、“U”(不安定な状態)、“N”(平穏な状態)としてJJY標準電波にのせて報知するということが行われた。この電波警報業務は2001年3月31日に短波JJYが廃止されるまで継続された[5]。また、現況及び直近の予報のみならず、週間電波予報として今後1週間の電波伝搬状況の予報を行い、利用者へはがきで予報を送付していた[6]。平磯電波観測所では、太陽表面における爆発現象である太陽フレアの発生を予測するため、シーロスタットを用いた太陽黒点のスケッチが行われていた(図3)。このほかにも太陽から放射される電波を観測する太陽電波望遠鏡を設置し、電波バーストの検出を行うことで地磁気じょう乱の予知に威力を発揮して平磯電波観測所における警報発令で重要な役割を果たした[5]。しかし1970年代に入ると、国際間の長距離通信には海底に敷設された通信ケーブルが利用されるようになり、電離圏を利用する短波通信の役割が相対的に低下してきた[5]。また、このころになると人工衛星の利用が進み、太陽起源の高エネルギー粒子(主にMeV~GeV帯の陽子すなわちプロトン)が増加する「太陽プロトン現象」が人工衛星の機器に不具合を引き起こす原因として注目されていた。また、当初は比較的低い周波数を使用して2図1 太陽と地球を結びつける「宇宙天気」図2 電波警報業務の記録 (1951年)178   情報通信研究機構研究報告 Vol.67 No.1 (2021)5 定常業務

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