自動応答電話サービスにて提供する「テレホンサービス」が開始された[10]。テレホンサービスはインターネットや電子メールによる情報発信に置き換わる形で2013年に終了した。2.2通信総合研究所時代1988年に電波研究所は通信総合研究所に名称変更された[11]。この年「宇宙天気予報システムの研究開発」の15か年計画プロジェクトが開始され、「宇宙天気予報」の語句を商標登録するなど、徐々に宇宙天気予報が世間に広まっていく流れとなった。このプロジェクトの中で、太陽磁場望遠鏡の開発や世界に先駆けてL5ミッションすなわち地球から見て東側(地球の公転方向の逆方向)の太陽と地球の重力がつりあう点(ラグランジュポイント)で太陽や太陽風などの観測を行う探査機の検討を行った。また、太陽活動が宇宙天気の源ということから、平磯電波観測所にて太陽電波動スペクトル計を用いた太陽電波バーストの観測が行われ、地磁気じょう乱の予報的中率の向上につながった。当初はファクシミリで受信していた気象衛星「ひまわり」の高エネルギー粒子データはその後、電話回線による通信を用いて1991年からデジタルデータが受信できるようになった[12]。その後、1995年からは「ひまわり」からのデータを平磯に設置されたアンテナにより直接受信した。また、電波のみならず可視光のHα線による太陽観測を行うべく、高精細Hα太陽望遠鏡を用いた太陽表面の黒点形成やフィラメント噴出の観測を1994年から定常的に実施し、太陽活動予報に供された[13](図 5)。一方で地上のみならず衛星観測で得られる太陽X線強度や高エネルギー粒子、太陽風データのデータベース化を行った。これら多岐にわたるデータはSolar Activity Chartやその他図表の形でウェブサーバを用いて外部からインターネット経由で常時参照可能となり、ここに現在の宇宙天気予報提供の原型が確立した[4]。2001年4月に通信総合研究所が独立行政法人化するとともに宇宙天気予報の体制の見直しが行われ、予報センターを東京都小金井の本部に移行することとなった。新予報センターでは、膨大な宇宙天気概況データを一度に表示できる140インチの大型ディスプレイを整備し、2001年には平磯と小金井がTV会議を通じて合同で予報会議を行う体制を構築した。2.3情報通信研究機構時代2004年に通信総合研究所は情報通信研究機構(NICT)へと改組された。2006年4月、宇宙天気予報業務の拠点をNICT本部(小金井)に移し、平磯宇宙環境センターは宇宙天気予報業務の拠点としての役割を終え、2009年に無人化された。その後、宇宙天気予報センターは設備向上を経て、現在では多面ディスプレイを複数備え、宇宙天気予報に必要な多数の情報を一度に表示し、現象発生を監視することが可能となっている(図6)。2017年9月初旬、約11年ぶりに大規模な太陽フレア(太陽表面での爆発現象)が発生し世間に大きな混乱を巻き起こした。この時、GPS(Global Positioning System)の測位精度がかなり悪くなる時間帯があったという報告が、国土交通省国土地理院から発表された*2こともあり、宇宙天気災害が実際に社会活動に影響を与えることが世間に強く認識されることになった。この宇宙天気による実災害の発生を受けて、宇宙天気予報の必要性、重要性がクローズアップされることになり、日本の宇宙天気予報業務を取り囲む状況が一変した。日本の宇宙天気予報業務はNICT本部で行われているが、何らかの災害等によりNICT本部の機能がマヒ図5 高精細Hα望遠鏡図6 現在の宇宙天気予報センター*2国土交通省国土地理院「9月6日に発生した太陽フレアのGPS測位への影響(速報)」https://www.gsi.go.jp/denshi/denshi40001.html180 情報通信研究機構研究報告 Vol.67 No.1 (2021)5 定常業務
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