報告は、戦時中のため諸外国には伝わらず、戦後になってからAppletonが地磁気制御(geomagnetic control)として報告している[14]。戦時中の電離層観測データは国家機密であり、電波物理研究所の論文には通し番号が付された上に、「用済後焼却要通報」とされていた。3.2電波物理研究所の小平村への疎開 ―現NICT本部の誕生文部省電波物理研究所が置かれていた陸軍科学研究所のうち、陸軍技術本部を経て第5陸軍技術研究所になった部隊は、空襲を避けるため、1943年(昭和18年)に、新宿から、東京郊外の北多摩郡小金井町と小平村にまたがる雑木林に疎開した。電波物理研究所も同研究所と一緒に疎開し、小平村側に新築した木造の2棟を使用した(図10)。小平村では1943年8月から、h’-fの定常観測を開始した(図11)[11]図10 第5陸軍技術研究所と共に小平村に移転した電波物理研究所の建物配置図面1942年(昭和17年)製図中央やや左上に赤枠で描かれた2棟が電波物理研究所。中央やや下の東西道路は、現在のサレジオ通り。図20も参照。東京府北多摩郡小平村 大字野中新田 善左衛門組 字御上水南558番(現・東京都小平市上水南町4-2-1)(東京府は1943年に東京都に、小平村は1944年に小平町に移行した)図11 小平村における最初期の観測データ例30分ごとの臨界周波数の測定値が手書きで記載されている。1943年(昭和18年)8月図12 上野毛における観測データ例図12(a) 1945年7月30日のh’-f曲線(上野毛) 空襲警報発令のため欠測となっている時間が頻発している。図12(b) 戦前最後の観測となった1945年8月14日のh’-f曲線(上野毛) この後、10月5日に再開(後述)されるまで欠測になっている。2175-5 我が国における宇宙天気予報の前史 ~電離層観測の黎明期を中心に~
元のページ ../index.html#223