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未来型情報通信技術の開拓を目指して

奥 英之 (おく ひでゆき) - 光・量子通信ユニット長

はじめに

ユビキタス・ブロードバンド社会の到来を前に、通信の大容量化と信頼性確保への要求は高まるばかりです。そして これまでの光通信ネットワークを進化させるための、新たな原理開拓を加速する時期に来ています。光・量子通信ユニットでは、 光の波動性を極限まで制御する超高密度光波通信技術と、光の粒子性まで制御する量子情報通信技術の創出を目指し、 NICTが有する多様な研究開発の推進手法を活かして産学官連携による活動を展開しています。その全体像を図1に示しています。

超高密度光波通信技術の研究開発

現在の光通信では、光の強度のみを制御して情報伝送を行っています。電波を使った無線通信では波動の特性を駆使している のとは対照的です。光も波ですが電波より極端に波長が短いため、光波制御は容易ではありません。光通信ネットワークの 進化は、まず光波制御から始まります。波を特徴づける要素は3つあります。波の大きさ(振幅)と、振動の早さ(周波数、 光では色に相当)、振動のタイミング(位相)の3つです。光・量子通信ユニットではこれらの3つの要素を安定かつ高速に 制御する技術の開発を進めています。これまでの、光通信技術分野では振幅変調、位相変調の研究が中心となっており、 周波数変調はほとんど使用されることがありませんでした。これは、光周波数を高速かつ安定に変化させる技術が なかったためです。これに対しNICTでは独自のデバイス構造で世界初の高速光周波数シフトキーイング変調器を開発しました。 これにより光の強さ、色、振動のタイミングのすべてを高速かつ安定に変化させることが可能になりました。関連の成果は、 企業への技術移転や製品化に繋がっています。現在、3つの要素を統合的に制御し、次世代超高密度光波通信技術に向けた 基礎研究を行っています。また、伝送容量の拡大のみならず、パケット宛先信号処理、信号形式の変換などの高度信号制御 などの新機能の開発も鋭意進めています。

量子情報通信技術の研究開発

光は波であるとともにエネルギーの粒、光子の集合体でもあります。20世紀の終わりには、光子が示す直感を超えた不思議な 性質が次々と実証され、さらにそれが情報技術に大きな革新をもたらすものであることがわかってきました。例えば光子が 従う量子力学の不確定性原理を使うことで、盗聴の完全な検知が可能になり、無条件に安全な量子暗号という技術が可能に なります。また、量子力学の重ね合わせの原理は、光子の異なる状態が複数同時並行で存在する状態の生成と制御を可能とし、 この原理を用いる量子符号化によって、従来の光通信では不可能だった大容量伝送が可能になります。21世紀はこれまで パラドックスに止まっていた量子力学の現象が、革命的な情報通信技術へ次々と生まれ変わってゆく時代になるでしょう。

これまで総務省とNICTでは、この量子情報通信の研究開発を戦略的かつ総合的に推進してきました。比較的実用に近い量子暗号に ついては研究開発推進部門(委託研究)を中心に推進し、既設ファイバを用いて世界最長96kmのフィールド実験に成功、 商用ファイバ上で14 日間連続運転を実現したオンボード量子暗号システムの開発、繰り返し100MHz で量子もつれ光子対を 発生させ20kmの量子相関の保持を確認するなどの成果をあげています。一方、基礎先端部門では、帯域や符号長を2倍に 増やしたとき2倍以上の情報が伝送される超加法的量子符号化利得を世界に先駆けて実証、半導体受光素子を用いた光ファイバ 帯での世界最高性能の光子数識別器の開発、時間波形制御された単一光子状態の生成などの成果をあげています。

光・量子通信ユニットでは、こうした成果を踏まえ、現在、産学官合計22 の研究チームが参加する量子情報通信研究代表者 会議を核にして、今後の重点課題やより効率的な推進方策・体制等について検討を進めています。2006年度からの次期中期 計画では、1) 都市圏対応型量子暗号システムの開発、2) 量子暗号長距離化のための量子中継技術の開発、3) 大容量化や次 世代標準技術を担う量子信号処理の研究、4) 基盤となる光源・検出技術の開発という4つの柱で研究開発を推進する計画です。

おわりに

以上述べたような光・量子通信ユニットの戦略課題を光・量子通信のロードマップの中で位置付けたものを図2に示します。 現在の光通信の自然な延長線上に光波制御による新技術を加え、毎秒ペタ(1015 )ビットの伝送レートを有するユビキタス ブロードバンドネットワークを実現する基盤とします。さらに量子暗号技術を融合させることで頑健な情報セキュリティが 確保されます。さらにそこから先にある毎秒エクサ(1018)、ゼッタ(1021)ビットのネットワークの扉を開けるのが 量子信号処理であり、長距離化のための量子中継技術です。最終的には、光通信と量子通信とが共存して、物理的制約や コストとの兼ね合いでそれぞれの長所を活かして未来の情報通信ネットワークが構成されることになるでしょう。

光・量子通信ユニットでは、関連分野の研究開発動向を見極め、NICTが取り組むべき最重要課題を抽出するとともに、 研究開発の実施・推進に当たって、研究プロジェクト間の連携を実現させるため、ユニットの中にPO (Program Officer)を 選任しています。今後、その意見をベースにして、光の波の性質から光子の性質まで一貫して制御する未来型情報通信技術の 研究開発を戦略的に進めていく予定です。


Q. "光が波である"とはどういうことですか。
A. 海の波は数メートルの長さで揺れながら伝わってゆきますが、光もよく見ると1ミリのさらに千分の一(ミクロン)ほどの長さで 揺れながら伝わってゆきます。短い揺れの光は青く見え、長い揺れの光は赤く見えます。七色の虹はそのようないろいろな光の 波が空気中を通るうちに分かれてできたものです。現在の光通信は、単に光が在るか無いかで0と1を表しています。これに対して 光の色や揺れの大きさ、さらには互いの波の位置関係を制御して、より高度な情報を表現し伝送できるのが光波通信です。
Q. "光は波でもあり、さらに粒でもある"とはどういうことですか。
A. 光の連続した波を水道の水の流れに例えてみましょう。蛇口を絞ってゆくと水道の水はぽつぽつと雨だれのようにとぎれ 始めます。光もどんどん弱くしてゆくと、同じようにぽつぽつととぎれ始めます。この光のぽつぽつとした粒は、雨だれの 水滴とは違ってそれ以上どうやっても分割できない究極の粒で、光子と呼ばれます。もちろん人間の目では弱すぎて見ること はできません。電気も電子と言う、それ以上分割できない電荷の粒の流れです。光子や電子のように、それ以上分割できない 粒を「量を計る 最小単位」という意味で量子と呼びます。

光通信から光波通信、そして量子通信へ
光ファイバ回線を使う光電話の利用が始まり、遠く離れた場所でもすぐそこに居るような通信が可能になってきました。 あと20年もすると自宅に居ながら、遠くの名医の診療を受けられる時代が来るかも知れません。そのためには、現在の電話回線 10億本分を、髪の毛より細い1本の光ファイバで伝送できる技術(毎秒ペタビットの伝送)や個人情報を漏洩や盗聴から 完全に守る技術が必要です。光波通信はそのような大容量通信を可能とし、光子を使う量子暗号は絶対に破られない暗号を 可能にします。