変容支援システムの開発を進めてきた。自転車の乗り方などの運動記憶は、手続記憶と呼ばれており、言語化が難しい脳情報である。運動記憶に介入して、高齢者や障害を持つ人の能力回復や、健常者の能力向上、ジュニアアスリートの育成などの支援を行う場合、言語型トレーニングを行うのが通常であろう。しかし、そもそも言語化が困難である情報を言葉で説明されてもうまく伝わらないことが多い。これに対して、CiNetでは「誤差を減らす方向に必ず修正を行う」というロバストな脳機能を活用して、無意識のうちに、確実に、動作を修正できるコーチングシステムを開発している。実応用ポテンシャルの大きい研究であり、興味ある読者は本誌の池上の稿やその参考論文を参照されたい[13]。また、ここまで脳活動の活性化に着目してきたが、fMRI計測においては比較対照群の脳活動に比べて活性が下がる部位があることが知られている。中枢神経系では、局所的な神経の抑制が機能的分離において重要な役割を果たすと考えられている。CiNetでは、感覚・運動課題実行中の脳のfMRI機能画像を広い年齢層の多人数から取得することで、脳の大規模ネットワークで起こる抑制機構の発達及び劣化を明らかにしてきた。人間の脳領域間における抑制機構が発達とともに成熟し、加齢に伴い劣化する。高齢者では運動野半球間抑制機能が低下しており、この抑制機能の低下は手指の巧緻性の低下と関連している。この抑制機能は左右の手で異なる運動を行う両手運動トレ―ニングで改善でき、この抑制機能の改善は手指の巧緻性の向上に関係していることを示している[15]–[17]。脳神経系における抑制という重要な視点を提供する成果であり科学的意義は大きい。また、脳の抑制システムの作動原理と加齢の影響を解明できれば、超高齢化社会において重要となる身体機能の機能維持や回復などの課題に対して、抑制機能の促進技術を応用できる可能性がある。社会の中の人間を形作る社会脳アリストテレスやダーウィンの観察が示したように、人間は社会性を持つ種であり、人間と他の動物を分ける決定的要因は、自ら作り上げた巨大な社会とその中に生きる人間の社会性である。この「社会」という文脈から人間の様々な行動特性や多くの諸問題が生まれる。他者の行為への注目という社会行動が発達の最も早期に現れること[18]や、他者との相互作用が日常生活の多くの行動や精神疾患と関連していること[19]を考えると、個人の脳機能に関する研究に続く研究課題は、他者との関係における脳活動であろう。人間の経済活動を人間の脳の仕組みから理解しようとする神経経済学をはじめ、心理学、言語学、哲学など様々な分野でも脳機能研究を通して人間を理解しようとしている現在、従来の脳研究の視点にはなかった「他者との関係における脳活動」、「社会的行動と脳活動」に着目した「社会脳」の研究が進んできている。CiNetにおける社会脳研究では、MRIデータやオンライン計測で収集する大量の行動データや性格・属性データに加えて、実世界の人間の社会行動であるSNSデータを加えたビッグデータを収集している。脳活動データとこれらの行動ビッグデータを合わせて解析することによって、現実の社会行動を反映し、信頼性の高い知見が得られることが期待されるからである。数理的に解析する実世界社会脳科学を提唱して、革新的な成果を挙げつつある。実社会における情動・意思決定機構を数理的に同定し、日常化してきたサイバー空間でのメンタルヘルスと意思決定を向上させることで、心的ストレスの改善、生きていることの充実感、個人間のコミュニケーション向上、潜在能力の発揮といった人間にとって高い価値を持ったICT技術の開発につなげる研究である。今日、仮想空間でのアバターの活用などが社会的に浸透してきている。この仮想空間においては、複数の人格を持つアバターを一人の人間が担うことが可能であり、一人の人間にとって多重世界ができあがることになろう。この多重世界を、人間の脳はいかに処理するのであろうか。また、多重世界に入り込むことで、脳がどのように変化していくのであろうか。これらの問いに答えることも、今後の社会脳研究に課せられた重要な課題である。詳しくは、春野の稿を参照されたい。実生活で脳情報通信を活いかす人と人のコミュニケーションは、言語を用いて主に行われる。しかし、情動や意識に上がってこない無意識の知覚などの脳活動、自転車の乗り方などの運動記憶は手続記憶であり、言語化が困難な脳情報である。CiNetでは、これらの言語化が困難な情報の伝達を実現する方法を脳情報通信技術が提供できると考え、非言語コミュニケーションや人間の潜在能力発揮を実現する新しいICTの創出を目指して、BMI(ブレインマシンインタフェース)技術の高度化に取り組んできた。長期間の脳内での使用に耐える生体適合性神経電極の作製技術とその多点高密度化や、脳活動マルチモーダル計測技術、体内外無線通信技術、脳活動から運動意図を解読する技術等の基盤技術の高度化により、身体機能の再建・補ほ綴てつ・拡張の支援等につながる研究開発を進めている。詳しくは、4-1海住の稿を参照された5672 人間の脳機能に倣った新たな情報通信技術の開発プロジェクト(CiNet Brain)
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