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覚刺激に対する感性評価の曖昧さを生じさせないために、嗅覚刺激そのものに対する感性評価ではなく、嗅覚刺激がもたらしたであろう、他の感覚(ここでは視覚)への影響を検証した)。はじめに、人間の嗅覚特性に合わせた、心理物理実験にも耐え得る嗅覚刺激提示装置として、Aroma Shooterを開発した[5](図8、左図上。主な特性として、香りの瞬時切替え、コンパクト設計、映像との同期提示ができる、などがある)。このAroma Shooterを使い、心理物理実験の手法を用いて、実験参加者にレモン、バニラの嗅覚刺激によって、モーションドット(中心から放射状に動く小さな白点、図8参照)の動きの速さを、「速い」か「遅い」の二択で判断してもらう実験を行った(図8、詳細は原著論文[6]を参考あれ)。その結果、同じ速さのモーションドットが提示された場合でも、実験参加者は無臭時に比べてレモンの香りが伴う時は遅く、バニラの香りが伴う時は速く感じることを発見した(図9左図)。また、この心理物理実験の結果を生理学的な観点からも検証するべく、fMRI装置内でほぼ同様の心理物理実験を行い、脳活動を調べた。その結果、香りによって視覚野(hMT: human middle temporal、V1: visual area 1)の脳活動が変わることが確認され(図9右図)、嗅覚刺激による視覚の変化、すなわちクロスモーダル情報処理の存在が生理学のデータからも実証された(図9、詳細は原著論文[6]を参考あれ)。こうした嗅覚刺激によるクロスモーダル現象は、これまで、感情や記憶のような高次の脳機能への影響が取り沙汰されることが多くあったが[7][8]、嗅覚刺激が映像のスピード感のような、脳機能の中でも低次の感図9左図:心理物理実験の結果 <グラフの縦軸はPSE(point of subjective equality:主観的等価点)の比率>を示す(無臭を1とする)。実験参加者は、レモン>無臭>バニラの順に、モーションドットを遅く感じた。右図:fMRI実験の結果と分析を行った脳部位、hMTとV1。視覚刺激であるモーションドットの情報処理にかかわるhMTとV1の活動が、嗅覚刺激によって変化していた。図8左図上:Aroma Shooter 左図下:実験風景。 右図:実験デザイン。実験参加者は、レモンか、バニラか、無臭の香りを1秒間噴射された後にモニターに提示されるモーションドット(1秒間の提示)の速さを答えた。図7嗅覚刺激に対する感性評価は、曖昧な表現や、嗅覚刺激から喚起させられる香りの情報以外に対する感覚なども含まれることが多く(すっきりする、落ち着く、癒される、など)、科学的、定量的に研究することが困難な場合が多い。図中は全て、香りに対する感想と思われるが、科学的、定量的な嗅覚情報処理の研究として取り組むことができる反応は、真ん中の「コーヒーの香りです」のみかもしれない。科学的、定量的に人間を研究するということは、時に無味無臭に感じられることも多い。30   情報通信研究機構研究報告 Vol.68 No.1 (2022)3 ICTの最適化のための脳情報通信技術

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