る(邪魔をする)ことも報告されている。このように視対象の処理はその対象に関する知識などの「文脈」によって大きく影響を受けることが知られている。では、3Dの知覚は文脈によってどのような影響を受けるのだろうか。その効果を調べるfMRI実験を実施した。研究手続きや解析手法は研究代表者らがこれまでに実施したfMRI研究[7][8]を踏襲した。また、文脈として、立体構造として可能であるか(錯視などの研究でも利用され、エッシャーの絵やペンローズの三角形などに代表される、いわゆる可能・不可能図形)、立体構造がよく知っているものであるか(顔と不規則な凹凸構造)、の2つを利用した視覚刺激を利用した。なお、本研究は香港大学心理学部の研究者らとの共同で実施した。両眼視差は、左右の網膜に映る像のズレを意味し、最も重要な奥行き手掛かりのひとつであり、現実の3D視覚世界で様々なタスクをこなす際に重要な手掛かりである。実際、視差情報は、把は持じ、カモフラージュの解除、表面反射率の推定にとって重要であることが示されているが[9]-[11]、ヒト心理学研究では両眼視差のみから奥行き間隔を判断することの不正確さも指摘されている[12][13]。また、両眼視差情報の脳内処理メカニズムを調べた研究では、背側及び腹側皮質の階層的な複数の視覚野によって両眼視差から奥行きが再構築されることを示した研究が多く報告されている[14]-[17]が、こうした研究の知見は、日常世界で一般的に目にするものとはほど遠い非常に単純化したパターン(ランダム・ドット・ステレオグラムなど)の観察とテストを通じて得られたものであった。電気生理学的な計測手法を用いた研究では、細かな視差を弁別するタスクと、ノイズの中から荒い奥行きを検出するタスクとで担当する視覚領域が異なることが示されてきた。人間においても、背側視覚経路と腹側視覚経路のそれぞれに沿って、ノイズからターゲット刺激の視差を粗く検出する反応と、細かい奥行き情報を検出する反応との解離が報告されている。ここで、これらの研究では上に述べたとおり、単純化した刺激しか用いられてこなかったため、奥行き検出タスクの違いによって担当する脳の部位が異なるのは、刺激が単純過ぎること、あるいは極端すぎることにより見かけ上得られたアーチファクトである可能性も拭いきれない。もし、より複雑あるいはリアルな刺激を用いた場合、脳活動はそれほど単純に分離できるようなものではないのではないだろうか。いくつかの先行研究では、3Dの凸形状を用いて、その識別には、おそらく輪郭の分割と曲率の詳細を識別する必要から、腹側及び背側の視覚野(V7、POIPS)両方の活動が必要とされることを示した。さらに、V3とV3Aは単純化した幾何刺激を用いた先行研究ではあまり顕著に現れない領域であったが、3Dの傾きと曲率の処理に重要な役割を果たすことも明らかになった[7]。これらの結果は、従来の研究では3D知覚に対する高次の脳領域間の相互作用の重要性が見過ごされてきたことを示唆している。このような相互作用が心理行動的な指標に反映される可能性を考えると、これは見過ごせない研究テーマである(例えば、上に述べたとおり、奥行きの知覚感度は、その物体がなんであるかを知っていることで影響を受ける)。このことを調べる1つの方法は、立体刺激に対する神経応答が、物体の形状情報(実世界でありえる形状か、不可能な形状なのか)の変化によってどのように影響を受けるか、その効果を定量的に計測することであろう。そこで我々は、3D物体情報の文脈を付与する ― すなわち、物理的妥当性を操作する(いわゆる可能・不可能図形)、あるいは3D物体情報に知識の影響を組み込む(顔の形状とランダムな凹凸形状との比較など)ことによって作り出した複数の3D形状を視覚刺激として用い、それらの刺激に対するfMRI脳活動を計測することで上の疑問に答える研究を実施した。ここで、この仮説は突拍子もないものではないことを強調したい。実際、多くの視覚特徴の知覚や検出が物体の文脈に影響されることが示されている。例えば、人種は顔刺激の輝度判定を変調させ、物体の自然な色(バナナは黄色、など)はその物体の絶対的な知覚色に影響を与える[18]。さらにMurrayらの2002年の報告によると、ヒト第一次視覚野の応答は、高次物体処理領域の活動によって調節されることを示している[19]。fMRI計測実験の結果、物体の文脈(可能・不可能図形、すなわち、物理的なもっともらしさ)が、両眼視差で定義された奥行きの弁別感度や脳活動に影響を与えることが示された[20][21]。具体的には、ノイズに埋もれたターゲットの奥行き位置を判断する課題(SNR 課題)と、コヒーレント刺激間の微細な視差を識別する課題(特徴課題)の両方において、ありえない物体(特にありえない三角形刺激)や意味のない凹凸形状に対する検出閾しき値いちが低かった(すなわち、なじみのない図形に対する奥行き判断成績の方が優れていた)。さらに、このような奥行き弁別課題を遂行中の脳活動に文脈がどのように反映されるかを調べた結果、V1、V2、V3、V3A、V3B、V7とLOCといった多くの視覚野において、もっともらしい三角形刺激とありえない三角形刺激に対する反応パターンが異なることが明らかになった。すなわち、これら複数の脳領域に文脈の影響が反映されていることが示された。また、顔形状の文脈は、紡ぼう錘すい状回の活動に反映されていることが明らかになった。紡錘状回は顔に選択的に応答する領域であることが示されていたが、今回の研究結果から、その領域の応答には立体情報も含有していることが示36 情報通信研究機構研究報告 Vol.68 No.1 (2022)3 ICTの最適化のための脳情報通信技術
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