を柔軟に変えている、というものである。脳研究における行動学実験の重要性今回、紹介する研究は行動学実験の内容である。「行動学実験は心理学でしょ?脳と関係ないよ」とよく勘違いされるので、ここで補足しておく。私たちの基本スタンスでは脳を情報処理の機械と仮定する。そして、実験では入力情報(環境から得られる感覚刺激)を操作することで、出力情報(知覚報告、運動反応)がどのように変化するかを計測し、そこから、脳内で行われている情報処理を類推し、モデルを考える。つまり、脳の情報処理機構を明らかにするという点では、行動実験も脳研究の重要な要素であるといえる。むしろ、行動実験から精緻な情報処理の仮説を作った上で、それがどのように実装されているのかを調査するのが脳活動計測実験である。現在、「脳研究における行動実験の重要性をもう一度見直そう」という潮流が勃興している[2]。本稿で紹介する研究は、行動学実験を通して、感覚情報の情報処理が運動実行のプロセスに依存することを示すものである。運動準備のプロセスは準備中の視覚情報処理を促進する 野球の神様と称えられた川上哲治の逸話に、「球が止まってみえる」という発言がある。川上哲治だけでなく、テニスのジョン・マッケンローなども同様の発言をしている。しかしこのような知覚は本当に生じるのだろうか?私たちは、一般人でも狙いを定めて素早く手を動かそうと準備している最中には、時間がゆっくりと経過しているように感じられること(運動準備時間延長錯覚)を明らかにした[3]。実験の参加者は、画面上の白い円の呈示時間判断を行った。白い円の呈示時間は試行ごとに0.7秒から1.6秒のあいだで変化した。参加者は、各試行後に、白い円の呈示時間が全体として短いほうに分類されるか、長いほうに分類されるかを答えた(図1)。各試行は、参加者のボタン押しによってスタートし、以下の二条件ともに、白い円の呈示中も参加者はボタンを押し続けた。運動準備条件では、白い円が消えたら、参加者はボタン押しをしていた手を放し、白い円を囲んでいた円枠のなかに向けて素早く到達運動を行った。ここでは、参加者にしっかりと運動準備をさせるため、白い円が消えてから0.5秒以内に到達運動を開始するように制限した。そして到達運動完了後、上述の白い円の呈示時間判断を行った。一方、統制条件では、白い円が消えても、参加者はボタンを押したまま到達運動は行わず、白い円の呈示時間判断を行った(図1)。上記の二条件間では、白い円の呈示されている間の視覚入力も運動出力も同一であったが、到達運動の準備の有無が異なった。実験の結果、運動準備条件では、統制条件に比べて白い円が長く呈示されていたように感じられることが分かった。更なる実験により、1)到達運動の標的の位置を運動開始まで分からないようにして運動準備を十分にできないようにすると、知覚時間の延長作用は減弱すること、 2)運動準備中に点滅する円を見せると、点滅のスピードがゆっくりと感じられることが明らかになった。それでは、どのような情報処理によって、時間の知覚が変化しているのだろうか?運動を準備することによって、単位時間当たりの感覚情報の取得量が増えるため、その量が時間を長く感じさせ、同時に、変化(点滅)のスピードを遅くさせる23図1 運動準備と時間知覚の実験概要短い?長い?40 情報通信研究機構研究報告 Vol.68 No.1 (2022)3 ICTの最適化のための脳情報通信技術
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