のではないかという仮説を立てた。この仮説に基づき、運動準備中に素早く文字を提示してそれを認識する課題を行うと、運動準備中は、運動を準備していないときと比較して文字の認識率が上昇していることが突き止められた。以上の実験の結果から、素早い運動を開始しようとしているとき、その運動準備が十分にできているときには、時間が長くゆっくりと感じられること、そして、時間が長くゆっくりと感じられるのは、運動準備中に視覚情報処理の能力が上昇していることによって生じていることが示された。では、この運動準備に伴う、視覚刺激の知覚時間の延長、すなわち視覚情報処理能力の上昇は、脳にとってどのような意義があるのだろうか?素早い運動は「バリスティック運動(弾道)」とも呼ばれ、一度開始するとなかなか途中では止めることができない。 しかし、外界は目まぐるしく変動しており、せっかく準備した運動計画を変更しなくてはならない事態がしばしば起こる。運動準備に伴う視覚情報処理の促進には、このような事態を運動開始前に速やかに検知し、外界の変化に応じた運動準備の変更を可能にするという役割があるのかもしれない。これは、今後の研究で明らかにしなければならない点である。以上の結果は、「運動準備」という、視覚情報を処理するためには一見、何の関係もない運動システムの処理が、知覚・認知システムの処理を促進するという、両システムの相互作用を示す一例であるといえる。運動にかかる負荷は知覚意思決定を変容する イソップのキツネと葡ぶ萄どうの寓話では、キツネは跳びあがってもなかなか届かないところにある葡萄を「熟れていないんだ!」と判断する(図2)。寓話では、このキツネの判断は負け惜しみとして描かれている。しかし、果たしてキツネは本当に負け惜しみを言っているのだろうか?それとも跳びあがるという運動行為にかかる労力によって、実際に葡萄が「熟れていない」ように見え、そのように判断した可能性はないだろうか? 私たちの研究で、運動の労力が判断対象の見た目すらも変えてしまうことが明らかになった[4]。目の前のコップを取るのと、棚の中のコップを取るのとでは、目的は同じでも運動行為をする際にかかる労力が異なる。この実験では、画面上の点の動きを判断する課題のパフォーマンスが、その判断を表出する行為にかかる労力(運動行為の負荷)によってどのように変容するのかを調査した。被験者は画面の中心に表示される多数の点の動きが、全体として右に動いているのか、左に動いているのかを判断する課題を行った(図3左)。これは一般的に「知覚意思決定課題」と呼ばれる。入力される感覚情報の特徴を知覚して判断を下す課題だからだ。通常、この判断には単純なボタン押し等が使われることが多いが、この実験では、両手にはそれぞれハンドルを握り、右に点が動いていると判断した場合には右手のハンドルを、左に点が動いていると判断した場合には左手のハンドルを動かしてもらった。最初は右のハンドルと左のハンドルを動かすために必要な力(負荷)は同一に設定されているが、途中から片方のハンドルを動かすための負荷が徐々に増大する。負荷は時間をかけて少しずつ増大し、最終的には両手間で2倍弱ハンドルを動かすのにかかる負荷が異なる状況であったが、被験者は両手間の負荷の差に気が付かなかった。そして、両手間で負荷に差がない場合と、ある場合で、点の動きの判断のパフォーマンスを比較した。すると、被験者は運動負荷の存在に気が付いていないにも関わらず、運動負荷の大きな方向の視覚判断を避けるようになった(図3右)。これは、「知覚意思決定」という感覚入力にのみ依存していると考えられてきたものが、感覚入力とは全く関係のない、反応の際の運動行為にかかる負荷による影響を受けてしまうことを意味している。では、この知覚判断に影響を与えた運動負荷は、「葡萄の熟れ具合」といった見たものの知覚判断そのものを変化させたのだろうか、それとも、見たものの知覚判断は保ったまま、「つらい運動はやめる」というように運動行為の選択のみを変化させたのだろうか?この問いに答えるために、被験者は上の実験と同様に負荷に差のあるハンドルを使って、点の動きの判断を行った。そして、運動負荷の高い判断を避けるようになった時に、今度は手を使わずに口答で判断を行ってもった(図4)。もし、点の動きそのものに対する判断が手の運動負荷によって変化したのであれば、口答で判断4図2 イソップの葡萄とキツネの例413-5 身体運動の状態に依存した知覚情報処理
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