反映するとされる負のBOLD信号である[2]–[8]。我々は、人が認知・運動課題を遂行する際に、様々な脳領域で計測される負のBOLD信号に着目し、脳の領域間で起こる抑制機構の調査を進めている。負のBOLD信号は、BOLD信号の減少を意味する。BOLD信号は主にシナプス活動という神経系への入力と関係しているので、負のBOLD信号はこの入力の減少や抑制を反映すると考えることができる。脳の抑制機構の機能的意義の理解を促進するためには、脳を実際に計測する実証的研究だけでは限界がある。そこで、我々は主にスパイキングニューロンモデルを用いた計算モデルによるシミュレーションにより、脳の計測では実証が難しい現象を、シミュレーョンを通して再現し、抑制機構の機能的意義を証明する研究も行っている。このような計算モデルによるシミュレーションは、脳情報通信融合研究センター(CiNet)が目指す人工脳(CiNet Brain)の作成に資するものである。本稿では、まず、2で、ネットワーク情報処理における抑制機構の機能的意義に関する計算モデルのシミュレーション結果を紹介する[9][10]。ここでは、脳の局所的な抑制の減弱が、ネットワークの情報伝達量の減少を引き起こす可能性を紹介する。続いて、これまで我々が行ってきた実証的研究のうち、いくつか焦点を絞って紹介する。若年成人が、単純な右手の感覚運動課題を行う際の脳活動をfMRIで計測すると、運動とは無関係な視覚野や聴覚野で起こるクロスモダル抑制や左右第一次運動野(以下、運動野と略す)間の半球間抑制機構による同側(右)運動野の抑制などを観察することができる[11]–[13]。重要なことに、これらの抑制機能は成長とともに発達し、高齢化とともに低下する[12][13]。そこで、3では、クロスモダル抑制の機能的役割や発達的特徴などに関する研究成果を紹介する[12]。その後、4では左右運動野間の半球間抑制について解説する。ここでは、右手運動中の同側(右)運動野の抑制(=左運動野から右運動野への抑制)の機能について紹介しながら、これが高齢化とともに機能低下し、この抑制機能の低下が右手指の器用さに悪影響を及ぼすことを示す[14]。最後に、5で高齢化により低下した左右運動野間の半球間抑制機能は両手指のコーディネーショントレーニングにより再活性化でき、これが手指の器用さという運動パフォーマンスの改善にもつながるという最新の研究成果を紹介する[14]。脳の局所的な抑制の減弱が引き起こす ネットワークの情報伝達量の減少 脳内での抑制機構の重要性を理解するため、脳内で局所的に変化した興奮性と抑制性細胞の活動のバランス(Excitation/Inhibitionバランス: E/Iバランス)の変化がネットワーク内の細胞の自己組織化や情報伝達に与える影響を、興奮性細胞と抑制性細胞の活動を表現するスパイキングニューロンモデル[15]を用いて構成した計算モデルを用いて調査した。このモデルでは、2図1 スパイキングニューロンモデルによるシミュレーションa:定型のE/Iバランスをもつスパイキングニューロンモデル b:抑制を減弱させたスパイキングニューロンモデル c:aのモデルでの細胞グループ間での情報伝達 d:bのモデルでの細胞グループ間での情報伝達52 情報通信研究機構研究報告 Vol.68 No.1 (2022)4 いつまでも健康で幸せな生活のために:ヒトの脳機能を補助・拡張するための研究・技術開発
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