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一つの脳領域を想定した細胞グループ10個でネットワークを構成した。一つの細胞グループには1,000個の細胞を配置した。大脳皮質の興奮性細胞と抑制性細胞の数の比はおよそ4対1といわれているので、各細胞グループには、800個の興奮性細胞と200個の抑制性細胞を用意した。各細胞は各細胞グループ内及び細胞グループ間で結合した。この状態を定型としてシミュレーションを行った(図1a)。シミュレーションでは、各細胞間の結合荷重は可塑性をもち、生理学的に妥当なヘブ則の一種であるスパイクタイミング依存性の可塑性則[16]によって自己組織化された[9][10]。このようにして作成したモデルにおいて、局所的な細胞グループ内のE/Iバランスの変化が、ネットワーク内の情報伝達に与える影響を調査するため、ネットワーク中の一つの細胞グループの抑制性細胞の数及び結合重みを変化させてシミュレーションを行った(図1b)。その結果、E/Iバランスが定型(抑制性細胞=200個、抑制結合重み=5)の状態(図1a)から、抑制性細胞の数と結合の重みを減少(抑制性細胞=100個、抑制結合重み=1)させると(図1b)、細胞グループ間の情報伝達が低下することがわかった(図1c、d)。さらに、抑制を減弱させた細胞グループと結合をもつ細胞グループ間の情報伝達量が減弱するだけではなく、抑制が弱い細胞グループと直接結合を持たない細胞グループ間同士でも情報伝達量が減弱することを確認した(図1d)。これは局所的な抑制機能の低下が、ネットワーク全体の情報処理の低下につながる可能性を示唆している。以下で詳しく述べるが、人の脳では高齢化に伴い、様々な脳領域で抑制機能が低下している。このシミュレーション結果は、抑制機構が十分に機能していない脳領域があると、その領域から別の領域への情報処理能力が低下し、ひいては脳のネットワーク全体の情報処理能力も低下することを示しており、高齢者の脳ではこのような現象が起きている可能性を示唆している。クロスモダル抑制の機能的役割と 発達的特徴          初期のfMRI研究より、視覚課題遂行中には聴覚野が抑制され、反対に、聴覚課題遂行中には視覚野が抑制されることが示されている[11]。このような抑制は、脳の異なる感覚領域間で起こるクロスモダル抑制と呼ばれ、ある感覚情報処理を行っている際には、この感覚情報処理に無関係で不必要な感覚からの干渉や入力を抑えて、この処理に集中するために存在する抑制と想定されていたが、その証拠はこれまでなかった。我々は、音のタイミングに正確に合わせて右手の運動を行う課題を用いて、クロスモダル抑制の機能的役割を調査した[12]。この結果、若年成人の脳では、運動中に第一次視覚野が抑制されていることがわかった。非常に興味深いことに、第一次視覚野の活動を強く抑制できているときほど、音に合わせた正確な運動ができていた(図2a)。この事実は、運動中の第一次視覚野の抑制は、この課題にはあまり重要ではない視覚野からの干渉や余計な入力を抑制して、音に合わせた運動に集中することを可能にしていると考えることができる。スポーツの場面などで集中して演技をしていると観客の歓声などが聞こえないことがある。このような場合、脳は聴覚野を抑制していると推測できる。このようにクロスモダル抑制は、遂行する課題に無関係な感覚からの干渉や入力を抑えて、目的とする課題遂行に集中するために役立つ抑制であることが証明された。前述の課題を用いて更に研究を進めると、クロスモダル抑制は成長とともに発達することがわかった[12]。一般に、後頭葉視覚野から頭頂葉に情報が送られる経路は背側視覚経路と呼ばれ[17]、視覚と運動の協調において重要な役割を果たす。音に合わせた右手運動中にみられるクロスモダル抑制はこの経路を遡るように発達していた(図2b)。例えば、8-11歳の小学生の場合、右手運動中には頭頂葉にしか抑制はみられない。12-15歳の中学生では、頭頂葉に加えて、後頭葉の背側に位置する高次視覚野でも抑制がみられたが、第一視覚野の抑制はみられなかった。成人になってはじめて第一次視覚野にまでおよぶ広範囲の抑制がみられた。運動野から第一次視覚野への直接の神経投射の存在は知られていないので、運動野が第一次視覚野を抑制するためには、いくつかのシナプスを経由する必要がある。このような抑制の経路はいまだ明らかにはされていないので、今後の更なる研究が必要であるが、この研究[12]は、脳の感覚領域間で起こるクロスモダル抑制の発達過程を世界ではじめて可視化した研究である。脳は、まず、比較的距離の近い局所的な機能的連携が成熟し、その後、遠距離にある領域間の機能的連携が成熟するという原理に基づいて発達する[18]–[21]。我々の研究結果は、脳の領域間抑制機構も比較的距離の近い領域間から成熟し、その後、遠距離にある領域への抑制も可能になるという同一原理があることを示唆している。クロスモダル抑制は成長とともに発達する一方で、高齢化に伴い機能が低下する。つまり、発達期と高齢期には、この抑制機構が十分に機能していない時期が存在する。このような時期の脳は、ある課題遂行中に、この課題に無関係な感覚からの干渉や入力を抑えにくいことを意味する。具体的な影響に関しては、今後の3534-2 人の脳機能改善及びパフォーマンス向上のための研究開発:脳を適切に作動させる抑制機構の重要性

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