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げる。あなたが打ったボールは、意図した軌道からは逸脱してしまったが、それでもグリーン上に落ちたとする。この場合、あなたはボール軌道の誤差を考慮し、次のショット動作を修正するだろう。しかし、もしボールがグリーンの外に落ちた場合、次のショットの修正は先の例と異なる可能性が高い。あなたはショット動作を修正するだけでなく、ボール軌道に関する運動計画を大きく修正するであろう。ゴルフにおいてグリーンを外すことは、多くの場合、追加のアプローチショットが必要になるため、失敗とみなすことができる。このように失敗が存在する場合は、動作の“実行”(ゴルフの例では、計画したボール軌道を実現するための運動指令)だけでなく“計画”(ボール軌道の計画そのもの)の修正を伴うことが多い。しかし、過去の運動学習研究では、失敗が存在しない状況下の適応行動に主な焦点が当てられてきた。よって、失敗の存在下における脳の運動適応機構については理解が進んでいなかった。運動適応は、ロボットマニピュランダム(運動中の手先に任意の力を付加することができるアーム型実験装置)を利用した新奇な力場環境下の到達運動課題を用いて盛んに研究されてきた[10][11]。最も一般的な速度依存力場(VDCF:velocity-dependent curl field)(図1C)の環境下では、実験協力者がターゲットに向かって手を伸ばすと、手先の速度に比例した大きさの外力が手先の運動方向と直交する向きに発生する。手先の速度は、運動途中に最大値を示すベル型の変化を示す[12]。よって、実験協力者の手先には運動途中で最大の力が負荷され、手先軌道はスタート地点からターゲットを結ぶ直線軌道から大きく逸れてしまう。しかし、試行を繰り返すにつれて、実験協力者は直線的な軌道を学習する。このような運動適応を調べることによって、脳が新奇環境の物理モデル(内部モデル)を学習し、運動指令を試行ごとに更新する計算機序が明らかにされてきた[13][14]。ここで注意すべきことは、VDCFの適応過程では、手先がターゲットに近づくにつれて、手先は減速し、外力が小さくなることである。そのため、手先軌道は運動の半ばで乱されるものの、運動中の修正によって手先はターゲットに到達することができる。つまり、この力場課題では、失敗の存在下における運動適応は調べることができない。我々は、失敗が運動適応に与える影響を調べるために、新しい力場課題を開発した(図1C)。この力場は、スタート地点からの手先位置に比例した大きさの力場が横方向(x軸方向に)発生する。よって、Linearly increasing position-dependent force field(LIPF)と名付けられた。LIPFはターゲット付近で最大の外乱を発生させるため、大きなターゲットエラー、つまり失敗を生じさせる。我々は、失敗が存在する運動適応には、これまで主に研究されてきた内部モデルの学習だけでなく、別の学習過程、具体的には軌道計画に関連する学習の存在が反映されると予想し、実験を行った。結果、課題が失敗した場合にのみ観察される2つの興味深い現象を発見した。1つ目は、LIPFの学習・脱学習過程において、手先軌道の変化が非単調の変化を示すこと。2つ目はLIPFの脱学習後(力場なし環境)の手先軌道が曲線軌道に収束すること。これらの現象は、課題が常に成功するVDCFでは生じなかった。この2つの現象について以下で説明する。2.1失敗の存在下で生じる非単調な手先軌道の変化我々は、ロボットマニピュランダムを使った腕到達運動課題(図1A)を用いて、失敗を生じない力場(VDCF, 図1C)と失敗を生じさせる力場(LIPF)の運動適応・脱適応過程を比較した。運動適応の指標として、軌道エラーとターゲットエラーを用いた(図1B)。VDCFの適応では、力場がかけられた直後、実験協図1到達運動課題と力場 (A): 実験協力者は右手でロボットマニピュランダムを操作し、画面上のカーソルをターゲットに命中させる。右腕はテーブルの下にあり、実験協力者は自分の腕を直接見ることはできない。スタートの合図後できるだけ素早く運動を開始する。(B): 運動終端において手先の速度が20mm/s以下になると、強力なバネ力が手先にかかり、手先がその位置に固定される。これにより、確実にターゲットエラーを生じさせることができる。(C): ターゲットエラーが生じない速度依存力場(VDCF)と生じる位置依存力場(LIPF)。手先がターゲットへの直線軌道を描くと仮定し、力場によって手先に負荷される力が影付き図形で示されている。60   情報通信研究機構研究報告 Vol.68 No.1 (2022)4 いつまでも健康で幸せな生活のために:ヒトの脳機能を補助・拡張するための研究・技術開発

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