HTML5 Webook
89/112

CiNetは昨年10周年を迎え、現在12年目を迎えています。私は、CiNet立ち上げから関わらせていただき、今年4月に北澤茂センター長にバトンタッチするまで11年間CiNetのセンター長をさせていただきました。多くの方に本当にお世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。私はCiNet発足の10年以上前の1990年代後半に、NICTの前身である通信総合研究所(CRL)の生体物性研究室長 中山治人さんと生物分子モータに関して議論するために西明石の研究所に時々通っていました。そんな中、当時私たちが筋肉分子モータで発見していた“生物ゆらぎ”のしくみは、階層を超えて脳でも働いているはずだ!と主張していると、じゃあCRLで研究を始めてみたらとお誘いを受けました。まさかと思っていたら、1998年本当に柳田結集型プロジェクトとして、それまで脳の研究などやったことのない私にチャンスが与えられたのです。大学ではこんな大胆なことは起こらなかったでしょう。NICTの肝っ玉の大きさに感動しました。成果、評価と世知辛い今とは違って、その分野での業績が無くても研究計画が面白ければ通すというおおらかな良き時代だったとも思います。私は筋肉分子モータの研究をしていましたが、脳研究について全くの門外漢であったわけではありません。1980-90年代に所属していた大阪大学基礎工学部生物工学科には日本のシナプス可塑性研究の創始者のひとりである塚原仲晃教授(1985年日航機事故で逝去)がおられ、研究室の川人光男さん(現ATR(株式会社 国際電気通信基礎技術研究所)脳情報通信総合研究所長)らと交流(主に遊びでしたが)があったので脳研究にある程度の親しみはありました。また、近年の深層学習をベースにしたAIの飛躍的進展の基盤となっているネオコグニトロンの発明者である福島邦彦教授もおられ、毎年学部、大学院の卒業研究発表を聞いていたので(昔は学生の発表に他研究室も含め学科の教員全員参加していました)、AIにも少しは親しみがありました。今から思えば、生物物理の大沢文夫先生、脳科学の塚原仲晃先生、AIの福島邦彦先生、そして数理生物の鈴木良次先生と各分野の世界的な教授がいる異分野融合的環境で研究できたことは、私のその後の研究方向に大きく影響したと思います。そして、CiNetの脳と情報の融合という新しい研究にも影響していると思います。さて、話を「ゆらぎと脳」のプロジェクトにもどして、メンバーはまず物理の素養があって脳研究をしてくれそうな人から探しました。一人は、東京大学理学部物理学科の学生時代に筋肉分子モータの研究をされていた時に交流のあった茂木健一郎さんです。大学院を出てケンブリッジ大でクオリアに関した脳研究をされている時に彼を訪ね、プロジェクトに誘いました。とても関心をもっていただいたのですが、すでにソニーに誘われていて実現はしませんでした。もう一人は、生物物理分野で複雑系のダイナミックスを研究されていた東京大学の清水博先生の研究室出身の村田勉さん(当時金沢工業大学)にお願いして参加してもらいました。その他、田邊宏樹さん(現名古屋大学教授)らも参加してくれて、数人のプロジェクトがスタートしました。メンバーの多くが脳研究をやったことのない素人集団で、CRLで脳研究をされていた宮内哲さんや藤巻則夫さんたちには本当にお世話になりました。一方、私が所属していた大阪大学(阪大)でも、生物ゆらぎのアルゴリズムを情報やロボットに展開するゆらぎプロジェクトが2006年にスタートしました(文科省科学技術振興調整費「先端融合領域イノベーション創出拠点の形成」プログラム)。総括責任者は宮原秀夫総長(後にNICTの理事長)で、西尾章治郎情報科学研究科長(後に、阪大総長)、村田正幸教授、石黒浩教授、そして私らがメンバーでした。宮原総長が退任され、続いて総長になられた鷲田清一先生も阪大の責任者として参加されました。文科省所管の阪大のキャンパスに総務省所管のNICTが研究員200人規模の研究センターを設立するというエポックメイキングな事が実現したのは、一つにはこのメンバーが阪大側の受け皿になったからだと思います。もちろん、NICTそして総務省のチャレンジングな構想があってのことですが。当時の宮原秀夫NICT理事長、加藤邦紘顧問、そして現場で実働いただいた益子信郎理事、大岩和弘未来6 【特別寄稿】11年の活動を振り返って6Special Contribution: Looking Back on 11 Years at CiNet 柳田 敏雄YANAGIDA Toshio856 【特別寄稿】11年の活動を振り返って

元のページ  ../index.html#89

このブックを見る