タイトル 非常時通信研究
大野 浩之
はじめに
  1995年1月の阪神大震災の際、既存のテレビ、ラジオや新聞は被災者への情報提供を積極的に行った。しかし、被災地の内外で多くの人々が「自分の肉親や知人が今どこにいてどうしているか」といった情報や「被災地域内の避難所がどのような支援物資を必要としているか」といった情報の提供が十分ではなかったと感じたという。インターネットは、この問題を解決できるだろうか。

非常時通信システムの開発
  被災後、電話回線が復旧しインターネットアクセスが可能になると、主に電子メールを利用した情報交換が始まった。しかし、メーリングリストを作る程度のことは行われたものの、被災者情報交換システムと呼び得るようなシステムは現れなかった。そのためインターネット技術を活用した「被災者支援情報交換システム」の必要性を多くの人が感じた。著者が参加しているWIDEプロジェクト(インターネット研究を推進する世界でも有数の研究グループの1つ、代表:村井 純慶應義塾大学教授)も例外ではなく「非常時にインターネット技術を駆使して問題解決を図るシステム」を研究開発すべくLifeline WG(ライフライン・ワーキンググループ)を発足させた。同WGの現時点での成果が本稿で述べるIAAシステムである。IAAは、「私は生きているぞ!」を意味する“I am alive”の頭文字を取って名付けられた。このシステムは、東京大学、東京工業大学、北陸先端科学技術大学院大学などの大学や民間企業の研究者が研究開発を推進してきたが、本年7月からはこれに本所通信システム部非常時通信研究室が加わり、研究開発において中心的な役割を担いつつある。なお、非常時通信研究室は、本年7月に室長以下室員全員の構成を一新して新たなスタートを切っており、IAAシステムの研究成果を礎に、災害時にその能力をいかんなく発揮する新しい情報通信システム(非常時通信システム)の研究開発を行っている。

IAAシステム と運用実験
防災訓練会場(9月1日)
 1995年に開発が始まったIAAシステムは、1年後の1996年1月17日には最初の公開実験にこぎ着け、2日間で数1000件単位の登録と検索を処理した。その後も毎年1月17日には公開実験を続け、常にその時点での最新版を投入してきた。また、1997年からは被災者支援広域情報ネットワーク推進協議会(会長:石田晴久東京大学名誉教授)とも連携し、9月1日の防災の日にも公開実験を実施するようになった。本稿中の写真は、1999年9月1日の公開実験の様子である。
 現時点でのIAAシステムの概要を図1に示す。IAAシステムは、個々の利用者がインターネットに接続して利用するユーザインタフェース部(主に図の上半分に示される)と、被災者情報を格納する分散データベース(図の下半分に示される)から構成されている。
図1 IAAシステム全体の概要
ユーザインタフェース部分
公開実験の様子(9月1日)
 被災者が自分の氏名や被災地や被災状況をインターネットに登録したり、被災地内外の人々が被災したと思われる人の安否を検索するサービスを司るのがユーザインタフェース部分である。避難先でパソコンが使えるとは限らないし、キーボードからの情報入力が現実的ではない方々のことも考慮し、登録や検索は WWWに限定せず多種多様なユーザインタフェースを用意している。 たとえば、回答用紙に必要事項を記入し、ある番号にFAXすると、サーバがこれを自動認識して登録処理を遂行する「IAA FAX サービス」や、音声ガイダンスにしたがってプッシュホンのボタンを操作するだけで登録や検索ができる「テレホンサービス」も用意した。FAXサービスは、記入済みの多数の回答用紙を一括して FAXサーバに送付する「バルク(一括)処理」にも対応している。なお、回答用紙に書かれた文字や記号の認識率はもちろん 100%ではないので、インターネット上で募集したボランティアに認識結果の確認作業を依頼し、認識率を事実上100%にする「FAX認識支援ボランティア」という新しい試みも併せて行っている。
 上記以外にも、電子手帳(PDA)や、Compact HTMLブラウザ機能を有する携帯電話を使った被災者情報登録システムの開発も行っている。

分散データベース部分
情報登録に挑戦する女性(9月1日)
 ユーザインタフェース部分で用意された登録情報や検索情報は、インターネット上に分散設置されている分散データベースサーバに送られる。分散データベースを採用したため、一部のデータベースサーバが故障して機能しなくても、情報登録や検索に支障がおきないし、特定のサーバへのアクセス集中も回避できる。
 分散データベースサーバは、データベースプログラムと、サーバ間でデータの同期を行うデータ同期機構からなり、これらによって被災者情報はインターネット上の複数箇所で分散管理され、検索は分散サーバのいずれか1台の上で実施される。分散データベースサーバをどのように実装するかは、難しく興味深い問題であるが、現在の実装では情報の登録や同期には既存のネットワークニュース配送システム(innシステム)の改造版を利用している。また、ユーザインタフェース部分から送られてくる情報や、分散データベース間で相互にやりとりされる同期のために必要な情報は全て暗号化するなどセキュリティ面には十分配慮している。

IAAシステムの配布
携帯電話を用いた登録操作を説明中の筆者(9月1日)
 現在のIAAシステムは、FAX自動認識機構を除くと全て PC UNIX上で実装されており、ソースコードは無料で公開することを前提に書かれている。IAAシステムは、必要な人が必要な時にインストールして自由に使い、自由に改良しながらその成果を共有するという開発方式を採用している。そのため、開発者自身も日頃からIAAシステムを動かし動作の検証を実施しているし、間近に迫ったソースコード公開後は、広く頒布して自由に利用していただく方針である。

今後の展開
 今後は、類似の目的のもとに開発された、他組織のシステムとの相互接続性の確保を急ぎたい。早ければ2000年1月17日には、相互接続性の検証を含む公開実験を実施する。
 その次のステップとしては、大規模な災害時の大量集中アクセスに対する耐負荷性能を向上させたい。仮に東京が大地震で被災し、数100万件という登録が一度に発生したら、PC UNIX上に構築した現在の分散データベースサーバでは処理能力が不足する。もちろんパソコン上に全てを構築できることは重要で、それで十分賄えるケースも多いと考えているが、超高速バックボーンネットワーク上に高速大容量の分散データベースサーバを構築しておくことも重要である。また、新たなユーザインタフェースの導入、携帯電話からのアクセスの改善、分散データベース上で取り扱う被災者情報を一層安全に取り扱う方法についても引続き検討する。
 ユーザインタフェース部分は、現状では 日本語、英語の2ヶ国語にしか対応していない。これではIAAシステムの機能を享受できない人々が生じてしまう。先日の台湾大地震後に中国語サポートの準備を急拠始めたが、IAAシステムを世界中に普及させようとするなら、国際化は必須である。この問題は単に文字コードの問題を解決すればよいといった単純な問題ではなく、各国、各民族、各言語のさまざまな事情に対する深い配慮が必要な、とても難しい問題である。しかし、避けて通ることはできない問題なので、正面から取り組んでゆきたい。
URL: http://www.crl.go.jp/ts/ts221/

(通信システム部非常時通信研究室長)



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