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経済的な不平等と、うつ病傾向を結ぶ扁桃体と海馬の機能を解明

~脳活動パターンから1年後のうつ病傾向を予測~

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2017年10月3日

国立研究開発法人情報通信研究機構
国立研究開発法人科学技術振興機構

ポイント

    • 扁桃体と海馬の“経済的な不平等”に対する反応から現在と1年後のうつ病傾向を予測
    • 特定の計算に対する脳活動パターンから予測をする機械学習の手法を考案
    • 脳活動計測に基づく、うつ病の長期病状予測や、うつ病の詳細な分類への貢献が期待

NICT脳情報通信融合研究センター(CiNet)の春野雅彦研究マネージャーらの研究グループは、扁桃体海馬の“経済的な不平等(自分と相手の配分の差)”に対する脳活動から、被験者の現在のうつ病傾向と1年後のうつ病傾向を予測できることを示しました。国内外の疫学研究から、経済的不平等とうつ症状の因果関係が示唆されてきましたが、その脳内機構は長年不明でした。今回、被験者にMRI装置の中で経済ゲームをしてもらい、取得した機能的MRI(fMRI)データの扁桃体と海馬のデータに、不平等に対する脳活動パターンから予測を行う機械学習手法を適用しました。その結果、現在と1年後のうつ病傾向を予測できることを見いだしました。不平等とうつ病をつなぐこの知見は、うつ病の長期の病状予測やうつ病症状の脳活動に基づく分類などヒトの気分変動のより深い理解への貢献が期待されます。
本研究は、NICT田中敏子研究員及びNHKスペシャル「病の起源・うつ病」(2013年放送)の取材に端を発する山本高穂チーフ・ディレクターとの協力による成果です。なお、本成果は、英国科学雑誌「Nature Human Behaviour」10月2日(英国時間16:00)号にオンライン掲載されます。

背景

経済的不平等(格差)の拡大は、現代社会が直面する最も深刻な課題の一つです。国内外の疫学研究により、経済的不平等とうつ症状の因果関係が示唆されてきましたが、その脳内メカニズムは不明でした。2010年に春野研究マネージャーらは、大脳皮質下に位置し、感情を司る扁桃体が“不平等”に対して反応し、その脳活動が自分と他者とのお金の配分の違いを説明することを明らかにしました。一方、扁桃体と海馬は、視床下部と共にストレス物質の放出に関与し、うつ病患者では、扁桃体と海馬の脳活動と体積が健常者とは異なることが知られています。これらの知見から、不平等に対する扁桃体と海馬の脳活動とうつ病傾向の変化が関係するとの仮説を持ち、実験を行いました。

今回の成果
図 扁桃体と海馬の位置(左)と経済的不平等に対する活動パターン(右)
図 扁桃体と海馬の位置(左)と経済的不平等に対する活動パターン(右)

今回、被験者にMRI装置の中で、相手から提案されるお金の配分を受け入れるか拒否するかを判断する“最終提案ゲーム”と呼ばれる課題を行ってもらい、fMRIデータを取得しました。“最終提案ゲーム”の目的は、自分と相手の配分の差に対する感情の働きを調べることです。扁桃体と海馬(図 左)の中の微小な場所が不平等に反応して作る脳活動パターン(図 右)から予測をする機械学習技術を考案することで、うつ病傾向の予測を試みました。その結果、現在のうつ病傾向と1年後のうつ病傾向の両方が予測可能であることが分かりました。
 一方、経済的な不平等とは関係のないほかの脳活動パターンや、被験者の様々な行動や社会経済的地位などからうつ病傾向を予測できるか検討したところ、無関係であることが分かりました。これらの実験結果は、経済的な不平等とうつ病傾向の関係において、扁桃体と海馬が果たす重要な役割を示唆しています(詳細は用語解説と補足資料参照)。

今後の展望

今後は、今回考案した機械学習技術を更に発展させることで、長期のうつ病傾向の予測精度を向上させること、現在は一括してうつ病とされている症状群の脳情報処理の違いの理解が進むことなどが期待されます。

掲載論文

掲載誌: Nature Human Behaviour
DOI: 10.1038/s41562-017-0207-1
掲載論文名: Brain response patterns to economic inequity predict present and future depression indices.
著者名: Toshiko Tanaka, Takao Yamamoto, Masahiko Haruno
 
共著者
NHK制作局 科学・環境番組部
チーフ・ディレクター 山本 高穂

プロジェクト

本研究の一部は、JST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「人間と調和した創造的協働を実現する知的情報処理システムの構築」研究領域における研究課題「社会脳科学と自然言語処理による社会的態度とストレスの予測」(研究代表者:春野雅彦)及び大阪大学COI(センター・オブ・イノベーション)の一環として行われました。

補足資料

今回の実験の詳細 -“最終提案ゲーム”-
図1 最終提案ゲームで被験者が見る画面
図1 最終提案ゲームで被験者が見る画面

[実験内容と結果]
94名の被験者にfMRI装置の中で、“最終提案ゲーム”という課題に取り組んでもらい、この時の脳血流量をfMRI装置で観測しました。“最終提案ゲーム”は、提案者が提案者と被験者の間のお金の配分を被験者に提案します。図1の例では、提案者は自分に269円、被験者に232円を提案しています。次に、被験者はこの提案を受け入れるか、拒否するかを決めます。被験者が提案を受け入れればお金は提案どおりに分けられ、拒否すればどちらの取り分も0円となります。“最終提案ゲーム”の目的は、自分と相手の配分の差に対する感情の働きを調べることです。
被験者が自分の取り分を多くするためには、全ての提案を受け入れるのがベストですが、不平等を嫌う人は、配分が20%より低い不平等な提案を拒否することが知られています。

図2 経済的不平等に対する扁桃体と海馬の活動パターン
図2 経済的不平等に対する扁桃体と海馬の活動パターン

今回の実験では、提案者と提案内容を変えて、被験者に56回の決定を行ってもらいました(図1参照)。様々な配分の提案をすることで、配分の差に反応する脳の場所を特定することが容易になります。
 
被験者は、あらかじめsocial value orientationという基準に従い、不平等を避ける人(向社会的: 59名)と自分の取り分を多くしたい人(個人的: 35名)に分類されました。
 
向社会的な人と個人的な人で、56回ある提案のタイミングの「相手の配分が自分よりどれだけ多いか」を表す経済的な不平等と脳活動との相関が異なる脳の場所として、左右の扁桃体と海馬が見つかりました(図2参照)。

図3 現在のうつ病傾向の予測
図3 現在のうつ病傾向の予測

横軸は各被験者のうつ病傾向の実際値、縦軸は機械学習による予測値を示し、一つの○は一人の被験者を示す。
実際値と予測値の間に正の相関が見られる。

MRI装置の中で“最終提案ゲーム”を行ったのと同時期に測定した各被験者のうつ病傾向を、不平等に対する扁桃体と海馬の脳活動パターンから予測することを試みました(テストするデータは学習には用いません)。その結果、うつ病傾向の実際の値と脳活動パターンからの予測値の間には、統計的に有意な正の相関(右上がりの直線)があることが分かりました(図3 参照)。このことは、現在のうつ病傾向が予測可能であることを示しています。

図4 1年後のうつ病傾向変化の予測

横軸は各被験者の1年後のうつ病傾向変化の実際値、縦軸は機械学習による予測値を示し、一つの○は一人の被験者を示す。
実際値と予測値の間に正の相関が見られる。

次に、1年後にも再度、うつ病傾向を計測した73名(向社会的: 47名、個人的: 26名)について、同じ扁桃体と海馬の不平等に対する脳活動パターンから、1年後のうつ病傾向の変化が予測可能か調べました。その結果、実際の1年後のうつ病傾向変化値と予測値の間にも、統計的に有意な正の相関(右上がりの直線)があることが分かりました(図4 参照)。
さらに、提案者や提案の提示などに関係するほかの脳活動パターン、“最終提案ゲーム”中の被験者の行動、被験者の社会経済的地位など、様々な情報から、現在と1年後のうつ病傾向予測が可能か検討しました。その結果、うつ病傾向の予測ができたのは、経済的不平等に対する扁桃体と海馬の脳活動パターンのみでした。これらの結果は、うつ病傾向を決める要因としての経済的不平等の重要性と共に、扁桃体と海馬がその脳内基盤であることを示唆しています。

付記

本研究の実施に当たり、事前に被験者全員に対して実験内容を説明し、同意を得ました。また、実験計画については情報通信研究機構及び玉川大学の倫理委員会の承認を受けています。

用語解説

扁桃体
扁桃体

扁桃体は、多くの動物と共通する原始的な脳の領域である。感情(情動)反応の処理と記憶において主要な役割を持つことが知られ、顔の表情の理解、恐怖条件付けなど、素早い状況判断に関係する(アーモンド状の青い部分)。
扁桃体の不平等に対する脳活動が他者との分配行動の個人差と相関することが、春野研究マネージャーにより2010年に初めて報告された(Haruno, Frith, Nature Neuroscience, 2010)。以降、そのことを支持するデータが神経科学や社会心理学の研究者からも発表されている。

海馬

海馬は、扁桃体の後部に位置し、記憶や空間学習能力に関わる領域である。扁桃体と海馬は、視床下部と共にストレスに関連する重要な領域である。ストレスが引き起こす生体反応のうち、視床下部-下垂体-副腎系(HPA系)は、うつ病との関連が示唆されている。
ストレス負荷により、視床下部から副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)が分泌されると、下垂体前葉からの副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の分泌が促進され、コルチゾールの分泌を促進する。海馬、視床下部、下垂体にはコルチゾールと結合する受容体が存在し、コルチゾールの分泌量が増大すると、これら受容体を介し、コルチゾール分泌量を抑制する。一方、扁桃体は、ストレスを受けコルチゾール分泌量が増大する方向に作用する。うつ病患者においては、扁桃体と海馬の体積及び脳活動が健常者と比べて変化していることが報告されている。

自分と相手の配分の差

ヒトは、自分と他者のお金や資源の配分の差を気にして意思決定していることが様々な研究で報告されている。今回の実験では、相手から提案されるお金の分け方(例: 提案者269円、被験者に232円)を受け入れるか拒否するかを判断する“最終提案ゲーム”と呼ばれるコンピュータ上のゲームを課題に用いた。経済的不平等の値として、提案された相手の取り分から被験者の取り分を引いた額が0より大きい場合にはその額を、小さければ0を用いた。経済的不平等と関係する概念としてsocial value orientationがある。

うつ病傾向

本研究では、うつ病傾向テストとして広く使用されているBeck Depression Inventory II (BDI-II)を用いた。BDI-IIは、過去2週間の気分に関する21の4択問題(0-3の選択肢から一つ選択)から成り、合計スコア0-13が極軽症、14-19が軽症、20-28が中等症、29-63が重症とみなされる。以下に、項目1 悲しさ、2 悲観を例として示す。うつ病傾向の長期変化を計測するため、同じ被験者に対し2013年と2014年にBDI-IIを実施した。
 
    1 悲しさ
      0 わたしは気が滅入っていない
      1 しばしば気が滅入る
      2 いつも気が滅入っている
      3 とても気が滅入ってつらくて耐えがたい
 
    2 悲観
      0 将来について悲観していない
      1 以前よりも将来について悲観的に感じる
      2 物事が自分にとってうまくいくとは思えない
      3 将来は絶望的で悪くなるばかりだと思う

特定の計算に対する脳活動パターンからの機械学習技術

脳活動に対し機械学習技術を適用し、情報解読を行う従来の研究では、ボクセルと呼ばれる脳の中の微小な場所(本研究では2×2×2 mm)における数秒間の平均脳活動を用いるのが通常である。しかし、平均脳活動は、(見る、計算する、反応するなど)様々な情報処理に関与する脳活動の混合であり、特定の計算過程に対する脳活動からの情報解読は難しかった。本研究では、この問題を解決する手法を用いた。
具体的には、経済ゲーム(“最終提案ゲーム”)の56回の試行において、相手の報酬が自分よりどれだけ多いかを示す変数(時系列)である経済的不平等と各ボクセルの脳活動の間の比例係数(回帰係数)が作るパターン(脳活動パターンと呼ぶ)から、現在のうつ病傾向、1年後のうつ病傾向変化を推定する。この脳活動パターンは、脳内の各ボクセルがどのくらい経済的不平等に反応しているかを意味する。

うつ病傾向を予測したいt番目の被験者の脳活動パターンと、被験者t以外の被験者1~nの脳活動パターンの類似度をカーネルと呼ばれる関数で計算し、これを重み付け(w1~wn)して足すことで推定を行う。この重みを今テストしたいt番目の被験者を除いたデータから学習し、予測能力を評価する(one-leave-out クロスバリデーション)。なお、今回用いた特定の計算に対する脳活動パターンからの機械学習技術は、ほかの様々な認知行動や精神疾患に関する予測や脳機能の理解にも有用であると考えられる。

2010年の春野研究マネージャーらの報告

Haruno, Frith, Nature Neuroscience, 13, 160-161, 2010

social value orientation

被験者に以下に例示するような三択問題を複数回やってもらい、3つのカテゴリーに分類する。競争的な人は5%程度であるので、本研究では、向社会的、個人的な被験者を対象とした。

向社会的 相手と自分の差をできるだけ小さくし和を大きくしたい(1に対応)
個人的   自分の取り分を多くしたい(2に対応)
競争的   相手よりどれだけ多いかを重視する(3に対応)



本件に関する問い合わせ先

国立研究開発法人情報通信研究機構
脳情報通信融合研究センター
脳情報工学研究室

春野 雅彦
Tel: 080-9098-3239
E-mail:

広報

国立研究開発法人情報通信研究機構
広報部 報道室

廣田 幸子
Tel: 042-327-6923
Fax: 042-327-7587
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JSTの事業に関すること

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