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リサーチ

生きた細胞を用いた新しい分子通信解析手法の開発 人為的に制御可能な素子を埋め込んだ細胞をつくり、利用する 未来ICT研究センター バイオICTグループ 研究員 小林 昇平

生きた細胞に学ぶ情報通信技術開発の意義

情報通信技術は、電話やインターネットをはじめとする様々な形で皆さまの快適な社会生活を支えています。しかし、その一方で、情報通信の頻度及び情報量の爆発的な増加によって、エネルギー消費量の増大や災害時におけるシステム安定性の確保の困難さなどといった新たな問題が生じています。これらの問題を根本的に解決するためには、既存の情報通信技術の改良だけでなく、既存の技術を補完し、場合によってはそれに取って代わるような新しい概念に基づいた情報通信技術の開発が必要になります。
 そこで未来ICT研究センター バイオICTグループでは、生物が持つ「自律性」や「環境適応性」といった優れた特性の仕組みを明らかにし、得られた知見を情報通信技術に応用するという全く新しい観点でこれらの問題に取り組んでいます。なかでも生物情報プロジェクトでは、生物を構成する最小機能単位であり、先述の優れた特性を兼ね備えている「生きた細胞」(以下「生細胞」という。)を対象に研究を進めています(図1)。例えば、生細胞が、内部に侵入してきた異物を効率的かつ特異的に認識し排除する仕組みや、環境変化に応じて細胞(細胞集団)が応答する仕組み等を解明し、そこから効率良い情報処理のルールを見いだしたり、生体分子を情報通信の媒介とした情報通信システムを人為的に構築したりできれば、エネルギー消費量やシステム安定性の問題を克服し、人や環境に優しい全く新しいタイプの情報通信技術の開発への道が開ける可能性があります。

図1●生物情報プロジェクトの研究概要

生細胞が行う「分子通信」

分子通信とは、情報通信の媒体としてナノスケールの化学物質(タンパク質やDNAなどの生体分子)を用いる通信方式のことです。分子通信は、生体親和性や水環境での使用などといった優れた特性を有しているため、光などの電磁波を媒体にした既存の技術を補完する、新しい情報通信技術の開発につながる可能性があります。
 生物は、莫大な数の生体分子の働きをうまく制御することで、「自律性」や「環境適応性」などといった優れた能力を発揮させ、全体としての「生命」を維持しています。この生存戦略、すなわち、同時並行で進む複数の分子通信の制御方法を参考にすれば、例えば、「世界中に散在しているコンピュータをつないで一つのネットワークシステムをつくるとき、システムを効率良く安定したものにするためにはどのようなルールが必要か」という問いに対する答えを見いだせるかもしれません。このような「生物に学ぶ情報処理ルール(バイオインスパイアードアルゴリズム)」を見いだすためには、まず、生物を構成する最小機能単位である「生細胞」が行う分子通信を解析し、理解することから始める必要があります。

制御可能な“生体-非生体ハイブリッド素子”を埋め込んだ細胞の創製

我々は、生細胞が行う分子通信を解析し利用するための第一歩として、生細胞の中に、人為的な操作が可能な人工素材を埋め込み、人為的な刺激に対する細胞応答を解析できる実験システムを構築しようと考えました(図2)。この実験システムの最大の特徴は、生細胞との親和性を高めるための“生体”分子を、“非生体”物質の表面にコーティングしている点です。我々はこれを“生体-非生体ハイブリッド素子”と呼んでいます。生体-非生体ハイブリッド素子は、実験目的に応じてその性状(大きさ、材質など)を容易に変更可能なため、非常に有用な実験ツールになると考えられます。例えば、レーザー照射等による細胞外からの刺激を、レーザー照射に応答性を持つ素子をねらって時間的・空間的に制御しながら行うことにより、生細胞内での分子通信はもちろん、全体としての細胞(あるいは細胞集団)の挙動などについて、より詳細に解析できると考えられます。
 我々はこれまでの研究で、生体-非生体ハイブリッド素子を実際に生きたヒト培養細胞の中に埋め込むことに成功し、さらに素子の周囲で人工的に膜形成を誘導することにも成功しました(図3)。今後、素子に応じて形成される膜に差が生じる仕組みを解明できれば、「生細胞内で、望みの位置に、望みの現象を引き起こす」ことが可能になると考えています。

図2●生体−非生体ハイブリッド素子を組み込んだ細胞の創製

図3●素子を用いた生細胞内における膜構造形成の制御素子Aと素子B(全体の1/4のみ表示)は、ビーズの材質及び表面にコーティングしている生体分子が異なる。

今後の課題

現在の研究をより発展させて新しい情報通信技術の開発へとつなげるためには、大きく分けて二つのステップが必須だと考えています。
 一つ目は、生体-非生体ハイブリッド素子をより便利なものにする試みです。例えば、素子の材料として様々な物質を選択的に保持できる中空ビーズや磁性体、生分解性素材といった機能性材料を用いることで、応用の範囲は大きく広がると考えられます。これを実現するためには、生物学や情報学だけでなく、ナノテクノロジーや有機・無機合成化学といった他分野との融合研究が非常に重要になってくると思われます。
 二つ目は、将来的な応用展開のイメージを発信し続けることです。現時点で我々は、生体-非生体ハイブリッド素子を組み込んだ細胞をセンサーや小型の機能素子(プロセッサ)等として応用する方法を模索しています(図4)。例えば、生体環境下に置かれたときの磁性体の特性(電波送受信能)の理解が進めば、環境モニタリングセンサーとしての利用や、医療支援分野におけるボディエリアネットワーク(BAN)等の概念と結び付けることができるかもしれません。ほかにも、生体適合性素子をつくるための反応場として利用するといった工学的応用への道も考えられます。
 人工機械が得意な部分と細胞や生体分子が得意な部分とを理解し分担することで、全体としてより良い情報通信システムをつくる。この新しい概念に基づいた情報通信技術の開発を目指して、これからも積極的に研究に取り組んでいきたいと思います。

図4●素子を組み込んだ細胞の将来的な応用例


Profile

小林 昇平 小林 昇平(こばやし しょうへい)
未来ICT研究センター バイオICTグループ 研究員
大学院博士課程修了後、2005年NICTに入所。生細胞への生体-非生体ハイブリッド素子の導入とその細胞内動態の解明に関する研究に従事。博士(工学)。

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