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電波を使った侵入者検知システムの開発  ワイヤレスネットワーク研究所 宇宙通信システム研究室 主任研究員  辻 宏之

はじめに

最近、セキュリティへの関心が高まり、ホームセキュリティシステムを導入する人も少なくありません。通常、人の侵入の検知や窓・ドアの開閉といった「イベント」を検知するためには、焦電型赤外線センサーやドアセンサーなどを侵入または対象物ごとに取り付ける方法が一般的です。しかし、すべての窓にセンサーを設置することは面倒であるばかりでなく、当初想定していない侵入経路・対象物は検出できないという欠点もあります。

NICTでは電波を使って夜間・休日で無人になった空間全体を丸ごと監視できる新しいタイプの侵入者検知システムを開発しました。このシステムは、部屋に1つ設置するだけでよく、今までの侵入センサーのように全ての窓や経路に機器を設置する必要がありません。しかも感知レベルの不安定さや物陰までは見通せないという欠点のある赤外線センサーをも全て置き換えてしまうことができる新しいセキュリティシステムを実現します。

開発のきっかけ ―失敗から学ぶ―

このシステムの開発は意外なところから始まりました。5年ほど前、卒業研究のため当時研修員であった慶応義塾大学の学生と、屋内の電波発信源の位置を空間上に複数配置したアンテナ(以後、アレーアンテナと呼びます)を使って正確に推定しようという研究を行っていました。この技術は高速無線伝送や位置管理を行うといったアプリケーションの要素技術として利用できます。方式の検討と実験を繰り返し行っていましたが、なかなか良い結果が出ず失敗の繰り返しでした。その1つの原因として、少しでも家具が動いたりドアが開いたりすると電波の伝わり方が変化し、推定結果に大きく影響するという問題がありました。年の瀬も迫ったあるとき、検討していた方法が部屋の環境変化に敏感であるなら、位置を検出するのではなくセキュリティのためのセンシングに使えるのではと思いつき、実験を行ったのがクリスマスイブの日でした。結果は予想以上で、送受信のアンテナを部屋に1か所それぞれ設置するだけで、ドアの開閉、人の動き、家具の移動など見事に検知できることが確認できました。それがきっかけとなり現在に至っています。余談ではありますが、その学生は急きょ卒業論文のテーマが変更になりましたが、無事卒業できました。

アレーアンテナを使ったセキュリティシステムの動作原理

本システムの動作原理を簡単に説明します。図1のようにある部屋の1か所に電波を出す送信機を置き、別の場所にアレーアンテナを持った受信機を置きます。送信機から四方八方に放射された電波は、床、天井、窓、家具といったあらゆるものに反射もしくは吸収されて、複雑な経路を経た後受信点に到着します。この複雑な経路というのがこのシステムのポイントです。この結果、受信点のアレーアンテナには様々な方向から電波が入射し受信されます。もしもこの送受信間の途中経路で人の侵入や窓が開くなどのイベントが発生すると電波の伝達のパターンが変わり、受信点では電波の受信強度ばかりでなく入射する角度が変化します。本システムではこの空間的に変化する電波の入射のパターン変化をアレーアンテナでうまくとらえることによりイベントを検出します。これまで受信点において1つのアンテナで受信強度の変化のみを検出する方式はありましたが、この方式では送信機の変動や些細な室内の変化により受信強度が変化してしまい誤検知を引き起こすことが多かったため実用化に至っていませんでした。一方、アレーアンテナを用いる方式は、電波の伝わり方を空間的に検出するため確実な検出を実現することができました。通信では一般に電波の複雑な反射(マルチパスと呼ばれる)は、通信品質を劣化させる原因となるため厄介な存在でしたが、ここではマルチパスを積極的に利用し、センサーから見通せない隠れた場所でのイベントも検出できるという利点を持っています

近年、マルチパスの環境でアレーアンテナを利用し、通信速度や品質を改善する手法が開発され無線LANなどで実用化されています。

図1●アレーアンテナを使ったセキュリティシステムのしくみ
図1●アレーアンテナを使ったセキュリティシステムのしくみ

リアルタイムイベント検出評価装置の開発

当初、このシステムの研究を行うに当たり、既存の装置を組み合わせて実験および評価を行ってきました。しかしながら、実験装置は全体のサイズも大きく、またデータを収集してから解析という方式をとっていたため扱いにくく効果もわかりにくいという欠点がありました。そこで、システム構成の見直しと信号処理の方式を工夫することにより、装置の小型化と小型マイコンでのリアルタイム処理を可能としたイベント検出評価装置の開発に成功しました。装置の外観を図2に示します。この装置は送受信装置が一体となっており、イベントを検出する処理装置も内蔵しています。この装置にアンテナを接続するだけで、人の侵入や窓などの開閉のイベントの発生を音で知らせてくれます。またUSBポートを内蔵しており、PCを接続すれば、データの記録やその他詳細な情報を表示することができ、様々な解析を行うことができます。なお、この装置のハードウェアの構成は、現在の携帯電話端末よりも単純であるため、将来は携帯電話程度の小型化は可能であると考えています。

図2●リアルタイムイベント検出評価装置の外観
図2●リアルタイムイベント検出評価装置の外観

評価装置によるイベント検出

実際にこの評価装置を使ったイベントの検出例を示します。ある部屋に人がドアを開け侵入したときの検出結果を図3に示します。横軸は時刻で、縦軸は本方式により得られた状態の変化を数値化した結果を示します。ここでは時刻Aでドアを開けて人が入り、時刻Bから部屋の中を歩きまわり、時刻Cで一旦静止後、時刻Dで部屋を出るという動作を行っています。図3の結果より、何もイベントが発生していないときグラフはほぼ0を保ったまま一定の値ですが、時刻Aからのドアの開閉、時刻Bからの人の動きとともに値が変化しているのがわかります。また、この装置ではこの値に適当なしきい値を設定し、あるレベルを超えるとイベントの発生としてブザー音を出すようになっています。このしきい値を調整することで検出感度が調整できます。最後に部屋を出てドアを閉めると、もとの0に戻っています。さらに、人が部屋で静止している時刻Cと人がいないときの値を比較すれば、人の動きだけでなく、部屋の人の存在までも検出できることがわかります。

図3●イベント検出結果の例
図3●イベント検出結果の例

まとめと今後の展開

開発したシステムは、部屋に1つ設置するだけで部屋全体の監視を実現し、送受間の見通しがとれない場所のイベント検出も可能となりました。装置が簡便で容易に設置できるため、現状の警報システムとの連携も容易となっています。また本システムは、部屋の人の動きや存在の有無、家具などの配置の変化、さらには浴室やトイレ内などの人の動きの監視、物の置き忘れまでも検出ができるため、今後様々な使われ方が期待されます。現在は、より安定して精度の高い検出方法の改良を進めるとともに実用化を目指しています。

辻 宏之 辻 宏之(つじ ひろゆき)
ワイヤレスネットワーク研究所
宇宙通信システム研究室 主任研究員

大学院修了後、1992年、郵政省通信総合研究所(現NICT)に入所。アレーアンテナ信号処理、航空機通信システムなどの研究に従事。横浜国立大学大学院客員教授。博士(工学)。
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