タイトル 液晶レンズの研究開発  宇宙通信機の小型化をめざして
W. クラウス

はじめに
  近年のマルチメディア技術の進展に伴い、通信回線の高速化、グローバル化などの様々な通信需要が爆発的に増大し、21世紀の情報社会にとっては、地上のファイバ光通信と並び、衛星の超高速無線通信および宇宙光通信(衛星間光通信・地上対衛星光通信)が重要な役割を果たすと考えられています。通信総合研究所(CRL)は、80年代から宇宙光通信に必要なシステム・新デバイスの開発を進め、1994年に、ETS−VIを用いた世界初の地上対衛星光通信に成功しました。近未来における技術実証計画としては、2001年頃に打ち上げられるOICETSという光通信専用の衛星、または、2004年頃に打ち上げられる国際宇宙ステーション日本実験モジュールJEM曝露部に搭載する光通信装置と、CRLの地上局との間の光通信実験があります。
 宇宙光通信には、小型・軽量の通信機による超高速大容量のデータ伝送が可能であり、容易にグローバルな衛星通信ネットワークを構築できるという特徴があります。一方、1ミクロン帯の短い通信波長のため、光アンテナ(望遠鏡)の指向性が極めて鋭く、長距離(数万km)にわたって安定な通信リンクを確立かつ維持するためには、捕捉・光行差補正・指向・追尾という4つの機能を光送受信機に用意する必要があります。
 その内、捕捉は、光アンテナの視野あるいは送信ビーム幅を拡大し、相手衛星の位置を精密に調べるという過程です。また、光行差は、相対的移動速度かつ有限である光速度によって受光ビーム方向と送信ビーム方向との間に生じる角度を示し、相手衛星を利得の高い(鋭い)通信ビームで照らすには、光行差を補正する必要があります。
 ビーム偏向を要する光行差補正および視野・ビーム幅制御を要する捕捉には、可動部を持つ機械式制御デバイスが広く使用されています。これに対して、液晶デバイスは、機械的な駆動部を持たなく、宇宙光送受信機をよりコンパクトに作れるデバイスとしての用途に適していると考えられています。ビーム偏向に使用される液晶ビーム偏向器とビーム幅拡大に使用される液晶レンズの開発は、CRLが既に進めてきていますが、ここでは、特に液晶レンズの構造・設計・実験結果を述べたいと思います。

液晶波面変調器の構造
  図1に示す液晶波面変調器は、ホモジニアス(ねじれのない)分子配列のネマティック液晶層を2枚の無反射コートされたガラス板で挟んだ構造からなり、ガラス板の内側にはITO(例えばスズを添加した酸化インジウムのITO膜)のような金属酸化物の透明電極が形成されています。通常の場合、ガラス板の片方(例えば下面)には電気的な接地面を形成するための一様な電極が全面にわたって形成され、もう一方(上面)には液晶層に必要な電界分布を与えるための電極パターンが形成されます。
 駆動交流電圧(例えば矩形波)を印可すると、複屈折率(分子の長軸と短軸の屈折率差)を持つネマティック液晶分子は、電場に沿って傾き始めます。その際に、液晶分子(長軸の向き)と平行な方向の直線偏光をもった単色光を液晶層に入射すると、入射光が液晶層のなかを進むにつれて、電圧分布に応じて局所的に異なった屈折率分布をもった媒質を通過します。従って、液晶を通過した光の波面には、液晶の印可電圧の面内分布に応じた空間的な波面変調あるいは位相変調(光の進み方を局所的に変化させること)が加わることになります。
 印可電圧の振幅(実効値)による位相変調に相当した実効複屈折率Δn(液晶分子の長軸の傾きによって通過する光に影響を及ぼす屈折率に相当した値)の変化(電気光学特性)を図2に示します。電気光学特性の形状は、使用する液晶の弾性定数、誘電率異方性や電圧無印可時の液晶分子の初期配向角から決ります。大きな初期配向角を有する液晶素子は、低電圧領域の曲線を二乗曲線で近似できる特性を用います。電気光学特性の二乗曲線の領域を利用した単純な駆動回路で容易に駆動できる液晶レンズの電極設計を次に紹介します。

図1 液晶波面変調器の断面図
(V:印可電圧、G:ガラス基板、T:上面電極、M:液晶分子、LC:液晶層、B:接地電極、t:厚さ、p:初期配向角)
図2 ホモジニアス配列のネマティック液晶の電気光学特
(Δn:実効複屈折率、Vrms:電圧の実効値、p:初期配向角)

駆動電極の設計
 液晶レンズのために新しく提案された電極パターンを図3aに示します。球面レンズの集光機能を模擬するために、円環形状をした多数の細い電極が同心円状に配置し、直径方向に伸びた電極に接続し、二つの半円環形状の複合電極に分けた構造です。直径方向の電極の両端に電気光学特性の二乗曲線の領域から選んだ同じ振幅のある電圧を印可します。なお、それぞれの複合電極に正負が常に反対の値を持っている電圧を印可すると(逆波形駆動)、直径方向の電極に沿って電圧勾配が発生するとともに、レンズの中心に電界が完全に消えます。従って、図3bに示す球面レンズに近い位相変調プロファイル(図2に参照)が液晶レンズの中心から端まで現れます。レンズの焦点距離は、印可電圧の振幅によって決ります。

図3 (a) 液晶レンズの上面電極として使用されている電極パターン
(それぞれの複合電極に、正負の反対になっている電圧Vを印可する)
図3 (b) 液晶レンズの半径方向に沿って現れる位相プロファイル
(R:レンズの照射領域の半径、:位相変化量、C:レンズの中心)


液晶レンズの試作および評価実験
図4 写真1bに示した測定結果から導いた位相プロファイ ル
(理想的な二乗曲線は点線で示されています)
  試作した直径2mmのレンズプロトタイプを写真1aに示します。捕捉用のビーム幅を拡大するために、非常に薄いレンズと同じ弱い位相変調しか必要ないので、二乗曲線領域の中、駆動最大電圧変化に対する位相変化量が4π rad(レンズの中心を通過した光線が端を通過した光線と比べて、2波長分しか遅れないぐらいわずかな位相変調)となるように液晶層の複屈率および厚みを調節し、初期配向角を10度以上にしました。
 印可電圧による発生する位相分布は、常に目やCCDカメラで観測できないため、液晶レンズを2枚の偏光板の間で挟んで、位相変調を写真1bに示すような強度変調に変換しました。この強度分布を数値的に解析した結果として、図4に示すような位相分布を得ました。焦点距離を80mmから180mmまで変化させても、回折限界に近い(理想のレンズとほぼ同じような)結像が得られることが分かかりました。ここでは、130mmのみの焦点距離で観測した強度分布を写真2に示します。

写真1(a) CCDカメラで撮影した液晶レンズの照射領域
(b) 1.5Vrmsを印可した時の強度分布(位相分布によって生じる干渉縞)
写真2(a) 液晶レンズを平面波で照射した場合の焦点面の強度分布(エアリー像)
(b) エアリー像の断面図

まとめ
  液晶波面変調器は、駆動電圧が低く、システムの構成が簡単であり、宇宙光通信機の捕捉・光行差補正光学系の小型・軽量化に役立つ光学素子です。駆動回路を単純にするために、液晶レンズ用の新しい電極パターンを検討し、レンズの試作・評価を行った結果を報告しました。通常のネマティック液晶の問題点として挙げられている若干遅い応答速度(数10ミリ秒以上)は、ここで紹介した応用(捕捉用のビーム幅拡大および光行差補正用のビーム偏向)に関して十分だと考えています。

(宇宙通信部宇宙技術研究室)




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