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アンチモン系量子ドットによる光通信波長1.3 〜 1.55µm帯面発光レーザの開発

山本 直克 (やまもと なおかつ) - 基礎先端部門 光エレクトロニクスグループ 専攻研究員

2001年より通信総合研究所(現情報通信研究機構)の基礎先端部門・光エレクトロニクスグループに属し、微細構造半導体に よる光デバイス開発を行う。光・電子材料の物性研究とそれを応用したデバイス開発に従事。博士(工学)。


はじめに

多様なコミュニケーションツールにより大容量コンテンツを自由に操るための光通信技術が、近年注目されています。 さらに将来、人や物が複数のレーザ光源を持ち、相互に光通信を行うようなユビキタス・コミュニケーションを実現する ためには、低コストかつ低製造エネルギーで、小型な高性能光通信用レーザを量産する技術が必要とされています。 もちろん、そのレーザ素子の動作波長は光ファイバとの相性の良い1.3マイクロメートル(µm)〜1.55µm帯が 望まれていますし、光空間通信なども視野に入れた場合には1.4µm以上の長波長レーザが必要となります。 この様な将来の社会ニーズに応えるべく、光エレクトロニクスグループではナノテクノロジーのひとつである量子ドット 作製技術を用いて光通信用面発光レーザを安価なガリウム・砒素半導体基板上に製造する技術について研究を行ってきました。 今回、この量子ドット面発光レーザの光通信波長1.3〜1.55µm帯のレーザ動作に成功しましたので、本稿にて紹介します。

高密度アンチモン系量子ドットの作製

ガリウム・砒素基板上に光通信波長1.3〜1.55µm帯で発光する材料を作製することは従来技術では非常に困難でした。 しかし、当グループの研究によりアンチモン系量子ドットが光通信波長帯で動作する新材料であることを最近発見しました。 このアンチモン系量子ドットは図1右下に示すような数ナノメートルの微小粒形状で、インジウム・ガリウム・アンチモン (InGaSb)の化合物半導体結晶により構成されています。図は1µm角の表面にある量子ドットを原子間力顕微鏡で 観察していますが、実際にデバイスに応用する時にはこれらの量子ドットをガリウム・砒素内に結晶性を維持したまま 埋め込みます。これら量子ドット構造は図1の分子線エピタキシャル装置により作製することができます。さらに、 レーザ応用を目指した材料開発では量子ドットの高密度化が必要でした。そこで量子ドット形成直前の基板表面にシリコン 原子を照射する技術を開発し、量子ドットの面密度を従来の100倍に高密度化することができました。この様な地道な 材料研究により、光通信波長帯で動作する高効率なアンチモン系量子ドットを作製することに成功しました。

量子ドット面発光レーザの開発

基板から垂直に光を放出する面発光レーザは、光が基板の水平方向に出る通常の半導体レーザに比べて、小型化、 低消費電力化、高速化、さらには量産と高集積が可能な次世代光源として期待されています。しかし、安価に大面積が 得られるガリウム・砒素基板の上で、光通信波長帯動作する面発光レーザ素子を実現することは従来技術では非常に 難しいことでした。今回、アンチモン系量子ドットの開発に成功した我々は、この難題にブレークスルーをもたらすことが できました。図2に開発したアンチモン系量子ドット面発光レーザの模式図を示します。この面発光レーザの基本構成要素は アンチモン系量子ドット活性層と2つの多重反射膜ミラー(Distributed Bragg Reflector: DBR )です。下部DBRミラーは 基板上にガリウム・砒素とアルミニウム・砒素の周期構造により構成されます。活性層はガリウム・砒素に埋め込まれた アンチモン系量子ドットを積層したものを用います。上部DBRは電流注入駆動用では、ガリウム・砒素とアルミニウム・砒素に より、また光励起用では2種類の誘電体薄膜の周期構造により構成されます。面発光レーザを実現するためには、これらの DBRミラーは100%に近い非常に高い反射率である必要があります。上下2つのDBRミラーに挟まれた活性層はマイクロキャビティと して機能し、光は活性層内に閉じ込められます。図3に作製した面発光レーザの電子顕微鏡像を示します。断面像の縞状に 見える周期構造がDBRミラーです。量子ドットは数ナノメートルと小さいために電子顕微鏡では直接見ることができませんが、 2つのミラーの間に量子ドットを含む活性層があります。基板上部に図3左上のような電極を構成し電流を流すことで、 量子ドット内にキャリア(電子と正孔)を発生させ発光させることができます。また、光励起と呼ばれる方法でも量子ドット 内にキャリアを発生させ、レーザ発振の評価を行うことができます。今回の量子ドット面発光レーザ開発ではこの2つの 手法を使って研究を行いました。

光通信波長帯のレーザ発振に成功

今回開発に成功したアンチモン系量子ドット面発光レーザのレーザ発振特性を図4に示します。波長1.3µmから 1.55µmの光通信波長帯の全域で、それぞれの面発光レーザからの光励起もしくは電流注入による室温連続発振を 観測することに成功しました。特にガリウム・砒素基板上の面発光レーザ開発において、波長1.55µmのレーザ発振は 世界でもっとも長い波長であると同時に、光ファイバを利用した通信にもっとも適した波長です。

おわりに

安価に量産できる光通信用面発光レーザは、将来の光通信技術発展に欠かせない夢のデバイスと考えられています。 今回、アンチモン系化合物という新素材と、ナノテクノロジーの応用である量子ドット作製技術を融合させたリスクの高い 研究を推進することで、光通信波長1.3〜1.55µm帯で動作する面発光レーザの開発を成功させることができました。 なお、今回の研究開発においては、光デバイス技術センターが果たした役割は大きく、同センターを運営される皆様に深く 感謝いたします。今後、さらに社会にイノベーションをもたらすNICTオリジナル技術の創出と、実用デバイスの開発を 目指してさらに研究を進めていきます。


Q. 面発光レーザとはどのようなものですか。
A. 半導体の表面から、垂直に光を放射する構造のレーザのことで、超高速光通信を担う次世代のレーザ光源として注目が されています。従来からの半導体レーザ作製では、基板を数百ミクロン単位の幅で割るなどの複雑な工程が必要ですが、 面発光レーザでは複雑な工程は不要で、シンプルに製作できる特徴があります。しかも面内に、高密度に同一特性を持つ レーザ素子を一括して作製することができ、コストや製作消費電力の低減なども可能となっています。
Q. アンチモンというのは、どのような物質なのでしょうか。
A. アンチモンは原子番号51の元素で、元素記号はSbです。常温・常圧で安定しているのは灰色アンチモンで、銀白色の金属 光沢のある硬くて脆い半金属です。工業材料として多岐にわたる用途があり、半導体材料への添加物、ポリエステル製造の 際の触媒、鉛蓄電池の電極の材料、繊維・プラスチックを難燃性にするための添加物、活字用の合金などの利用例があります。 古代には、クレオパトラがアイシャドウに使っていたとも言われています。

半導体新素材とナノテクノロジーの融合が、光コミュニケーション時代を創る
ユビキタス社会の到来で、大容量光コミュニケーションを実現するためには、安価、低消費電力、高性能なレーザ光源が 必要になるといわれています。そこで、このアンチモン系半導体素材とナノテクノロジーが融合した面発光レーザにより、 必要とされる課題が克服され、大容量の光コミュニケーションが実現するものと考えられています。この面発光レーザが、 私たちに身近なものになるには、まだもう少し時間がかかりそうですが、ブレイクスルーはもう間もなくです。