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2種類の遺伝情報を使い分ける単細胞生物テトラヒメナ-その制御方法の理解と応用を目指して- 未来ICT研究所 バイオICT研究室 専攻研究員 岩本 政明

生物システムに学ぶには、まず生物を知ることから

今日、情報通信分野に限らず、さまざまな領域で、生物の特性を応用した技術開発が行われています。生物の自律性、頑強性、環境適応性、情報処理能力、自己修復および自己複製能力など、いずれもが新技術を開発する際のお手本となり得ます。生物は、進化の過程でこれらの特性を獲得し、生存競争を通じて、それらに修正を加え、より良いものを作り上げてきました。その中には、人間が到底考えつかないような奇抜なシステムが無数に存在しています。そこから人間にとって有用なものを効率的に抽出するためには、まず対象となる生物をよく理解することが必要となります。

私が実験対象としているのは、テトラヒメナ(Tetrahymena thermophila)という単細胞生物です(図1)。「単細胞」とは、俗に単純なものを形容する言葉として使われますが、それは誤りで、実際のところ、多くの単細胞生物はとても複雑な細胞構造と機能を持っています。ヒトの場合、60兆個もの細胞による共同作業で行っている生命活動を、たった1個の細胞で行っているのですから彼らが複雑なのは当然といえます。また、動物の細胞が体内という安定な環境にあるのと違い、単細胞生物は激変する環境下で生活しています。そのような過酷な環境で生存競争を勝ち抜いてきた彼らは、とりわけ優れた環境適応性と頑強性を持つ、細胞の進化におけるひとつの頂点を極めた存在であるということができます。

図1●繊毛虫テトラヒメナ(Tetrahymena thermophila)
図1●繊毛虫テトラヒメナ(Tetrahymena thermophila大核(緑)と小核(赤)という2種類の細胞核をもつ。

特殊な方法で遺伝情報を使用・継承するテトラヒメナ

生物がもつ遺伝情報は、DNAの塩基配列として細胞核の中にしまい込まれています。この細胞核内のひと揃いのDNAをゲノムと呼びます。細胞をコンピューターと見なした場合、細胞核はハードディスク*1、ゲノムは情報ということになります。ハードディスク内の情報は使えば使うほど、損傷、すなわちDNA配列に傷が入ります。細胞はこれを修復する機能を持っていますが、間違って修復されたり、修復不能であったりした箇所が蓄積してくると、細胞コンピューターは正常に作動しなくなります。これが細胞老化であり、また時には制御が効かなくなって、ガン化してしまうこともあります。遺伝情報を傷つけないためには、遺伝情報を使わないことが得策ですが、生命活動を行う以上それはできません。

ところが、テトラヒメナはそれを実現しています。彼らはゲノム(情報)を重複させ、それらを2種類の細胞核(ハードディスク)に分けて保持し(図1)、一方を生命活動に使用し、他方は通常は使用せずバックアップとして保存しています。使用されるゲノムは、大核に包含されており、遺伝情報を効率よく大量に取り出せるようDNA配列は再編集され、かつ数十~数百倍に情報が増幅された状態になっています(図2)。日常的に使用される大核ゲノムは一世代で使い捨てられます。片や小核のゲノムは、高度に圧縮された状態で、通常の生活では使用されません。しかし、いざという時(具体的には、栄養が無くなってしまった時)にそれは使われます。その時になると、彼らは異性の細胞と交配*2して子孫を作りますが、子孫の新しい細胞核を形成するために小核ゲノムは使われるのです。

図2●再編集と増幅によって形成される大核のゲノムDNA
図2●再編集と増幅によって形成される大核のゲノムDNAもとは1つの小核から新たな大核と小核が作られる。各DNAの末端にはテロメア*3(黄)が存在する。

2種類のゲノムにアクセスするシステムに明確な違いが存在

テトラヒメナは、1台のコンピューター(細胞)に2種類のハードディスク(細胞核)を搭載しているわけですが、ハードディスク内のゲノム情報にアクセスするためのオペレーションシステムはどうなっているのでしょうか。我々は、テトラヒメナが行う特殊な遺伝情報制御の分子基盤はそこにあると考え、この仕組みを明らかにするための研究を行っています。細胞核は、核膜により細胞質と仕切られ、区画化された構造になっています(図3)。核膜には核膜孔と呼ばれる穴があいていて、細胞質から核内へのアクセスと、核内から細胞質への遺伝情報の取り出しは、この核膜孔を通して行われます。したがって、核内へのアクセス経路である核膜孔が同じ構造をしていては、2種類のハードディスクを見分けて、別々に制御することはできません。我々は、核膜孔を形づくっているタンパク質成分を同定し、それらの機能解析を行いました。

核膜孔は約30種類のタンパク質により構築された核膜孔複合体という構造体により形成された穴です(図3)。大核と小核の核膜孔複合体の成分を比較したところ、穴の内側に露出するタンパク質成分の1つであるヌクレオポリン98(Nup98)が、大核と小核で全く違ったものであることが分かりました(図3)。Nup98は、細胞質と細胞核の間で行われる双方向の物質輸送に必須の機能性タンパク質です。テトラヒメナの場合、大核の核膜孔に存在する大核型Nup98は、小核へ運ばれるべき物質が大核内へ侵入することを阻害し、同様に、小核のNup98は、大核物質が小核へ侵入することを阻害していることが分かりました(図4)。このようにして、それぞれのゲノムの制御にかかわる因子の運び分けが行われていることが明らかになりました。テトラヒメナは、核内へのアクセス経路の構造的な違いを利用して、2種類のハードディスク内の遺伝情報を巧みに制御していたのです。

図3●テトラヒメナの核膜孔複合体とNup98
図3●テトラヒメナの核膜孔複合体とNup98大核、小核とも二重構造の核膜(グレー部分)によって細胞質と仕切られている。右側のモデル図はともに上側が細胞質、下側が核内。大核のNup98をオレンジ、小核のNup98を青色で表わす。

図4●Nup98による誤方向への核内輸送に対する阻害効果
図4●Nup98による誤方向への核内輸送に対する阻害効果

おわりに

テトラヒメナやゾウリムシなどの繊毛虫類は、2~3億年前の琥珀化石から現存種とほとんど変わらない形のものが見出されています。彼らの起源はおそらく、そこからさらに数億年をさかのぼることになるでしょう。そんな太古に、彼らがすでに遺伝情報の大量利用とバックアップ構築を両立させたシステムを完成させていたことに驚かされます。そのことは同時に、そのシステムが、彼らを進化の勝者へと導いた堅牢性と柔軟性を持ち合わせた秀逸なものであったことを推測させます。この遺伝情報の使い分けシステムは、生物学的に非常に興味深い現象であるだけでなく、その仕組みを理解することによって、細胞工学的な応用が期待できます。例えば、人工細胞や、DNAコンピューターを搭載したマイクロマシンが作製されるようになれば、それらに異なった情報を含んだ複数のハードディスクを持たせ、使用するディスクと情報を自在に切り替えることができる多機能マシンを設計したり、さらには、使用ディスクが破損した時に、バックアップから自動的に新しいハードディスクを再構築するシステムを持たせたりすることも可能になるかもしれません。

これまで謎とされていた繊毛虫が2種類の細胞核に物質を正しく運び分ける仕組みを明らかにしたこの研究は、原生動物学研究に大きなブレークスルーをもたらすものとして、2010年度の日本原生動物学会賞を受賞しました。


用語解説

*1 細胞核ハードディスク
 細胞核ハードディスク内の遺伝情報は読み出し専用で、DNA配列に新たな情報を書き込むことはできない。

*2 交配
 単細胞生物の交配は「接合」と呼ばれ、接着した2つの異性細胞間で、遺伝情報の交換が行われる。接合後は2つ細胞由来の遺伝情報が混ざり合った新たな遺伝型の細胞となり、新しい世代がスタートする。

*3 テロメア
 DNAを保護するための特殊な配列領域。大核ではDNAが断片化されているため、テロメアも大量に存在する。テロメア配列はテトラヒメナで初めて発見され、その研究は2009年にノーベル医学生理学賞を受賞した。

岩本 政明 岩本 政明(いわもと まさあき)
未来ICT研究所
バイオICT研究室 専攻研究員

大学院博士過程終了後、ハワイ大学博士研究員を経て、2004年、特別研究員(JST)としてNICTに入所。現在は専攻研究員。細胞の遺伝情報制御システムに関する研究に従事。博士(理学)。
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