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誤差6,500万年に1秒 -16桁に及ぶ光格子時計の能力を遠距離周波数比較によって初めて確認- 電磁波計測研究所 時空標準研究室 主任研究員 井戸 哲也

背景

NICTが国民の皆様に供給している日本標準時は、世界標準時があってそれを中継して国内に配っている、というものではなく、あくまでNICT内にある多数の原子時計で自ら生成しているものであり、従ってNICT内でできるだけ正確な1秒を生成する能力を保持する必要があります。現在、国際単位系の1秒はセシウム原子の9.2GHzのマイクロ波遷移*1で定義されており、NICTにて開発したセシウム原子泉方式周波数標準は1.4×10-15の不確かさ(誤差2,000万年に1秒)で1秒を実現できます。しかし、通信においてその媒体を電波から光へ変更して高速大容量が実現したように、周波数標準においてもマイクロ波ではなく光による方式を確立すると性能が劇的に改善します。そのため、前世紀末より光原子時計の開発が精力的に行われてきており、近年ではマイクロ波時計を凌駕する光原子時計方式が複数開発され、秒の定義を書き換えることが議論されています。光原子時計の方式として現在単一イオントラップ方式*2と日本発の光格子時計方式があります。また、光原子時計の開発と並んで秒の改訂のカギを握るのが、遠隔地にある周波数標準を比較・較正する技術です。標準として世界中で皆が1秒を共有するためにはそれぞれの時計が一致した時間を生成することを確認する必要があり、光原子時計による高性能化に見合う性能改善を遠距離周波数比較技術においても実現する必要があります。時空標準研究室ではストロンチウム(Sr)光格子時計を独自開発し、昨年度半ばより動作を開始しました。今回、 我々(注)はこの時計が生成する基準光周波数を、開発した光ファイバによる高精度光周波数標準伝送システムによって東京大学(以下「東大」)に伝送し、東大の光格子時計との遠距離周波数比較を行い、光格子時計の普遍性と光周波数標準の伝送・比較技術の確立を目指しました。

光格子時計とは

光原子時計は原子遷移につねにレーザー光が共鳴になるようレーザー周波数を調整することによって得られます。このときに原子が動いているとドップラーシフトを受けてしまうために原子を空間に強く固定する(トラップする) 必要があります。前世紀においてはトラップの方法としてイオンを使用して電場でトラップするイオントラップが唯一の方法でしたが、2001年に東大の香取秀俊教授は特定の波長のレーザー光の干渉縞(光格子)に中性原子をトラップすれば、周波数シフトを起こさずに強くトラップでき、高性能な光原子時計を構築できることに気づき、2003年に筆者らと共にドップラーシフトのない非常に先鋭な原子スペクトルを得ることに成功しました。そして2006年には東大の他、米仏の研究機関で得られた周波数がよい一致を示したために、この光格子方式の原子時計はその信頼度が認められ、現在10近くの国立標準研究所において研究が精力的に進められています。

光ファイバによる高精度光周波数標準伝送技術

光ファイバは温度変化や振動による伸縮や屈折率変化によって光路長が変化し、このため受け手側ではドップラーシフトをした間違った周波数を受信してしまいます。そこで、受信側で受信光の一部を同一ファイバで送信側に送り返し、送信側では伝送路で生じた位相雑音を検出し、それを抑制するよう位相補償を送信側で施すことによって受信側に忠実に光周波数を送信できます。今回小金井-大手町間のNICTが運用する光ネットワークテストベッドJGN2plus(現JGN-X)を利用したNICT-東大間のファイバ長60kmにおいては約400THzの光周波数を積算時間1秒で標準偏差1Hz以下の伝送精度で伝送する能力があることをまず確認しました。 ただし日本ではファイバ線が空中に宙づりされたり鉄道の近傍に敷設される等雑音環境が劣悪な場合が多く、今回この精度は天候が穏やかな真夜中という好条件においてのみ得られたものです。欧州では静かな地中に敷設されたファイバによって伝送距離1,000㎞のリンクも実証されており、今後世界一の伝送能力を実証するにはファイバの敷設環境を改善することが必要不可欠になります。

NICT-東大光格子時計周波数比較

図1に示す構成でNICTと東大の光格子時計の周波数比較を行いました。ストロンチウム光格子時計は波長698nmの光周波数標準信号を生成しますので、NICT(送信)側でまず光周波数コム*3を利用して通信帯への波長変換を行い、その上で東大へ向けて前述の伝送システムを利用して信号を送出します。東大側では受信した光の2倍波をとって再び可視域に戻し、この2倍波に東大側の周波数コムを位相ロックします。これによって、NICTの光格子時計にコヒーレントにリンクされた光周波数コムが東大にて実現し、東大の時計が生成する光周波数とこの周波数コムのビート周波数を測定することにより 2つの時計の相対的な周波数差をリアルタイムに測定することが可能になります。 図2に1秒ごとに得られた2つの時計の周波数差を示します。NICTの時計の周波数が3~4Hz東大側より高いことが明瞭に観測され、両地点の光格子時計が同じ周波数を生成していないことが分かります。しかし、この周波数差は主にNICT、東大の56mの標高差に起因しており較正することが可能です。NICTに比べて標高が低く重力が大きい東大では一般相対性理論が示唆するように時の流れが遅くなっていますので同一時間で比較すると周波数が小さくなります。従って2地点の標高差からこのシフト量は不確かさ0.1Hz以下で計算できます。そして最終的にNICTと東大の時計の較正不可能な原因不明の周波数差は430THzのうちわずか0.04±0.31Hz(6,500万年に1秒)となりました。周波数標準はいつでもどこでもだれでも同じ周波数が得られることが必須です。今回の結果によって不確かさ10-16台で遠隔地にある時計との周波数一致が初めて確認され、日本発の光格子時計の普遍性が確認されると同時に、現在のほぼ最高性能の周波数標準を正確に遠距離伝送する技術をも手中にしました。

図1●NICT-東大光ファイバリンクによる光格子時計周波数比較の模式図
図1●NICT-東大光ファイバリンクによる光格子時計周波数比較の模式図
武蔵野台地の上にあるNICT小金井本部は東大本郷キャンパスに比べて標高が56m高い。

図2●NICT及び東大の光格子時計の周波数差
図2●NICT及び東大の光格子時計の周波数差
各点は積算時間1秒で得られており、NICTの光格子時計は3.7Hzだけ東大より周波数が高い698nm光(430THz)を生成している

今後の展望

Sr 光格子時計は2006年に東大及びJILA(米国立標準技術研究所(NIST: National Institute of Standards and Technology)とコロラド大学の共同研究所(Joint Institute for Laboratory Astrophysics))で時計動作を開始した後、現在ではNICTの他に仏独の国立標準研究所においても運用されています。今回光ファイバを利用してNICT-東大間で16桁の周波数同一性が確認されましたが、 秒の再定義を確実なものとするには時計自体のさらなる高性能化と共に、光ファイバ接続が困難な欧米の光格子時計との周波数一致を確認する必要があります。これを見据えて時空標準研究室では、現在、世界の標準時と日本標準時の時刻差測定で使用している人工衛星を利用した周波数・時刻比較技術の展開及びVLBI技術を用いた新たな時刻比較技術の開発により、大陸間規模での時刻・周波数比較精度向上を追求していきます。また、イオントラップ方式の原子時計についても、光格子時計と同等もしくはそれ以上の性能が得られることがNISTによって研究室内相互比較で確認されており、NICTではこの方式についてもNISTとは異なったアプローチでインジウムイオンによる原子時計の開発を進めています。

最後に、今回の実験はNICT側、東大側双方の多数の共同研究者や、JGN2Plus関係者の協力の賜であり、ここに皆様のご協力に感謝致します。

(注)共同研究者
NICT: 熊谷基弘 長野重夫 蜂須英和 藤枝美穂 山口敦史 李瑛
東大: 高野哲至 高本将男 香取秀俊(敬称略)


用語解説

*1 マイクロ波遷移
 原子遷移としては小さいマイクロ波のエネルギー差を持つ原子遷移のこと。通常マイクロ波域の原子遷移は核スピン・電子のスピン間のごく弱い相互作用によって生じる2つの状態間を結ぶ遷移になります。

*2 単一イオントラップ方式
 イオンをたった1個電場によってトラップしてそのイオンの吸収線を利用して時計レーザーを安定化する方式。イオンの電場による束縛では上下状態が同じ閉じ込めポテンシャルを感じるため電場の影響によって遷移周波数がシフトすることがありません。なお、一般に複数個をトラップすると近傍のイオンによって生じる不規則な電場のために周波数シフトが起きてしまいます。

*3 光周波数コム
 パルスレーザーは、周波数スペクトルを見ると等間隔の周波数成分が存在する櫛状のスペクトルとなっているため、光周波数コム(optical frequency comb)と呼ばれます。一般にこの櫛スペクトルは位相雑音が少ない、非常に安定に動作するパルスレーザーにおいて得られます。

左から熊谷基弘、山口敦史、井戸哲也、蜂須英和、藤枝美穂、李
左から熊谷基弘、山口敦史、井戸哲也、蜂須英和、藤枝美穂、李瑛

井戸 哲也(いど てつや)
電磁波計測研究所
時空標準研究室 主任研究員

大学院修了後、 JST-ERATO研究員、 JILA(米国NIST/コロラド大学) Research Associate、 JST-さきがけ研究者を経て、2006年、NICTに入所。 大学院修了後よりSr原子のレーザー冷却及びその原子時計への応用、また精密光計測技術や周波数コム技術を利用した真空紫外光発生の研究に従事。 博士(工学)。
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