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光通信の未来を拓く有機材料 -有機電気光学ポリマーが光変調・光スイッチをさらに高速で低消費電力に- 未来ICT研究所 ナノICT研究室 室長 大友 明

はじめに

いつでもどこでも誰とでもコミュニケーションを可能にした情報通信技術(ICT)は、今や私たちの暮らしにとって不可欠な社会基盤の1つになっています。情報通信網の発達の原動力となったのが、光通信技術の高速化と大容量化です。近年の通信トラフィックの増加傾向は今後さらに加速すると予測されており、ネットワーク技術のさらなる高速化と大容量化が求められています。しかし、情報通信システムが消費する電力は、既に無視できない存在となっており、消費電力の削減も同時に行うことが必須となっています。また、膨張し続け制御不能になりつつあるネットワークを根本から見直す動きが、NICTの推進する「新世代ネットワーク」を始めとして世界中で活発化していますが、そのような新しいシステムを支えるハードウェアにおいても低消費電力化は不可欠の課題です。しかし、既存技術の延長上の効率化だけで今後の通信トラフィック増加に応じた電力消費を削減することは容易でなく、大幅な低消費電力化に導く革新的なデバイスが求められています。このような状況を背景にNICTでは、有機材料の優れた光・電子機能を光制御デバイスに応用し、通信機器の高速化と同時に低消費電力化を図ることを目指した研究を行っています。

有機材料で光通信を高速化

光通信ではまず電気信号を光信号に変換するところから始まり、これには電気光学(Electro-Optic: EO)効果を用いた光変調器が使われています(図1)。この光変調の速度が光通信の速度を左右することから、変調速度の高速化が進められてきました。今日の商用システムでは、変調速度は1チャンネルあたり40Gbpsにまで達しています。現在、光変調器に用いられている材料は無機誘電体結晶であるニオブ酸リチウム(LiNbO3: LN)です。LNは結晶成長技術とデバイス加工技術の向上により、今日までフォトニックネットワークの高速化を支えてきましたが、無機誘電体結晶固有の限界からこれ以上の高速化は望めない状況になっています。

EO効果は、電場をかけると屈折率が変化する効果で、液晶モニターからパルスレーザーまでオプトエレクトロニクスの発展を担ってきた物理現象です。光変調器では、電場による屈折率の変化を光の位相や強度の変化として光信号に変換します。代表的な光変調器の構造は図1に示すマッハツェンダ*1型光変調器です。入力光を分岐した後に屈折率の差によって相対的に位相を変化させ、再び交えることで干渉により出力光の強度を変化させます。材料の電気光学効果が大きい程、低い電圧で駆動することが可能になります。一口にEO効果と言っても、メカニズムは材料の種類によって異なり効果の大きさや応答速度が異なります(図2)。液晶は、分子の回転に起因する効果で非常に大きな屈折率変化を示しますが、応答速度は遅くミリ秒程度です。LNに代表される無機誘電体結晶は、イオンの変位に起因する効果でEO効果は小さいですが高速変調が可能です。しかし、GHzを超えるマイクロ波領域では屈折率が大きいために光パルスとの速度差が生じ、動作速度は10GHz程度が限界とされてきました。それでも最新のデバイス技術では、導波路構造の工夫により40GHz程度まで高められていますが、LN変調器の高速化は既に限界に達しています。有機色素分子は、 π電子*2応答による電子分極に起因する効果で、最も高速で且つ比較的大きなEO効果が期待できます。近年の通信容量のさらなる拡大の要求や、情報処理装置の高速化におけるチップ内光配線が必須の課題となってきたことに伴い、小型で低電力駆動の超高速光変調器が求められるようになり、有機EO材料の研究開発が活性化してきています。NICTでも屈折率変化がLNの2倍を超える材料の開発に成功しています。

EO色素分子の基本構造は、図3に示すように、電子供与基(ドナー)と電子受容基(アクセプター)をπ共役でリンクした内部分極構造です。内部分極が大きい分子は高いEO効果を示すことから、EO色素分子の開発では、ドナー/π共役/アクセプターの部位ごとに優れた特性を持つ構造を見出す努力が成されてきました。これまで、 π共役とアクセプター構造については、大きなEO効果をもたらす構造が見出されていますが、ドナー構造については、30年近く続くEO分子研究の間、大きな進展は見られていませんでした。NICTでは、ある構造をドナー構造に加えることで、EO効果を増強させる方法を見出しました。シンプルな方法ですのでほとんどの分子に適用可能であり、特に基になる分子のEO効果が大きい程、増強効果が大きくなる傾向にあります。有機EO分子を用いて光変調器を作製するには、ポリマー中にEO色素分子を分散、配向*3して導波路構造を作製します。ポリマー中の有機EO分子濃度と配向度が高い程EO効果が高くなりますので、分子の配向度を高めることも研究課題の1つとして取り組んでいます。今後は、独自に開発した高性能のEOポリマーを用いて変調器構造を作製し、超高速の光変調技術の研究を進めていきます。

図1●電気光学変調器とフォトニックネットワークの高速化
図1●電気光学変調器とフォトニックネットワークの高速化(図をクリックすると大きな図を表示します。)

図2●代表的な電気光学材料の比較
図2●代表的な電気光学材料の比較(図をクリックすると大きな図を表示します。)

図3●有機EOポリマー光変調器
図3●有機EOポリマー光変調器(図をクリックすると大きな図を表示します。)

有機EOポリマーの耐久性は?

私たちの身近にある有機物は日光に当たると色が褪せたりすることから、一般的に有機色素は光に弱いと思われています。有機色素の退色のメカニズムは主に酸化によるものです。しかし、空気中の酸素分子は安定でありそのままでは有機物との反応性は低く、いわゆる活性酸素種の状態になることで強い酸化作用を生じます。光励起で生成される活性酸素種で主なものは、オゾンと一重項酸素*4です。しかし、酸素分子がオゾンや一重項酸素になるには紫外線や可視光の様に約1eVよりも高いエネルギーの(1.27μmよりも波長の短い)光が必要です。光通信には波長1.3μm帯から1.55μm帯の赤外光を用いていますので、この光でオゾンや一重項酸素を発生することはありません。しかし、光強度が高くなると2光子吸収により一重項酸素を発生する可能性がでてきます。通常の光変調に用いられる光強度は問題がないレベルですが、今後導入が検討されている多値変調ではレーザー光の高出力化が進められており、酸素の影響を除外する研究も必要になってきます。

熱安定性については、EO色素の分解温度は200℃以上であり、デバイス作製プロセスにおいての問題はありません。しかし、EOポリマーはガラス転移温度以上になると配向が緩和しEO効果を失活*5してしまいます。開発したEOポリマーのガラス転移温度は現在のところ135℃程度ですので、通常の使用環境では問題にはならないものの、大規模サーバー等の発熱環境下で長期の信頼性を確保するために、有機EOポリマーの熱安定性向上にも取り組んでいます。

今後の展望

有機材料のEO効果は、理論的にはさらに大きな値が得られると見積もられており、NICTでは有機EO材料の開発を今後も続けていきます。有機ポリマー材料は、フレキシブルで他のデバイスと融合しやすいことも特徴の1つです。NICTでは、精度の高いシリコン加工技術を用いたフォトニックナノ構造と組み合わせることにより、光制御デバイスのさらなる低消費電力化やミクロンサイズまでの超小型化、光バッファなどのオンチップ化に及ぶまで、未来のフォトニックネットワークを支えるキーデバイスを作る研究開発も行っています。

有機物は軽く、宇宙線の影響も受け難い材料ですので、衛星や惑星探査機等への搭載にも適しています。加えて有機物は、炭素、水素、窒素、酸素、硫黄などの汎用元素を用いて様々な機能をつくりあげることが出来る安価な材料ですので、資源確保が容易なレアメタルフリーの機能材料として、広範な応用展開が期待できると考えています。


用語解説

*1 マッハツェンダ
 L.MachとL.Zehnderによって1891年にほぼ同時に考案された干渉方法で、同一の光源から出た光を2つに分けて別々の光路を通した後に重ね合わせるシンプルな構成であることから、光導波路での構築が容易です。

*2 π電子
 分子の二重結合は結合軸に沿ったσ結合と直交したπ結合とからなり、π結合上の電子をπ電子と呼びます。二重結合と単結合が交互に連なったπ共役構造を持つ分子では、 π電子は非局在化しており分子全体に広がっています。

*3 配向
 分子の向きをそろえること。ポリマー中の色素はばらばらな方向を向いているため、色素の集合体であるポリマーのEO効果は相殺してしまいます。電場をかけ分子を一方向にそろえることにより、ポリマーのEO効果を発現させることができます。

*4 一重項酸素
 基底状態の酸素分子は、共有する電子のスピンの向きがそろった三重項状態にあり、一重項酸素は、基底状態より0.98eVエネルギーが高い励起状態の酸素分子で、電子のスピンの向きが反対になっています。一重項酸素は、光励起により直接発生することはなく、光励起された色素の三重項状態を介して生成されます。

*5 失活
 ガラス転移温度以上になるとポリマーが柔らかくなり分子が動きやすくなるため、分子がバラバラな方向を向いてしまうことで、ポリマーのEO効果が失われます。

大友 明 大友 明(おおとも あきら)
未来ICT研究所
ナノICT研究室 室長

大学院修了後、1996年、郵政省通信総合研究所(現NICT)に入所。分子フォトニクスやナノフォトニクスを光制御技術に応用する研究などに従事。東京工業大学大学院理工学研究科連携教授。Ph.D.
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