NICT NEWS
人工DNAナノ構造体でつくるインテリジェントセンサー 未来ICT研究所 バイオICT研究室 主任研究員 平林 美樹

研究の背景

バイオICT研究室では、細胞や生体分子システムの優れた機能に着目し、情報通信の新概念につながる萌芽的な要素技術の研究開発を進めています。生体情報処理システムの中枢をなすDNAは、「タンパク質をコードする塩基配列プログラム」からなるソフトウェアと「プログラムを実行して複雑な生命維持活動を実現する」ハードウェアの両者の機能を併せ持つインテリジェントな情報素子です。生体システムを構築するための設計図である遺伝情報は「複製」によりDNAからDNAへ、「転写」によりDNAからRNAへ、「翻訳」によりRNAからタンパク質へと伝えられます(図1)。従来はこのタンパク質が複雑な生命活動を実現していると考えられてきましたが、近年DNAには、タンパク質をコードする以外にも多くの機能がプログラムされていることがわかってきました。未知の機能も含めて、生命のような高度なシステムを実現することができる能力をもったDNAは、プログラム可能で合成が容易なインテリジェントマテリアルとしてナノテクノロジーの分野でも大きな注目を集めています。

ここでは、環境情報をセンシングし、その情報に基づいて人間に代わって環境をコントロールすることが可能な、生物のような機能を持つ人工DNAナノ構造体に関する研究を紹介します。

図1●遺伝情報伝達の流れ
図1●遺伝情報伝達の流れ

センシングターゲット

私たちが目指すのは、ナノ / ミクロの世界の分子通信物質や環境シグナルをセンシングし、それらの情報を基に人間に代わって微小な世界を管理してくれるロボットのような能力を持つ進化した人工DNAナノ構造体の実現です。そのセンシングターゲットの中で特に注目しているのは、生物が生産する核酸分子(DNA/RNA)です。私たちの周りには、生体内のみならず、生体外にもたくさんの核酸分子が存在します。単細胞生物である細菌を例にとると、細胞外核酸は、菌体の分解で放出されるだけでなく、増殖時期の一定期間や、他生物との相互作用あるいは、細菌同士のクオラムセンシングとよばれる分子通信に誘導されて細胞外に分泌されることが知られています。これらの細胞外核酸は、環境中にプールされて貧栄養条件下で細菌の栄養源になったり、変異を起こした遺伝子の修復などに用いられます[1]。人工DNAナノ構造体で作られたセンサーは、このような細胞外核酸や、細胞内で生命活動の一環として産生されるRNAなどをセンシングして、その結果をレポートしたり、その情報に基づいてプログラムされた機能を発揮することができます。このようなインテリジェントセンサーが作るネットワークによって微小世界を制御することで、そこに住む微生物の能力を最大限に利用して、放射性物質やバイオハザード(生物学的危害)などによる環境汚染から私たちの生活を守ったり、エネルギー問題の新しい解決策を提示するといったことが可能になるばかりでなく、農業、漁業、医療などのナノ / ミクロ世界の影響を受けるすべての分野において、より安心・安全で快適な環境を提供することができるようになります(図2)。

図2●DNAセンサーネットワークとミクロ世界
図2●DNAセンサーネットワークとミクロ世界

実装可能な機能とシステムの特性

生体システムでは、DNAからRNAへの「転写」さらにRNAのタンパク質への「翻訳」のタイミングを制御することで複雑な生命活動が実現されています。例えば生体内ではDNA自身も、DNAを構成する4つの核酸塩基アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)のうちGに富んだ配列からなる四重鎖(G4)構造を形成するなどの構造変化を利用して、転写制御を行っていると考えられています。人工DNAナノ構造体も、このような転写や翻訳を制御する分子スイッチを組み込むことにより、天然にはない機能を実装することができます。図3にトリプルクロスオーバー(TX)タイルを用いた遺伝子スイッチをDNA上に構成する様子を、G4スイッチに倣って示しました。TXタイルは、三段構造をもった人工DNAモチーフです。三段構造の中央のドメインを利用して、転写を開始するためのプロモータ配列とアプタマーと呼ばれる特殊な機能をもったRNAを転写するための配列を組み込むことにより、このアプタマーの転写制御を行うことができます。人工スイッチは、進化により生まれた天然スイッチと比べて、センシングターゲットやスイッチング後の動作を目的に合うように設計することができるという利点があります。

図3●人工遺伝子スイッチ
図3●人工遺伝子スイッチ

図4にTXモチーフが作る人工DNAナノ構造体の動作機構の概念図を示します。4本の短い一本鎖DNAが自己組織化により相補鎖を交換して三段構造(TXモチーフ)を作った後、結合部に相補配列を持つモチーフ同士が集合して、ナノ構造体ネットワークを形成します。この状態では、転写酵素(RNAポリメラーゼ)は作用できません。この集合体は、環境中のDNA/RNAシグナルをセンシングすると構造変化を起こし、モチーフに組み込まれたプロモータ領域に転写酵素が作用できる状態になり、RNAアプタマーの転写を開始します。これが転写スイッチオンの状態です。このRNAアプタマーがMG(マラカイトグリーン)アプタマーの場合には、センシング結果を蛍光により可視化することができます。目的の機能をもったアプタマーはランダム配列のプールから人工進化法により選び出してくることができます。細菌の分子通信物質に作用する機能を持ったアプタマーを作れば、細菌の協調の促進や抑制が可能になります。さらにDNAは、複製、修復、再生といった能力を備えており、このようなインテリジェントマテリアルとしての特性を十分に生かすことにより、情報通信の新概念につながる新しいナノセンサーネットワークを構築することができると考えられます。

図4●人工DNAナノ構造体が実現する機能の例
図4●人工DNAナノ構造体が実現する機能の例(図をクリックすると大きな図を表示します。)

今後の展望

アンビエントセンサーネットワーク社会は、環境中に埋め込まれたアンビエントインテリジェンス(環境知能)が、センシングによって得た情報を自ら判断して、私たちの暮らしを豊かにする様々なサービスを提供する社会です。生体材料の特性を生かした人工DNAナノ構造体を、ミッションを遂行する能力と判断力を持つインテリジェントロボットへと機能強化することで、本格的なアンビエントネットワーク社会が訪れるものと期待されます。

謝辞

本研究は、東京大学萩谷昌己教授、田中文昭助教、川又生吹氏、法政大学西川明男博士の各位の他、NICTナノICT研究室田中秀吉研究マネージャー、バイオICT研究室小嶋寛明室長、未来ICT研究所大岩和弘研究所長の皆様から多大な御助言、および御指導を賜り、取り組んできました。ここに記して、厚く感謝の意を表します。

参考文献
[1]Maruyama F. et al., J. Environ. Biotechnol., 4(2)131-137, 2005.

平林 美樹 平林 美樹(ひらばやし みき)
未来ICT研究所 バイオICT研究室 主任研究員

大学院博士課程修了後、オックスフォード大学、ジュネーブ大学、UCSD等を経て、物性物理、生体流、システムバイオロジー、生体情報処理システムなどの研究に従事。2008年、NICTに入所。博士(工学)。
独立行政法人
情報通信研究機構
広報部 mail
Copyright(c)National Institute of Information and Communications Technology. All Rights Reserved.
NICT ホームページ 前のページ 次のページ 前のページ 次のページ