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確かな技術で研究を支える 試作開発 第4回
次世代光無線通信を支える試作開発部品 - 市販レンズを使った波長1.5μm帯の広視野光アンテナの開発 - ワイヤレスネットワーク研究所 宇宙通信システム研究室 主任研究員 有本 好徳

NICTで行われる研究では、市販されていない部品が必要な場合も多くあります。市販されていなければ、新たに製作するしかありません。そうした研究者のニーズをくみ取り、必要となる部品を設計・製作すると共に研究者自らが必要な部品を製作できる工作環境の提供及び技術支援を行うのが「試作開発」で、社会還元促進部門研究開発支援室で実施している業務です。この試作開発の成果を研究者の視点から4回シリーズで紹介してきました。今回が最終回となります。

背景

NICTでは、図1に示す新しい光無線通信装置の開発を行ってきました。この装置の特徴は2010年5月号のNICTニュースにも紹介されていますが、光ファイバ*1中の信号を指向性の鋭いレーザビームに変換して通信相手に正確に当て、相手側ではこの光信号をできるだけ損失無く光ファイバに結合させて、再び光ファイバを使って相手側の端末に接続する機能を、大規模かつ高価な装置を使わずに実現したことにあります。このためには、光ファイバの信号波長1.55μmと相手を識別するビーコン光の波長0.98μmの2波長に対応したレーザ結像光学系を新たに開発する必要があり、設計原理を理解し、必要な性能を持った光アンテナを研究所内でいつでも試作できるようになるまでに5年ほどの時間がかかりました。

図1●倍率17倍の光アンテナを取り付けた光無線通信装置。信号光のビーム径が40.9mm、内部損失が1.9dB、回折限界の視野が±0.3度、追尾制御帯域が10kHzで世界最高の性能を達成している。 図1●倍率17倍の光アンテナを取り付けた光無線通信装置。信号光のビーム径が40.9mm、内部損失が1.9dB、回折限界の視野が±0.3度、追尾制御帯域が10kHzで世界最高の性能を達成している。

研究所内で光学系を試作する意味

アマチュア天文の分野では天体望遠鏡を自作することがありますが、高精度のレーザ結像光学系、例えば、10倍のビームエキスパンダ*2を自分で設計・製作する技術者・研究者はほとんどいません。この理由は、波長の1/10以下の精度を要求するレーザ用の光学系を設計・製作することが容易ではないからです。仮に、専用の光学設計ソフトウェアを使って設計ができたとしても、その結果を実現するためには、その設計に合った光学ガラスを入手し、レンズ形状に加工し、使用する光の波長に合った無反射コートを施した上で、設計通りの配置になるような組立機構(レンズホルダ)を製作しなければなりません。これには百万円以上の経費と数カ月の期間が必要です。

筆者の研究テーマである無線通信用の光アンテナについてみると、数年前までは仕様書を作って実績のある業者に設計・製造を依頼することがほとんどでしたが、受注する側に技術力がないと消極的な仕様にせざるを得なかったり、技術的な限界にチャレンジしすぎると多大な経費がかかったりすることが多く、ある程度の妥協は仕方ないものと諦めていました。

電子回路の試作と同じアプローチで新しい光学系を作る

ここでは光学系の試作とはどういうものなのかを、乱暴な例えですが電子回路を試作する場合と比較してみたいと思います。光学系を組み立てるレンズや反射鏡は電子回路で言うと抵抗やコンデンサなどの受動部品に、レーザ光源やフォトダイオード、ミラー制御機構はトランジスタやダイオード、オペアンプなどの能動部品に対応します。電子回路設計では回路シミュレータが普通に使われるようになりましたが、光学設計でも、複数の商用ソフトウェアが販売されており、100年前なら数十日を要した組レンズの収差計算を一瞬で行うことができます。しかしながら、回路シミュレータがあるからといって新しい回路方式が考案できるわけではないのと同じで、光学設計ソフトウェアの高度な自動設計機能をもってしても、新しい機能、高い性能を持った光学系が設計できるわけではありません。何を最適化すれば良いのか、つまり評価関数が分からない場合が多いからです。また、従来の光学系の開発手法は、抵抗やコンデンサを新しく作ることから試作を始めることに相当します。これでは、時間と経費がかかるのは当然と言えます。

そこで、筆者は電子回路の試作と同じアプローチをとることにしました。電子回路の試作では、既存の受動部品、能動部品を考慮して回路を設計し、動作をシミュレーションや実部品で組み立てて評価した後、プリント基板を設計し、部品を実装して完成させます。この手順を光アンテナ光学系に置き換えると、まず、波長0.98μmから1.55μmで無反射コーティングが施されてレーザ結像の精度を持った市販レンズをくまなく調査します。それらの中から最適な組み合わせを見つけて光学系を設計し、その性能を光学設計プログラムで確認した後、レンズホルダを設計・製作し、光学系を組み立てて完成させることになります。幸い、この波長帯で使用できるレンズの組み合わせがいくつか見つかりました。

高精度の光学系を組み上げるためには、電子回路のプリント基板に相当する高精度の組立機構を市販レンズの形状に合わせて設計製作する必要があります。この過程で、社会還元促進部門の試作開発にある機械加工設備とその利用経験が大変役に立ちました。筆者が設計した倍率5倍のビームエキスパンダとファイバ結合レンズの光学系を図2(a)に、実際に製作したものを図2(b)に示します。レーザの波長に合わせて第2レンズの位置を調整するために図2(b)の黒色の部分に市販のヘリコイド機構*3を使っていますが、この構造に合わせて残りのレンズホルダを設計しています。自作の場合、このような図面があれば、1日でレンズホルダを加工し、夜には組み立ててその性能を評価することが可能で、もし性能に問題があれば何度でも設計・製作・評価のサイクルを繰り返すことができます。また、加工途中にミスがあっても自分が設計したものなら図面の方を修正してそのまま加工を続けることもできます。もし何らかの失敗があったとしても、自分でその原因を特定できるのでその結果が次の設計への貴重な経験になります。また、試作サイクルを繰り返す中で新たな発見が生まれたりします。図2のビームエキスパンダでは、全角で2.5度の回折限界視野を3個の市販レンズだけで実現していますが、この性能は数年前には筆者は想像すらできませんでした。

図2●倍率5倍のビームエキスパンダとファイバ結合レンズの設計例(a)と実際の製作例(b)。回折限界の視野±1.25度、ビーム直径10mm。 図2●倍率5倍のビームエキスパンダとファイバ結合レンズの設計例(a)と実際の製作例(b)。 回折限界の視野±1.25度、ビーム直径10mm。(図をクリックすると大きな図を表示します。)

図3に最近2年間に所内で開発した光アンテナの外観を示します。いずれも今までになかった広視野の回折限界性能を市販レンズだけで実現しています。

図3●試作した光アンテナ(倍率5.2倍から21倍まで、ビーム直径10mmから42mmまでの5種類) 図3●試作した光アンテナ(倍率5.2倍から21倍まで、ビーム直径10mmから42mmまでの5種類)

今後の展望

ここで紹介した手法により、ビーム直径が5cm以下で波長0.8μmから1.55μmのレーザ結像光学系を短期間に試作することができます。図3の倍率の一番大きな光アンテナについては、試作開発スタッフに複数台の追加製作を依頼し、外部機関との共同研究に使用しました。また、本稿で紹介した光アンテナについては特許出願と共に国際学会でも発表しています。

用語解説

*1 光ファイバ
コアの大きさが50μm程度のマルチモードファイバと10μm程度のシングルモードファイバがあるが、高速・大容量通信にはシングルモードファイバが使われる。この記事ではシングルモード光ファイバのことを光ファイバと呼んでいる。

*2 ビームエキスパンダ
レーザビームの直径を変換するための光学系。

*3 ヘリコイド機構
カメラのレンズを鏡胴の螺旋溝によって前後に移動させる機構。

「試作開発」利用者
有本 好徳
 
有本 好徳(ありもと よしのり)
ワイヤレスネットワーク研究所 宇宙通信システム研究室 主任研究員

大学院修了後、1979年、郵政省電波研究所(現NICT)に入所。衛星管制、衛星通信、宇宙光通信などの研究に従事した後、現在は光無線通信装置の開発に携わっている。博士(工学)。
試作開発スタッフから一言
小室 純一 小室 純一(こむろ じゅんいち)
社会還元促進部門 研究開発支援室 主幹

光アンテナのレンズホルダー部分は汎用旋盤で加工できるような単純な形状で設計されていますが、高精度な特殊サイズのネジ切りという難しい加工もすべて自分で行なっています。そして得られた結果が、世界最高性能の光無線通信装置です。こうした苦労は、自身の習得した技術として今後も研究に生かされていくはずです。

われわれ試作開発スタッフは、「ものづくり」を通して研究活動が発展し、すばらしい研究成果となって社会に還元されるように積極的に取り組んでいます。

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