CRL NEWS
無線LANシステムの研究開発
柳田 敏雄
 はじめに 

 脳は従来のコンピュータの及ばない柔軟な情報処理能力を持っていますが、その動作原理はほとんど未解明です。脳の謎を解明することは、情報とコミュニケーションのテクノロジーに新しい可能性をもたらすと考えられます。
コンピュータと脳を比較してみましょう。コンピュータの素子はトランジスタであり、高速かつ正確なオン・オフ動作を制御することによってコンピュータの機能が得られます。素子の動作時間は現在ナノ秒程度で、正確さは信号と熱雑音との比で表すと10の80乗にもなります。これに対して、脳を構成している素子はニューロン(神経)であり、その動作時間はミリ秒程度で、半導体素子より100万倍も遅く、正確さ(信号雑音比)も10の4乗程度しかないので、ニューロンはトランジスタと比べれば、のろまで不正確にしか働かない曖昧な素子であるということになります。
 しかし、ニューロンが集合してできた脳というシステムは、複雑な環境や予期せぬ事態におかれても柔軟かつ迅速に対応でき、時に創造性を発揮するという点で、コンピュータでは真似できないような高級な「機械」となっています。曖昧さを伴ったニューロン素子から作られている脳は、逆にシステムレベルにおいてこの曖昧さを生かしているのではないでしょうか。つまり、ニューロンからなるシステム(機能コラム、領野)はそれ自体が曖昧さを持つがゆえに、情報の相互作用の中で相手に合わせた柔軟な振舞いが可能であり、結果的に外界の状況に応答できるようなダイナミックな情報ネットワークが脳内に作られるのではないでしょうか。
 このような考え方にたって、私達は脳がどのような独自のやり方で様々な情報を柔軟に処理しているのかを明らかにするために、脳のシステムレベル(領野、領野間)に焦点をあて、新しい脳機能計測装置の開発と脳機能現象の研究とを並行して行っています。


 脳活動計測装置 

 まず、人間の脳の領野レベルの活動をリアルタイム性をもって捉えることができる装置として、近赤外光を利用した脳活動計測装置の開発を行っています。
 可視光域(波長400nmから700nm)より少し長い800nm付近の波長の近赤外線は、生体を構成する主な物質である水、蛋白質、脂質、でんぷんなどによってほとんど吸収されません。一方で、血液中のヘモグロビンについては、酸素と結合しているかいないかによって吸収スペクトルの変化が起こります。このことを利用すると脳活動に伴って起きる血流の変化を捉えることができます。図1に脳の中を光が通る様子を模式的に示しました(イメージ図)。脳活動に伴う血流の変化は機能的磁気共鳴画像(fMRI)の信号源にもなっていますが、近赤外線は酸化型、脱酸化型ヘモグロビンの濃度を別々に測定できるため、より生理学的な情報が得られます。

図1
▲図1 脳内を通る光の分布と光信号に対する感度


 光吸収型計測装置 

 図2は、私達のプロジェクトで開発した光吸収型の計測装置です。この装置を用いてチェッカーボード(注)による視覚刺激時の後頭部の血行動態の変化を測定し、同一の刺激によるfMRIの結果との相関関係を検討しました。図3にその結果を示します。fMRIは現在脳研究に広く使われている装置ですが、その画像に矛盾することなく視覚野の活動を画像化できることを確認しました。また、脳表からの深さ方向の活動情報がどの程度取り出せるかという基礎実験を進めています。吸収型装置の信号源はfMRI同様に脳活動に伴う血流変化(2次信号)であるため、脳の神経活動(1次信号)を捉える新しい方式の光計測装置の開発にも取り組んでいます。生体を透過してきた近赤外線は本来たくさんの情報を含んでおり、波長・強度・時間軸などへの展開が可能であることから、装置化においても様々な可能性をもっています。

図2
▲図2 光吸収から血液の状態を画像化する装置

図3
▲図3 チェッカーボードによる視覚刺激時の光画像とfMRI画像の比較

※注  チェッカーボード
白の格子と黒の格子を一定の時間間隔で互いにその位置を交換するもの(市松模様)。比較的弱い光エネルギーで効果的に視覚野のニューロンを刺激できるため、脳機能研究に良く使われている。


 今後 

 光計測のさらなる利点は、運動する被験者の計測も可能であるという点にあります。人間の脳活動を非侵襲的に計測する装置としてfMRIや脳磁図(MEG)があり私達の研究でも利用していますが、これらは信号を捉えるために多数回試行の結果を加算しなければならなかったり、測定中に被験者頭部が動かないように拘束する必要があったりしますが、私達が取り組んでいる光計測装置は脳の領野レベルの活動をリアルタイム性をもって捉えることができるので、脳のグローバルな活動相関を得ることができると考えています。また装置開発と並行して、視覚などの高次機能に見られる自発的なゆらぎの現象など、脳機能の柔軟性と関連する特性、現象の研究を行っています。脳の柔軟な機能がどのようなグローバルな活動相関や脳内の機能的ネットワークによって発揮されるのかを解明するのに役立つと考えています。脳の領野の概略を示した、脳の機能地図を図4に示します。これら領野間でのダイナミックな情報のやりとりを解明することで、脳の素晴らしさに迫りたいと考えます。

(柳田結集型プロジェクトリーダー)

図4
▲図4 脳の機能地図 −領野の概略−

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