NICT NEWS
トップページ
NICT 神戸研究所 開設20周年記念シンポジウムを開催
神戸研究所 未来ICT研究センター バイオICTグループでの脳研究 今水 寛
原子分解能を有する溶液中動作型原子間力顕微鏡の開発 田中 秀吉
研究者紹介 岩本 政明
テラヘルツ領域の開拓 阪井 清美
-トピックス- NAB テクノロジー イノベーション アウォードを受賞
-トピックス- サロベツ電波観測施設開所式を開催
平成21年度 施設一般公開のお知らせ
神戸研究所開設20周年記念特集

原子分解能を有する
溶液中動作型原子間力顕微鏡の開発 溶液中界面上の原子・分子をオングストローム精度にて可視化する技術 神戸研究所 未来ICT研究センター ナノICTグループ 主任研究員 田中 秀吉

分子ナノテクノロジーが描く未来ICT

情報通信技術の発展に伴い、デバイス作成における微細化技術の限界や情報流通に要するエネルギーの爆発的増大など様々な問題が表面化しつつあります。ナノICTグループではこれらの問題に対して分子ナノテクノロジーという立場から取り組んでいます。
 取り扱う分子は水素や炭素、酸素といった元素から溶液を介した化学反応によって大量合成される有機物で、分子単体の大きさは数ナノメートルです。そのひとつひとつにデバイス機能やセンサー機能を作りこみ、より高機能、高効率なICTシステムの基盤技術要素へと組みあげていく。これが分子ナノテクノロジーの技術コンセプトです。

図1●FM-AFMの動作ダイアグラム

ナノスケールの分子構造を可視化する技術(FM-AFM)

有機分子をデバイス要素として活用するには、このナノメートルサイズの分子ユニットを相応の空間分解能にて取り扱う実験手段が必要です。これには、観測対象への物理的ダメージが少ないという理由から走査型プローブ顕微鏡(走査トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscope; STM)あるいは原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscope; AFM))が一般に用いられます。STMは非接触にて高い空間分解能による観測が可能ですが電気を流す導電性試料しか測定できず、デバイス構造の観測には不向きです。AFMは電気を流さない絶縁体でも手軽に観測できますが、その空間分解能はSTMほど高くはありません。
 周波数変調方式によって動作する原子間力顕微鏡(Frequency Modulation-AFM; FM-AFM)はSTMの高い空間分解能とAFMの汎用性をあわせ持つ観測手法として注目されています。この手法では、一端に深針が形成された片持ち梁(カンチレバー)を台座部分に設置した圧電素子にて微少振動させます。この振動はレーザー光を利用した変位センサーで読み取られ適切な信号処理をした後に再び圧電素子に入力されます。これはちょうどアンプにつないだマイクをスピーカに向けて近づけるようなもので、条件を調整することでカンチレバーは自身の固有振動数(〜300kHz)にて極めて精密な自励振動(ハウリング)を始めます。この状態でカンチレバー端の探針を観測対象に数Åくらい(接触する直前)まで近づけるとその振動数は両者の相対距離に応じてわずかに変化します。この変化量情報をもとにカンチレバー先端と観測対象の距離を制御しながら観測面をなぞるように走査することでその形状に関する情報を得ます。この方式で検出される周波数信号は探針と観測表面間の距離に敏感に反応するのでその空間分解能は理論上STMと同等のものになります。電流を流さずに有機分子を単一分子スケールで観測できる唯一の手法と言えます。

図2●FM-AFMによって真空中で得られたポルフィリン分子配列の高分解能イメージ 	挿入図は理論計算により得られた分子立体形状

溶液中動作型FM-AFMの開発

FM-AFMの動作には精密なフィードバック制御が必要なので外来ノイズの影響が少ない真空環境下で利用されるのが一般的でした。クリーンで安定した真空環境はナノスケールでの観測調整作業には好都合ですが、有機分子特有の化学反応性や機能性を活用するのに必要となる溶液が関与する工程と共存させることは困難です。原理的には溶液中でFM-AFMを動作させることも不可能ではありませんが、常に外来ノイズにさらされる溶液中で真空中と同等のパフォーマンスを得ることは容易ではありません。例えば、溶液中では振動するカンチレバーの周辺に粘性や流動性を有する溶液分子が存在するため安定した自励発振を得るには真空中よりも大きなエネルギー入力が必要となりますが、これはAFMとしての検出感度を悪化させる要因ともなります。さらに、カンチレバーの振動は周囲の溶液やそれを媒介とした他の部材の振動も引き起こし、これらがカンチレバーの振動にも跳ね返って混沌とした状態になります。溶液分子の熱的ブラウン運動(不規則な運動現象)も測定に悪影響を与えます。このような劣悪な環境下で真空中と同等のFM-AFM測定を実現するには装置そのもののノイズ耐性を向上させるだけでなく、少ない入力エネルギーでも安定して自励発振する高度な励振回路や微小な振幅や周波数変化でも高精度に検出可能な変位センサー等の開発が必須でした。
 今回試作した溶液中FM-AFM装置を図3に示します。これは日本電子(株)製の汎用型プローブ顕微鏡(JSPM-5200)をベースとして、溶液中動作に必要となる改良を加えたものです。現在は、代表的な絶縁基板材料であるマイカや高分子化合物のひとつであるポリプロピレンの表面原子配列構造が溶液中でも極めて安定かつ高分解能にて観察できるレベルに到達しており、真空中FM-AFMと同等のパフォーマンス実現まであと一歩というところです。

図3●試作開発した溶液中FM-AFM装置

図4●溶液中界面にて観測された原子配列イメージ

ナノとバイオをつなぐ一分子スケール溶液中プロセス

来社会における情報通信技術では、人間、環境、情報をシームレスにつなぐインターフェース技術が重要となります。このニーズに応えるためにはデバイスそのものを生物親和性素材によって作る、あるいは生物の情報運用メカニズムに即した方法で対象シグナルを検出処理するなどの新たなコンセプトに基づく新技術が必要になります。生物内で行われている種々の生命活動には必ず溶液や溶媒が関与しており、その中でナノメートルサイズの微細な構造体が絶え間なく物質や情報のやり取りを行っています。これらは我々が目標としている「溶液中のナノメートルサイズの有機分子体の機能や構造を1分子レベルで取り扱う」という技術スキームにとてもよく似ており、この溶液中FM-AFM技術そのものが将来的にナノ・バイオ応用基盤技術へと発展する大きな可能性を秘めています。この技術を足がかりとして、ナノとバイオの距離を近づけながら未来のICT技術開拓へと発展させていきたいと考えます。

謝辞

ここで紹介した研究成果については日本電子(株)からの多大なる技術協力を受けました。ここに感謝の意を表します。



単位説明

1ナノメートル(nm)は、1ミリメートルの千分の一のさらに千分の一。
1オングストローム(Å)は、0.1ナノメートル。


Profile

田中 秀吉 田中 秀吉(たなか しゅうきち)
神戸研究所 未来ICT研究センター ナノICTグループ 主任研究員
名古屋大学大学院博士課程終了後、佐賀大学理工学部物理科学科助手、同助教授、ジュネーブ大学固体物理学研究科研究員を経て2002年通信総合研究所(現NICT)入所。超精密計測技術、ナノプロセス技術、分子ナノデバイス技術の開発に従事。専門は、ナノ構造物性、物質開発物理、バイオマテリアル応用。博士(理学)。

独立行政法人
情報通信研究機構
総合企画部 広報室
広報室メールアドレス
Copyright: National Institute of Information and Communications Technology. All Rights Reserved.
NICT ホームページ 前のページ 次のページ 前のページ 次のページ