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生体EMC特集
人体内部の電波吸収量を推定するための数値人体モデル 様々な電波利用状況下に対するきめ細やかな安全性評価 電磁波計測研究センター EMCグループ 専攻研究員 長岡 智明

人体における電磁波エネルギーの吸収量の推定

近年、携帯電話に象徴されるように、電波利用の急速な発展に伴って、電波を発射する機器が私たちの身近なところで利用される機会が多くなってきています。その一方、それらの電波に人体がさらされることによる健康への影響についての関心が非常に高まっています。人体に対する電波の安全性を考える場合、電波にさらされた人体の各部位に吸収される、単位質量あたりの電力である比吸収率(SAR: Specific Absorption Rate)を正確に推定する必要があります。生体に対する熱的な影響(熱ストレス)を測る指標として用いられているSARは主に人体を模擬した数値モデル(以下、数値人体モデル)を用いたコンピュータシミュレーションによって推定されます。数値人体モデルとは、人体(組織・臓器)の形状を微小なブロックの集合体として表現したもので、各微小ブロックに筋肉、脂肪、心臓といった組織・臓器名を示す番号を付与したものです。これまで、NICTでは、MRIデータを利用して人体の複雑な解剖学的構造を詳細に模擬した、直立姿勢の日本人の平均体型を有する成人男女の数値人体モデル「TARO(男性)とHANAKO(女性)」を開発してきました(図1)。これらのモデルは51種類の組織・臓器を有し、TAROを約800万個、HANAKOを約630万個の2mmの立方体ブロックで構成したことで、日本人を想定した高精度なシミュレーションが可能となっています。しかし、人体に吸収される電力量は人体のサイズ(身長、体重、体型等)、姿勢、内部の組織構造(脂肪量等)に依存して大きく変動することが知られており、例えば、成人と体型や内部組織構造が大きく異なる小児を対象とした評価に、成人の数値人体モデルを利用することは適さないという問題があります。そこで、NICTではこれらの問題に対応するため、数値人体モデルの任意体型化、任意姿勢化など、数値人体モデルの高機能化に関する研究に取り組んでいます。

  • *ボリュームレンダリング: 人体など、三次元的な物体の内部構造も含めて視覚化するために用いられる可視化手法

妊娠女性モデルと小児モデルの開発

最近、妊娠女性、胎児および小児に対するSAR評価が電波防護において最も重要な研究課題の1つとなっており、2006年にWHO(世界保健機関)でも胎児や小児のSAR評価を最優先課題の1つに挙げています。しかし、妊娠女性や小児の数値人体モデルをTARO、HANAKOの開発法と同様にMRIの全身データから新たに構築することは、倫理的な問題や多大な開発時間を要するなどの問題があります。この課題に取り組むためにTARO、HANAKOを3次元的に変形することにより、妊娠女性モデルや小児モデルを構築しています(図1)。
 千葉大学と共同で開発した妊娠女性モデルは、妊娠26週の女性の腹部MR画像に基づいて新たに構築した妊娠女性固有の組織(胎児や胎盤など)を含むモデルと、妊娠女性の腹部形状に一致するように、HANAKOの腹部形状を自由形状変形(FFD: Free-Form Deformation)法を応用して拡張したモデルを組み合わせることによって開発しました。この妊娠女性モデルは世界で初めて開発された妊娠女性固有組織の形状を忠実に模擬した数値人体モデルであり、胎児など妊娠女性固有組織を含む56種類の組織・臓器を有し、約710万個の2mm立方体ブロックで構成されています。現在、この妊娠女性モデルのデータベースはTARO、HANAKOのデータベースと同様に、広範囲な研究分野に利用してもらうために公開(http://emc.nict.go.jp/bio/data/)しています。
 小児モデルについては、成人と小児では、身長に対する各身体部位の割合(例えば身長に対する頭部の割合)が大きく異なるため、単純に成人モデルの身長・体重を小児の身長・体重に合わせて変形するだけでは、実際の小児体型を模擬したモデルを構築することはできません。そこで、対象とする年齢の小児の60以上の部位の寸法を計測し、その人体計測データに基づき、TAROを対象の寸法値に合うように変形しました。NICTでは、現在、小児のSAR評価を行うためTAROと同様の組織数およびブロックサイズで構成された3歳児、5歳児、7歳児の数値人体モデルを開発しています。また、この方法を利用すれば、短期間に任意体型モデルを構築することが可能であり、様々な年齢層での評価、検討を実施することができます。

数値人体モデルの適用範囲を拡大する技術

これまで述べた数値人体モデルは図1に示したように、すべて直立姿勢です。無線通信機器を実際に利用した場合の姿勢など、より現実的な条件でのSAR評価をするために、数値人体モデルの任意姿勢化に関する検討を進めてきました。数値人体モデルの関節を基準にして分けた複数のパーツを、FFD法を用いて任意の方向に移動することによって、様々な姿勢のモデルを生成することができます(図2)。また、NICTで開発している数値人体モデルは2mmブロックという非常に高い分解能を有しており、概ね3GHzまでのSAR評価に利用できますが、今後の無線通信機器の高周波帯への移行に伴い、それらの高周波に対応したより高分解能なモデルを整備するため、図3に示すような、高周波数帯の数値解析で誤差要因となりうる数値モデルの組織間の境界の凸凹を平滑化しながら、任意の高分解能モデルを構築する手法についても検討しています。

今後の取り組み

様々な人々を対象とした現実的な条件下での人体内部のSARを高精度に推定することを目指して、NICTでは既存の数値人体モデルを利用した新たな数値モデル開発および姿勢変形といった新たな機能の追加など、数値人体モデルの高機能化に関する研究を推進してきました。今後、任意体型モデルの構築法を体型以外に内部組織の解剖学的な特徴も考慮した方法に改良することにより、様々な電波利用状況下に対して、きめ細やかな安全性評価を行うことができると考えています。将来、皆さま(個人)の体型や、内部組織構造を忠実に模擬したモデルを瞬時に構築し、それらのモデルを用いて体内の電波吸収量を高精度に推定することが可能になると考えています。

長岡 智明
長岡 智明(ながおか ともあき)
電磁波計測研究センター EMCグループ 専攻研究員
大学院博士課程修了後、2004年にNICTに入所。生体電磁環境数値解析のための数値人体モデルの高精度化および高機能化に関する研究に従事。博士(医科学)。
独立行政法人
情報通信研究機構
総合企画部 広報室
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