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研究者紹介
ロバストなネットワーク制御と自律システムの構築を目指して 生命システムに学ぶ新世代ネットワークの原理設計 神戸研究所 未来ICT研究センター 専攻研究員

数十年後の情報通信ネットワークのために

NICTでは、今後数十年にわたるICT基盤となる「新世代ネットワーク」について研究開発を推進しています。インターネットの改良だけでは解決が困難な技術的課題や限界を、既存の技術にとらわれずに白紙から新しく設計することで、抜本的な解決を目指すものです。そうした全く新しい発想の1つとして、生物に学ぶダイナミックなネットワークの研究が、神戸研究所で進められています。未来ICT研究センターの劉 健勤専攻研究員は、この研究に取り組む研究員です。
 「私たちは、生物学、特に細胞レベルの分子生物学における、信号伝達(signal transduction)に注目しています。通常、生物学における信号は化学的に、また、情報通信における信号は電気的に取り扱われています。一見これらは異なる現象のようですが、シグナリング・パスウェイ(signaling pathway: 信号伝達経路)をもって「情報」をやりとりするという点では、共通しています。そして未来のネットワークを創っていくとき、この生物の信号伝達のメカニズムを研究することで、情報通信に有効な新たな原理を見つけることができるという期待をもって研究を進めています」
 20世紀半ばに基本原理が作られた現在のインターネットには、いくつかの弱点があります。例えば、同時にたくさんの人がアクセスすると、道路のように渋滞を起こし、伝送速度が急激に落ちたり、アクセスそのものができなくなったりすることは、私たちも経験しています。また、大地震などによりインターネットのインフラが破壊されれば、通信手段の確保や対策が必要になります。新世代ネットワークでは、たとえ自然災害が発生したとしても、基本的な必要最小限の情報通信が、地球規模で保障されなければなりません。そこで着目するのが、生物の細胞レベルのネットワークです。

生物の持つ優れた情報伝達機能と計算論的モデル

「生物の細胞レベルのネットワークには、大量の情報が押し寄せても、また、環境の変化に応じて、ダイナミックに情報を処理する柔軟性と適応性があります。
 例えば、蛋白質Aから蛋白質Bに情報を伝達する際、情報伝達物質としての蛋白質Xが使えなければ、代わりに蛋白質Yを使うというように、1つのルートがダメなら別のルートを使おうとする機能を有しています。
 また、脳内の神経細胞であるニューロンもよい例です。ニューロンは、通常それぞれが自律的なものですが、必要に応じて互いに連動し、集団的な振る舞いをすることが知られています。しかも、これらの自律的なニューロンが、脳内に同期を起こすことで、情報を効果的に伝えているのです。
 私は、このニューロンの性質を、新世代ネットワークのアーキテクチャに利用することを考えています。つまり、ネットワーク上に、ニューロンのようなセンサーを置き、通常はエネルギーを節約するため「OFF」になっていますが、必要に応じて自律的・自発的にスイッチが「ON」になるセンサー。そうしたネットワークのダイナミクス(動力学)を、生物から学ぼうとしているのです」

劉研究員は、生物の持つこうした優れた情報伝達機能を新世代ネットワークの原理設計に応用することで、「ロバストなネットワーク制御」や「自律システムの構築」を目指しています。ロバスト性(Robustness)とは、環境変動に対してシステムの機能を維持・回復するメカニズム、特徴、性質などのことです。また、自律性とは、集中型制御器がなく、局所的な相互作用からソリューションを見つけ出そうとする機能のことです。
 劉研究員は、生物に学ぶロバストなネットワークの1つの例として、大腸菌熱ショック反応(Heat Shock Response: HSR)における細胞シグナリング・ネットワークを挙げています。熱ショックにより大腸菌の蛋白質折り畳みができるメカニズムは生化学反応ですが、劉研究員は新しい情報通信ネットワークを設計するため、HSR細胞シグナリング・ネットワークに関するバイオインフォマティクス(Bioinformatics: 生物情報学)モデルとその反応プロセスのシミュレーションを行いました。計算論的なモデルを設計してコンピュータ上で再現し、さらに分子生物学の証拠をもって追試するのです。こうした研究方法により、信頼性の高いネットワークを提供するための伝送制御プロトコルであるTCP(Transmission Control Protocol)を応用の対象として、ロバストなネットワーク制御技術で成果をあげています。

故郷の街並みに似た京都、奈良

劉研究員の故郷は西安、かつての長安です。遣唐使の派遣先として日本人にも親しみのあるこの都市は、京都、奈良とは友好都市の関係にあるそうです。
 「今年奈良は遷都1300年で話題になっていますが、初めて京都と奈良に行った時は、故郷の街並みにとても似ていると感じました。当時の建物がそのまま保存されているのかと驚いたものです」
 趣味は歴史と読書だそうで、歴史の本を読んでから歴史の出来事があった場所に行くと、とても勉強になるといいます。休日には奥さんと娘さんを誘って親子3人で出かけることもあります。
 「私は司馬遼太郎のファンで、司馬さんの本が大好きです。東大阪市にある司馬遼太郎記念館にも行きましたよ」
 ちなみに、来日当初は英語版で読んでいたそうですが、日本語に習熟してからは日本語の原文で読んでいるそうです。

日本と中国の架け橋に

そんな劉研究員は、日本人像について、
 「日本人は仕事に対して真面目で、ルールを守り、非常に注意深く事を進めます。これが一番の特質だと思います。また人間性の面では、中国人にも理解できるユニークな東洋的哲学を備えていますね。この日本のオリエンタルで伝統的な文化と、ガリレイやニュートンに代表される西洋的方法論が合致すれば、より完璧だと思います」
 そして将来の展望については、「中国と日本の橋渡しのようなことがしたいのです。もし中国に戻ることになれば、NICTなどのように日本と中国の研究者が互いに行き来して研究できるような環境を持つ共同研究所の参画に携わりたいという夢を持っています」
 劉専攻研究員は、細胞レベルの現象を見つめるミクロな眼と、国境を越えたマクロな眼で研究に取り組んでいます。

Profile

劉 健勤
中華人民共和国中南大学情報工学学院教授、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)客員・主任研究員等を経て、2006年より現職。 生命システムに学ぶ新世代ネットワークアーキテクチャのロバスト制御の研究に従事。博士(工学、情報学)。

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