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生体分子の省エネルギーメカニズム

省エネルギー型筋肉

限られたエネルギーをいかに有効に使うかということは、現代社会を生きる私たちにとって極めて重要な問題です。生物の世界においても同じであり、さまざまな省エネルギーの戦略が見られます。タンパク質分子などの天然の生体分子を利用した技術を開発しようとする立場においても、また、生体分子が持つエネルギー戦略から技術開発のヒントを得ようとする立場においても、生体分子の省エネルギー戦略を研究することは重要な意味を持っています。

そのような生物の省エネルギー戦略の中で、私たちは、二枚貝の筋肉に見られるキャッチと呼ばれるメカニズムについて研究を続けています。アサリやハマグリなどの二枚貝を煮たり焼いたりしますと貝殻が大きく開きます。これは、2枚の貝殻をつなぐ蝶番が弾性を持っていて、外力が働かないと貝殻が開くようになっているからです。しかし、貝が生きている時には、貝殻はほとんど閉じた状態になっています。この貝殻を閉じるための外力を発生しているのは筋肉である貝柱なのですが、この筋肉は、常に力を維持し続けていなくてはなりません。私たちの手や腕の筋肉にしてみますと、重い物体を持ち上げ続けていることと同じになり、エネルギーをどんどん使って疲労してしまいます。ところが、貝柱の筋肉はエネルギーをほとんど使わずに力を維持することができるのです。このような、低エネルギー消費で大きな力を維持する状態をキャッチと呼んでいますが、その仕組みがわかってきたのは比較的最近のことです。

多くの場合、貝柱は2つの部分から成っています。図1は、マガキと、ホタテガイの仲間のヒオウギガイの写真ですが、どちらの貝柱も断面が円に近い大きな部分とそれに寄り添う断面が細長い小さな部分とから成っています。一般に、筋肉は長さ数マイクロメートルの2種類のタンパク質繊維、アクチンフィラメントとミオシンフィラメントが多数集まった束でできていますが、筋肉の種類によってその配置が異なっています。図2は、この、横紋筋、斜紋筋、平滑筋での違いを示していますが、2種類のフィラメントの間で起こる滑り運動によって筋肉が収縮することには変わりありません。図2において、それぞれの筋肉での収縮前(上側の図)と収縮後(下側の図)を示してあります。マガキとヒオウギガイの小さな筋肉は平滑筋、マガキの大きな筋肉は斜紋筋、ヒオウギガイの大きな筋肉は横紋筋です。貝柱の2つの筋肉は、性質や役割がやや異なっています。どちらも貝殻を閉じる筋肉なのですが、横紋筋や斜紋筋は速く収縮して貝殻を素早く閉じます。私たちの手や腕の筋肉も横紋筋で、速く収縮するという性質も似ています。これに対し、平滑筋はゆっくりと収縮し、キャッチ状態になって貝殻を閉じ続けるのです。

図1 マガキとヒオウギガイの貝柱の筋肉
図1 マガキとヒオウギガイの貝柱の筋肉

図2 筋肉の種類によるフィラメント配置の違い
図2 筋肉の種類によるフィラメント配置の違い

キャッチ状態の再現とエネルギー消費

私たちは、筋肉からアクチンフィラメントとミオシンフィラメントを得て、筋肉のキャッチの状態を再現して顕微鏡で観察することに成功しました。この状態では、これらのフィラメントが互いに結合し合っていることがわかったのです。また、トゥイッチンという別のタンパク質が必要であることもわかりました。トゥイッチンがスイッチの役割を果たし、筋肉が、キャッチ状態になって大きな力を維持したり、キャッチを解除してだらりと弛緩したりします。この2つの状態でフィラメントの状態を顕微鏡観察した結果が図3です。暗視野観察法という方法ではミオシンフィラメントだけが見え、蛍光観察法ではアクチンフィラメントだけが見えるようになっています。キャッチ状態では両フィラメントが結合して束になり、弛緩状態ではばらばらに解離していることがわかります。トゥイッチンがないと、解離した弛緩状態になることもわかります。斜紋筋にはもともとトゥイッチンが少ないのですが、多ければキャッチ状態になることもわかりました。

図3 光学顕微鏡によるフィラメント間相互作用の観察
図3 光学顕微鏡によるフィラメント間相互作用の観察

マガキの平滑筋と斜紋筋で、収縮運動の状態、キャッチ状態、弛緩状態、トゥイッチンがない弛緩状態を再現し、エネルギー消費量を調べて比較した結果が図4です。筋肉が収縮する際に直接のエネルギー源となっているATP(アデノシン三リン酸)が分解される速さを測定しました。斜紋筋の方が速く収縮するのですが、エネルギーも多く消費します。おもしろいことに、キャッチ状態でもわずかにエネルギーを消費し、斜紋筋の方が多く消費することもわかりました。二枚貝の進化の上で、斜紋筋をキャッチ状態にするよりも、別に平滑筋を発達させた方がエネルギー消費が少なくて済むという省エネルギー戦略があったのではないかと考えられます。

図4 マガキの2つの筋肉における、状態によるエネルギー消費の違い
図4 マガキの2つの筋肉における、状態によるエネルギー消費の違い

今後の展望

生物多様性という言葉が示しますように、地球上には様々な生物がそれぞれの戦略で生存を続けています。二枚貝の省エネルギー戦略もその1つであり、その分子機構の研究を続けてきました。ウニやヒトデ、ナマコには、コラーゲン繊維などから成る結合組織を使って姿勢を維持するという、全く異なる省エネルギー戦略があります。まだわかっていないことが多く、今回ご紹介したものとは異なる、これらの省エネルギー戦略の解明も進めていきたいと考えています。こうした省エネルギー戦略の新たな知見は、情報通信システムの省エネルギー化などに役立てることができるものと考えています。

山田 章 山田 章(やまだ あきら)
未来ICT研究所 バイオICT研究室 主任研究員

大学院博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、1992年、郵政省通信総合研究所(現NICT)に入所。タンパク質の再構成による生物物理学的研究に従事。理学博士。
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