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藤巻則夫 (ふじまき のりお) - 基礎先端部門 関西先端研究センター脳情報グループ主任研究員

'80年東京大学工学博士。'80-'98年富士通研究所。'99年より通信総合研究所(現、情報通信研究機構)。 以前は超伝導デバイス、現在は言語脳活動計測とその解析法を研究


関西先端研究センター脳情報グループでは、脳磁界計測装置(MEG)、機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)、近赤外光 イメージング(NIRS)などの脳活動計測システムとそのデータ解析技術の高度化の研究(CRL news No. 316, 3-4ページ, Jul. 2002)、およびそれらを使った脳活動計測の研究を行っています。

人は文字を読むことによってさまざまな情報を取得し、またコミュニケーションを行います。人と人との間の コミュニケーションを円滑にし、将来の情報通信システムを使い易いものにするために、われわれは「読み」を含む言語 処理の脳活動を計測しモデル化することにより、脳の言語処理のメカニズムを明らかにする研究を行っています。

ところで、世の中には本を極めて速い速度で読めるようにする「速読」という訓練方法があります。拾い読みや飛ばし 読みをせずにB5サイズの本を読む時には普通1ページあたり数十秒かかりますが、速読に熟達した人は1ページあたり1秒 くらいの速度で読むことができます。NHKからの依頼が発端となり、読みに関わる研究の一環として、速読教室の佐々木 豊文先生(NBS日本速読教育連盟理事長)といっしょに、このような高速の読みを行っている時に脳の中のどこが働いて いるかを調べる実験を行いました。

実験には、速く読む訓練をつんだ速読者に参加してもらい、夏目漱石の小説「こころ」などを使用して、通常の本に印刷 されているように縦書きでスクリーンに投影した文章(図1)を読んで(黙読して)もらい、その際の脳活動をfMRIにより 計測しました。被験者がボタンを押すと次のページが表示されるようにして、次々とページを読み進んでもらいました。 1回が10分間弱の実験になりますが、速読者4人と非速読者4人がそれぞれ速く読む場合と通常の速度で読む場合の二通りの 実験を行いました。速読者に参加してもらったことにより、普通の人が読む速さ(1秒あたり数単語程度)と比べ、 一ないし二桁速い速度(1秒あたり10ないし100単語)まで脳活動を計測することができました。

非速読者の場合は速く読むといっても通常の速度よりせいぜい2倍程度速くなる位で、脳活動も大きな変化はありません。 一方速読者が普通の速度で読む場合の脳活動は非速読者の場合と変わりありませんが、速読時には通常大脳の左側にあって 主要な言語処理を行うウェルニケ野(聞いた言葉の理解や言語音の選択などにかかわる部位)やブローカ野(話すことや 文法などにかかわる部位)の活動が減ることがわかりました(図2はウェルニケ野付近の活動が減った一例、図3は被験者 8人の脳活動の様子)。

読みについては、過去に多くの研究が行われており、書かれた単語を読む場合に、1秒あたり数単語以下の速さ(普通の人が 読む速さ)では、読みの速度が速くなるほど、言語処理に関わる脳部位の活動がより活発になることが知られています。 今回の実験結果は、極めて高速の読みにおいては、逆に脳活動が減少することを示しています。

この他に眼の動きを計測すると、非速読者が読む場合や速読者が通常の速度で読む場合は、眼が一列ずつ上から下に文章を 追いかけながらしだいに右から左に向かって動きますが、速読者が速読する場合には、以前から知られているように、 一列毎の上下方向の動きがほとんどなく右から左へ動きます(図4)。これらの結果は、眼の動きや脳活動を抑制しつつ 極めて速い速度で文章を把握する速読のストラテジー(方略)を示すように思われます。通常、この実験のように声を出さずに 読む黙読であっても、人は見た文字を言語音に変換し心の中で言う内語(ないご)をしますが、内容を了解しつつ高速で 読む場合には、この内語の処理などを減らした読み方をしているのかもしれません。

情報通信においては、人が装置(端末)に向かって情報のやり取りを行います。使い易い情報通信の究極の姿は、あたかも 目の前に人(例えば有能な秘書さん)がいるのと同じように、あいまいな表現を的確に処理し、文脈や意図を汲んで気の 利いた応答してくれるようなシステムではないでしょうか? 人のもつすぐれた言語処理機構のメカニズムが解明されれば、 人と人あるいは人と機械の間の情報伝達をたくみに処理する、高度な情報通信システム構築に発展する可能性があります。 我々はこのような将来ビジョンをもって、脳内言語情報処理をはじめとするさまざまなコミュニケーションのメカニズムを 詳細に調べ、将来の情報通信に役にたつことを夢見つつ、研究をつづけています。

なお、本件の速読の脳活動計測の内容は本年2月にNeuroReport誌(Vol.15, 239-243ページ)に掲載されました。


Q. fMRIとはどんな装置ですか。
A. fMRIは、functional Magnetic Resonance Imagingの略で、機能的磁気共鳴画像装置と呼びますが、 fは小文字で表記することになっています。この装置は、人間が見たり聞いたり考えたりすると、活動する脳の部分の 血流量が数秒程度の時間で変化することから、その血流量の変化を観測して、脳の活動位置をミリメートル単位の精度で 画像化して調べるものです。
Q. ウェルニケ野とかブローカ野とは何ですか。
A. ウェルニケ野は脳左半球の側頭連合野にあって、聞いたり話したりした言葉が何を意味しているのかを 理解する部分です。19世紀にドイツ人精神科医のウェルニケが発見しました。一方、ブローカ野は脳左半球の前頭連合野に あって、言葉を発したり文字を書いたりすることにかかわる部分です。19世紀にフランス人外科医のブローカが発見しました。

脳の空間と時間を追求する関西先端研究センター
読むという行動を通して、ヒトの言語処理を行う脳の仕組みを研究すると、人と人、人と機械の情報伝達において、 あいまいな表現や情報を巧みに処理できる、高度な情報通信システムを構築できる可能性があります。NICTの関西先端研究 センターは脳について、空間と時間という2つの情報を計測する研究を行っています。"空間"を詳しく計測するものには、 本文で紹介したfMRIがあります。"時間"を詳しく計測するものには、脳磁界計測装置(MEG: Magnetoencephalography)が あります。この脳磁界計測装置は、脳の活動によって生じる極めて弱い磁界を、ミリ秒程度の時間精度で計測するものです。 また近赤外光イメージング(NIRS: NearInfraredSpectroscopy)は、光の散乱の様子から脳活動を計測し、被験者が多少 動いても計ることができます。脳を研究する大学や研究機関でも、これらの装置のどれかを設置しているところは多く ありますが、脳の研究のために1つのグループで3つの装置を備え、統合的な計測・解析を行っているのは、関西先端研究 センターだけといわれています。