12

前号 | 次号 | NICTホームページ


サイエンスと新世代高速ネットワーク技術の融合

小山 泰弘 (こやま やすひろ) - 電磁波計測部門 鹿島宇宙通信研究センター 宇宙電波応用グループ グループリーダー

1988年より鹿島宇宙通信研究センター(当時は鹿島支所)に配属され、VLBIによる地球物理学および電波科学の研究に従事。 2001年から国際VLBI事業評議員。博士(学術)。


はじめに

今日、急速に利用が拡大しつつあるネットワーク技術が発展してきた歴史的背景には、高エネルギー物理学や天文学などの 基礎科学研究を進める上で必要な技術を実現していくことがその原動力になったという側面があります。WWWが高エネルギー 物理学分野の研究者の情報交換のために発明されたということや、1987年の大マゼラン雲での超新星爆発のときに世界中の 研究者間で電子メールが飛び交って、さまざまな観測が行われたというのはその代表的な例です。観測データや解析結果など の情報を世界中の研究者で共有し、協力しながら研究をすすめることが可能になった現在、ネットワークが利用できなかった 時代にくらべて研究開発のスピードは格段に進んでいると言えるでしょう。ここで紹介するe-VLBI の研究開発は、なかでも ほかに例のないほど大量でかつ高速なデータを、極めて長距離に伝送することが必要で、ネットワークの研究にとっても 新しい課題を提示しています。また、単にネットワークがあれば便利というだけではなく、真にネットワークが接続されて はじめて新しい知見が得られるという点で、まさに科学研究とネットワーク技術研究の融合研究として好適な研究課題と 捉えています。

e-VLBIにおけるこれまでの成果

VLBIは、電波天文学では可視光や赤外線など他の波長域での観測をはるかにしのぐ解像度で詳細な天体の画像を得ることに 威力を発揮し、地球物理学では地球基準座標系や天球基準座標系、および時々刻々の地球自転軸の方向、いわゆる 「地球姿勢」をもっとも高精度に計測する手段として利用されます。e-VLBIによって処理が迅速に行われるようになれば、 特に不規則に変動する地球姿勢の現時点における値を正確に計測することができ、人工衛星軌道の正確な位置決定が可能と なって、ひいては衛星測位における測位精度の確度や信頼度向上に役立てることができます。また、天文学研究では、 観測感度を大幅に向上し、これまで観測できなかったような微弱な天体まで観測ができるようになると期待されます。 VLBI では、データレートが高速になれば感度が高くなるという関係にあり、従来は磁気テープに記録できるデータレートが 最大でも1Gbpsであったのに対し、ネットワークを利用してリアルタイムに処理すれば、もっと高速なデータレートでの 観測ができる可能性が拡がるのです。

専用線ネットワークを用いたe-VLBIは、平成9年に国内の観測網で世界に先駆けてNTT研究所との共同研究のもとで成功し、 その後、現在では国立天文台や国土交通省国土地理院などの国内研究機関との共同研究のもとで2Gbps のデータレートでの e-VLBI観測網の構築が実現しています。また、国際的なe-VLBIを実現するためにはIPをベースにした一般的な共用 ネットワークを活用することが必要で、平成13年度ころからK5観測システムの開発を開始し、すでに国際VLBI観測において 一部e-VLBIに移行して定常的に観測を行うまでに至りました。そして、平成16年6月には1時間程度の観測を米国の マサチューセッツ工科大ヘイスタック観測所との間で実施し、4.5時間以内に地球姿勢を決めるパラメタのひとつであるUT1を 決定することに成功しました。さらに、e-VLBIの特性を活かした実験として、科学探査衛星の精密位置決定の実験も精力的に 行っており、高精度な探査機の管制に役立てる研究も進めています。

今後の課題

現在残されている課題としては、まず他の通信と共存するIPネットワーク環境において、効率的に遠距離間でリアルタイムに データ伝送を行うことを実現させたいと考えています。その上で、ネットワーク上の多数のPCを用いて、分散処理を活用して 相関処理を高速に行うことにも取り組んでいます。また、観測システムとしてADS3000 データサンプリング・高速演算 処理装置(図3)の開発を進めており、最大サンプリングレート2GHz、量子化ビット数8ビットでAD変換を行って、FPGA (プログラミング可能な高速演算チップ)による演算により、デジタルフィルタ処理や周波数変換処理を行ってデータ 処理した結果を出力することができるように設計を進めています。サンプリングレート2GHzでの観測は、世界最高のもので あり、このシステムを利用することで観測システムの高感度化や、柔軟な観測モードへの対応が可能になると期待されます。 また、このシステムは、VLBI の用途のみならず、正確な時刻情報や、高速なADデータサンプリングとデータ処理を必要と する広範囲な科学観測研究への応用が可能で、すでに分光計としての利用も進みつつあります。

おわりに

VLBIは、高度な電波受信技術、周波数標準技術、データ処理技術など多くの技術が総合的に融合してはじめて可能となった 計測技術です。NICTで開発された観測・処理システムは、いまでは国土交通省国土地理院をはじめ多くの機関や大学などで 採用され、共同研究や受託研究を受けるなど活発な研究交流へと発展しました。さらに現在取り組んでいるe-VLBIは、 特に情報通信技術、なかでも先進的なネットワーク技術によってその可能性が大きく広がっています。その意味で、 以前にも増して情報通信分野と電磁波計測分野でそれぞれ優れたポテンシャルをもつ情報通信研究機構としての特徴を うまく活かして研究開発が進められていると感じます。国際的には、2000年に設立された国際VLBI事業のもと、各国の 研究機関が協力をして技術開発や観測を実施しています。この国際VLBI事業では、筆者らも参加して、2010年ごろに 達成すべき観測形態として、「VLBI2010 」と題して今後進むべき方向性を明らかにしました。私たちは、このVLBI2010を 実現することを視野に入れつつ、e-VLBIを核として、さらに有用な技術開発を進めていきたいと考えています。


Q. e-VLBIとは何ですか?
A. VLBIとはVery Long Baseline Interferometryの頭文字を略した用語で、超長基線電波干渉法と訳されます。電波干渉計は、 複数のアンテナを使用して天体からの電波を同時に受信し、得られた信号を合成するものですが、その際、一旦受信した 信号を正確な時刻情報とともに記録しておき、のちに再生することで、アンテナ間の距離を自由に長くとることを可能に したものをVLBIと呼びます。e-VLBIは、従来のVLBIが磁気テープに観測データを記録してそれを輸送していたのに対し、 高速ネットワークを使用して電子的にデータを伝送することを指します。従来の方法では、磁気テープの輸送などのために、 結果を得るのに少なくとも1週間を要していましたが、e-VLBIではこの時間をほぼリアルタイムにまで短縮することができます。
Q. 観測データはどのように合成処理するのですか?
A. VLBIで複数のアンテナの観測データを合成するデータ処理は、本質的には相互相関関数を高速に演算することであり、 相関処理と呼ばれます。従来、この処理はきわめて高速な演算処理を実現するため、相関器と呼ばれる専用のハードウェアを 設計し、利用していました。今日では、ネットワーク上に分散したPCなどを使用して、ソフトウェア上で相関処理を行う ソフトウェア相関器を開発することが、高機能な処理や自由度の高い拡張性などの点で大いに注目されています。NICTで 開発を進めているソフトウェア相関器は、国内の研究機関はもとより、国外8ヶ国の研究機関でも利用されています。

日本の新しい緯度・経度のもととなった鹿島宇宙通信研究センター
平成14年に施行された改正測量法では、それまで国内で使われてきた経緯度体系を世界測地系へと移行する大きな変革が なされました。その際、世界測地系における国内の三角点の緯度と経度が再計算されましたが、かつて鹿島宇宙通信研究 センターで国際VLBI観測に参加して多くの観測結果から正確な位置が計測されていた26m アンテナ基準点の位置が日本の 基準として用いられました。現在、カーナビなどで広く使われている正確な位置情報のもとは、VLBIが支えているのです。 なお、この26m アンテナは、平成4年に国土交通省国土地理院に移管され、その後も平成15年までVLBI観測などに使用されました。