日常から非常時まで、手話が届く社会をつくる。プラスヴォイスが挑む新しい共生のかたち(1/4)

1.このままでは命に関わる。手助けから始まった「遠隔手話通訳サービス」誕生の背景

ろう者の方たちと、どのような状況で接点を持ち始めたのですか。

三浦:私がろう者の方と接点を持ち始めたのは、フリーランス時代に、ろう者の方々の結婚式で司会を担当したことがきっかけでした。私の隣には手話通訳者がおり、このとき初めて手話を目にしました。当時私は20代で、ドレスアップした方々が笑顔で参加する、華やかな結婚式でした。その光景は会場の雰囲気と相まってとても印象的で、今でも強く心に残っています。この経験をきっかけに手話に興味を持つようになり、友人が増えていきました。

「遠隔手話通訳サービス」を開発されたきっかけを教えてください。

三浦:当時の連絡手段は、筆談とFAXのみで、非常に不便でした。その後PHS*¹が登場しましたが、これはとても画期的なツールとでした。なぜなら、いつでも手元でメールのやり取りができるようになったからです。PHSには「Pメール継続通話」という機能があり、相手がメールを読んでいるかどうか確認することができました。当時は携帯電話とPHSが普及し始めた頃でしたが、PHSは携帯電話に比べて利用料金が割高で、送信できるメールの文字数も20文字と少ない状況でした(携帯電話は128文字)。料金面や利便性では携帯電話に劣る部分もありましたが、外出先でもやり取りができるという点で、FAX以上の利便性を持つ重要なアイテムでした。私は、ろう者の方々に向けてPHSの販売を行っていましたが、その事業を通じて、彼らの悩みや要望をメーカーに伝える役割も担っていました。メーカー各社は利便性向上のため、送信完了を光で知らせる機能や、文字入力が苦手な人のために手書きでメールを送れる機能などを搭載してくれました。

 こうした活動を通じて、さまざまな困り事を聞き、サポートを続けていく中で、私はアメリカに「電話リレーサービス」*2があることを知りました。当時、約6,000人のろう者が在籍する「プラスヴォイスクラブ」を主宰していた私は、「このサービスはきっと役に立つはずだ」という思いで、「遠隔手話通訳サービス」の開発を志すようになりました。その思いを強く後押しした出来事は他にもあります。ある日、千葉県在住の友人がビデオ通話機能を使って、仙台市にいる私に助けを求めてきました。歯科技工士であるその友人から、「ラボでガス漏れが発生しているようだ」との連絡が入ったのです。私は119番通報しましたが、当然つながったのは仙台市の消防局でした。友人は千葉県在住だったため、改めて千葉県の消防署に連絡し直し、そのやり取りを友人はビデオ通話を通じて見ていました。私は手話と音声の両方を使って、両者の通訳として対応しました。

 このような緊急性の高い場面に直面し、私は改めて「電話リレーサービス」のような、ろう者の困り事を根本的に解消するプラットフォームの必要性を強く感じました。その実現方法を長年模索し続け、2003年には総務省のコミュニケーションサポートシステムに関する助成金を受けました。さらにその後、NICT(エヌ・アイ・シー・ティー)からも助成をいただきながら開発を進めてきました。


*1Personal Handy-phone System:1995年に日本で開始された低コスト・高音質なデジタル携帯電話サービス
*2聴覚や発話に困難のある人と聞こえる人との会話を、通訳オペレーターが「手話」または「文字」と「音声」を通訳することにより、電話で即時双方向につながることができるサービス