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リサーチ

量子情報通信の最前線 新世代ネットワーク研究センター 量子ICTグループ グループリーダー 佐々木雅英

限界が見えてきた光通信に取って代わる量子情報通信

インターネットのブロードバンドサービスや光電話が普及するにつれ、日常生活でも光通信が身近になってきました。情報通信技術の夢は広がる一方ですが、その限界も指摘され始めています。波長多重に基づく大容量化は、髪の毛ほどの光ファイバーに多くの電力を注入するため、その溶融限界まで達しています。また、電子決済等での高度な情報安全性の確保も緊急の課題です。これに対しては、1990年代半ば以降、現在の暗号を瞬時に破る新しい技術(量子コンピューター)の脅威が現れてきました。現在の情報通信技術を支えるのは電磁気学と光学という19世紀に完成した物理学ですが、今後は量子力学という20世紀の物理学に情報操作の原理を変更していく必要があります。それによって実現する量子情報通信は、超並列計算を行う量子コンピューターや、量子コンピューターでも破れない絶対安全な量子暗号、光子当たり最高の伝送効率を達成する量子符号化技術などを可能にします。総務省とNICTは、この量子情報通信の研究開発戦略をいち早く策定し、2001年から戦略的かつ総合的に推進してきました。

量子情報通信は光子や原子、電子の量子力学的性質を直接制御する究極の情報通信技術です。究極の伝送効率を達成する量子符号化技術のほか、絶対的な情報安全性を実現する量子暗号、量子コンピューターを量子テレポーテーションによって結ぶ量子インターネットなどが含まれます。量子情報通信は大量のデータを盗聴や改ざんから守りながら高速に伝送する究極の手段です。日常生活におけるこのような用途としては、医療分野が考えられます。たとえば、個人の医療検査情報を複数の医療機関に、プライバシーを安全に保護しながら照会し、的確な診断や治療を迅速に受けることが可能になるでしょう。また、直接目に見えないところでも、ネットワーク社会の安心と安全を守る先端技術として使われていくでしょう。

量子暗号については、あと4、5年で政府専用線などの限定用途での使用が可能になる見通しです。一方、量子符号化技術は量子力学で突き詰めた究極の通信方式ですが、実用化にはあと10年以上の期間が必要です。最初は、宇宙光通信など増幅器を使えない極限通信路において高速リンクを張る手段として使われるでしょう。受信端では数個の光子から最高の情報を取り出す必要があるからです。一方、地上の光ファイバーネットワークでは、新構造のファイバーや高性能増幅器等の革新が今後期待されるため、2020年ごろまでは現在の光通信の延長線で十分対応可能と予想されます。その先を予測することは簡単ではありませんが、超高精細画像や多様なコンテンツを地上系と宇宙圏を統合したグローバルネットワーク上で高速かつ安全にやり取りしようと思うと、量子情報通信は現在我々が知り得る唯一の手段になります。

量子符号化技術の鍵を握る光子の重ね合わせ状態の制御

今回は、量子符号化技術に向けた我々の最新の成果を簡単に紹介します。この技術の鍵は、複数光子の異なる状態が同時に存在する重ね合わせ状態の制御です。NICTでは、光子数5個程度までの重ね合わせ状態を自在に生成することに成功しています。まだ世界的にも3機関しか成功していません。生成法の概略を図1に示します。特殊な結晶を波長430ナノメートルの青色の光で励起し、波長860ナノメートルの近赤外光を生成します。結晶の中では、波長430ナノメートルの光子1個が波長860ナノメートルの光子2個に変換される光パラメトリック下方変換が起こり、偶数個の光子しか含まれないスクィーズド光が生成されます。次に低反射ミラーを介してスクィーズド光の一部を光子検出器まで導波し、光子が検出されたときのみスクィーズド光が右に透過するように制御します。これによってスクィーズド光から光子1個を抜き取ることができます。このようにして生成された状態は、ホモダイントモグラフィという光学的断層撮影法によって測定できます。

図1

その測定データを図2に示します。左のaが弱励起で生成した単一光子状態に対応します。実際、下段の光子数分布では、2光子以上の確率がほとんどゼロになっています。ゼロ光子(真空)の確率が残るのは、実験系での光損失がどうしても避けられないためです。中段は単一光子の電場の時間振動の様子を示したものです。2本の帯の位置は光子1個の電場振幅に相当します。「光子が1個」とエネルギーが確定すると、波の位相(山と谷の位置)は逆に完全にランダムになってしまいます。不確定性原理のためです。時間に依存しない2本の帯になるのはそのためです。もし通常のレーザー光なら山と谷を持つ正弦波振動になります。上段は光学的断層撮影の専門的表現法でウィグナー関数分布と呼ばれます。この分布に負の領域が現れ、それが深いほど量子効果が強いことを表します。

図2

数十年後を見据え、新たな情報通信技術の開発を目指す

励起強度を上げて光子数を増やしていくと、図2bの中段のように山と谷を持つ波の性質が現れてきます。図2cでは更に励起強度が上がり、光子の数が増えた状態です。特に、横軸の同じ時間位置に山と谷が同時に現れており、位相が180度ずれた2つの波の状態が重ね合わさっていることが分かります。この場合、偶数光子は互いに打ち消しあって消えてしまい、奇数光子しか含まれません(ただ現実には光損失のため偶数光子成分も若干混入しています)。古典力学では絶対にあり得ない状態です。NICTが2006年の秋に生成に成功したこのような光の重ね合わせ状態は、これまでで最も強い量子効果(上段のウィグナー関数分布の負の値)を示し、2008年11月現在でも破られていません。

偉大な発明がその実用化に至るまでには、ゆうに半世紀以上の歳月を要します。そして、そのインパクトは通常、発明当時の予想を大きく超えています。たとえば、今では誰でも持っている携帯電話を可能にしたのは1899年のマルコーニの発明と、もう1つ1948年に32歳のシャノンが提示した符号化理論です。我々は、今後も数十年後の先端技術を見据え、未踏領域へ果敢に挑戦し、夢と感動の情報通信技術を社会へ還元していきたいと思います。

Profile

佐々木雅英佐々木雅英(ささき まさひで)
新世代ネットワーク研究センター 量子ICTグループ グループリーダー
大学院博士課程修了後、NKK(現在のJFE ホールディングス)に入社。1996年郵政省通信総合研究所(現NICT)入所。量子情報通信の研究開発に従事。博士(理学)。



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