患者に負担のない無線ネットワーク技術
我が国では、医療・介護・健康サービス分野の産業の育成は成長戦略の1つとして位置づけられています。この分野のキーワードは健康長寿であり、従来の、病気になってからの医療・介護に加えて、一人ひとりが自らの健康管理を行い、病気にならないための予防が必要です。
個人の健康見守りや、緊急連絡に対する適切な対応が可能な、誰もが安心して容易に利用できる保健医療サービスが求められています。このためには、利用者が扱いやすい軽量小型の生体・生活センサ群と、それらセンサから無線で送信されるデータを安全に集積する携帯機器が必須です。簡単操作で利用者のプライバシーを確保するセキュア(安心な)省電力短距離無線ネットワークとセンサを開発しました。
ユビキタス保健医療(UMe )プロジェクトとは
ユビキタス保健医療(UMe: Ubiquitous healthcare and Medical system)プロジェクトは、神奈川県予防医学協会、横浜市立大学医学部、およびNICTを中心に、協力関係にある企業群が得意技術・ノウハウを持ち寄り、実用化に取り組んだ開発プロジェクトです。
さまざまなプロジェクトで、健康管理機器やセンサ群、さらにはそれらの機器から成るシステムの研究成果が報告されています。しかしながら、これらのプロジェクトは研究的要素が強く、プロジェクト期間終了後に成果の展開が図られていないケースが多々ありました。本プロジェクトは、検診センターや病院、自宅、さらには屋外とさまざまな現場での健康管理を実現するために利用者の視点で、(1)できるだけ利用者に負担をかけないセンサ、(2)それらセンサから構成される利用者にとって安心な省電力短距離無線ネットワーク、を提供することを基本にしています。(図1)
ボディ・エリア・ネットワークとは
ボディ・エリア・ネットワーク(BAN)は、センサ群とそのデータ集積携帯端末との間の省電力短距離無線通信ネットワークです。体表に着装するセンサと体内埋め込みのセンサを接続対象に、1つのネットワークあたり、将来は最大100個程度のセンサが接続する体の周りのネットワークを構成します。BANの一例として、図2に示すように、小型生体センサとそれらのセンサから無線でデータを集める携帯端末(コーディネータ)から成るネットワークがあります。センサは無線受信待ちがほとんど発生しない方式を採用し、省電力化を実現しています。データ集積携帯端末はセンサ群から送られてくる生体データの時間的順序関係を保つとともに、特別な暗号設定操作なしでプライバシーを確保する自動暗号化キー生成方式でも省電力を実現しています。このように、本プロジェクトで研究開発したBANは利用者に負担をかけない実用ネットワークを実現しています。
小型生体センサ
小型生体センサの一例として、不整脈検知とその外部への緊急連絡を行うことを目的としたアクセサリ型双極誘導心電計(以降、アクセサリ型心電計)を図3に示します。この心電計は心電・体位・体表温度が同時に測定でき、体表にペンダントのようにぶらさげて長期間着装していることができるタイプで、横浜市立大学医学部と共同で開発しました。電極はジェルではなくドライタイプであることから、皮膚に触れていても皮膚を傷めることがありません。
利用者は、気分が悪いときなどに同心電計の表面にあるボタンを服の上から押すという操作を行います。その操作で心電データ・体位・体表温度を計測し、それを暗号化してデータ集積携帯端末に送ります。この心電計は小型充電型バッテリ搭載で19gの重さで24時間以上連続測定を実現しました。必要な時にだけボタンを押して心電データを取る場合は1年以上もつと考えられます。
その他のセンサ
小型のセンサとしては、アクセサリ型心電計のほかに、指輪型パルスオキシメータや呼吸センサなどがあります。
指輪型パルスオキシメータは脈拍数と経皮的動脈血中酸素飽和度をモニターするセンサで、SpO2センサとも呼ばれます。このセンサも上記心電計と同じく、内蔵ボタン電池駆動で、データの暗号化を行って24時間連続してデータ集積携帯端末に送信する能力を持っております。
呼吸センサは、眠りの深さを見るなど、睡眠時の呼吸に関する各種データを連続して取り出せるピエゾ素子*センサです。シーツの下に敷くことで、睡眠時の呼吸データを連続して取ることができます。(図4)
- * ピエゾ素子:ピエゾとはギリシャ語で「圧力を加える」という意味で、別名「圧電素子」とも呼ばれる。 物質に電気を流すと形が変化する特性を利用して、スイッチのオン・オフなどに用いる。
標準化について
IEEE802.15.6ワーキンググループにおいて、BANを対象とした短距離無線通信ネットワークに関して、そのネットワーク物理層(PHY)とデータリンク層の下位副層である媒体アクセス制御層(MAC)の標準化が進められています。今回紹介しているBANは、IEEE802.15.6 化を想定して、センサ・データ集積携帯端末間データ送受信同期機構を最適化し、自動暗号化キー生成がなされたネットワークで、既存の無線モジュール上に実装しています。現在、NICT新世代ワイヤレス研究センター 医療支援ICTグループは、IEEE802.15.6標準化活動を中心的立場で進めており、 最終的にはBANはIEEE802.15.6仕様を満たす予定です。
今後の展望
実際に利用者が使えるウェアラブルな省電力センサ群、そのセキュア短距離無線ネットワークの研究開発成果を紹介しました。最終的なユビキタス保健医療サービスの実現を目指して、予防医学関係者とともに医学的検証での有意性を確認した上で、一般での使いやすさと安全性を追求した真の生体・生活センサが世の中に出てくることが必要と考えており、そのために今後も取り組んでいきます。
なお、本研究開発は、筆者が新世代ワイヤレス研究センター 医療支援ICTグループ在籍時に行ったものです。
- 黒田 正博(くろだ まさひろ)
- 研究推進部門 標準化推進グループ
マネージャー - 1980年東京工業大学大学院修士課程修了後、三菱電機(株)入社、2002年通信総合研究所(現NICT)勤務。UnixOS開発、携帯電話向けJava標準化活動、次世代モバイルネットワーク、そして、健康・医療分野を中心に短距離無線ネットワーク(BAN)の省電力ネットワークとセキュリティの研究開発に従事。現在、標準化推進活動中。博士(工学)。