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テラヘルツ計測を利用した材料評価法の検討 -生体組織の状態診断の実現に向けて- 電磁波計測研究所 電磁環境研究室 主任研究員 水野 麻弥

はじめに

私が所属する電磁波計測研究所電磁環境研究室は、本年度よりNICTでスタートしたテラヘルツ連携プロジェクトに参画し、未来ICT研究所、光ネットワーク研究所およびワイヤレスネットワーク研究所等と協力して、これまで未開拓であった、光と電波の中間に位置するテラヘルツ波の基盤研究と標準化を進めています。このプロジェクトにおける本研究室の主な役割として、電力の精密測定法の検討やテクニカルガイドの作成、データベースの構築、そして、テラヘルツ波の様々な応用可能性を社会に示すことが挙げられますが、中でも挑戦的なテーマと考えられる生体組織の状態診断に向けた取り組みについて、ここで紹介したいと思います。

テラヘルツ波を利用した材料評価

光の指向性と電波の透過性を合わせ持つテラヘルツ波は、様々な非金属材料中を伝搬することができ、伝搬後の電界波形(図1)を解析することで、材料中の分子の集団的挙動を推測することができます。これは、電界の振幅と位相から材料の各周波数における吸収特性を求めることが可能であり、入射するテラヘルツ波の偏光方向を変化させることによって、分子集団の運動に必要なエネルギーだけでなく、その運動の方向も把握することができるからです。また、2つの異なる材料が広面積で接触するように合成された複合材料を伝搬した場合には、個々の材料の解析では得られない、接触部における分子間の弱い斥力や引力による特性の変化が観測できることもわかってきています。このテラヘルツ帯で観測できる低エネルギーの現象は、X線や光領域の電磁波では感度良く捉えることが困難であったことから、テラヘルツ波を利用することによって、これまで説明が難しかった様々な分子の集団的挙動や分子間相互作用の解明が進むのではと期待されています。実際に、高分子と無機結晶からなるナノコンポジット*1絶縁材料の優れた特性を解明する手法の1つとしても、既に使用され始めています。

図1●テラヘルツ波の電界波形の例
図1●テラヘルツ波の電界波形の例

生体組織の状態診断への試み

前述の解析手法を用いて、私たちは生体組織の状態を評価できる可能性について検討しています。これまで、生体物質であるコラーゲンやいくつかの生体鉱物について測定を行った結果、アミノ酸組成が同じコラーゲンであっても、図2に示すように収縮などの形態変化に伴ってテラヘルツ波の吸収特性が変化することや、炭酸カルシウムやハイドロキシアパタイトなどの結晶性に依存した吸収特性が得られることなどがわかってきました。また、炭酸カルシウムと有機物(β-キチン)から成る甲イカの骨を、試料伝搬後のテラヘルツ波の強度を指標として画像化したところ、図3のように肉眼では全体的に同じように見える試料において、炭酸カルシウムとβ-キチンとの接触面積が狭い領域Aと広い領域Bを、テラヘルツ波信号の強弱(画像上の白黒)で判別できることも確認できました。このような生体物質の形態や分布は、生体組織の機能にも大きく影響することから、今後さらに、水和状態*2における生体組織の形態変化の検出を試みるなど、より現実に近い試料を用いた研究を進めていきたいと思います。なお、これらの研究成果は、今後テラヘルツ波の実用化を進める際に必要な、生体への安全性の検討にも役立つと考えています。

図2●コラーゲンの収縮のイメージと吸収特性
図2●コラーゲンの収縮のイメージと吸収特性

図3●甲イカの骨の写真とテラヘルツイメージ
図3●甲イカの骨の写真とテラヘルツイメージ

今後の展望と課題

テラヘルツ波は水に吸収され易く、体の深部まで浸入しないため、テラヘルツ波を用いた組織診断については、胃カメラを用いるように体の内部から診断する方法と、体表や体外診断が主な研究対象になってくると思われます。ディッシュ上の細胞や細胞外基質の形態・分子間相互作用等を分析することに大きな力を発揮すると考えられることから、たとえば、再生医療に用いられる足場材料*3と細胞との接着能などを、体内に埋め込む前に、テラヘルツ波を利用して評価できるようにできればと考えています。この非常に大きな目標を達成するためには、テラヘルツ波の発生や高感度検出、増幅などの基盤技術の開発が不可欠であり、また、様々な基盤技術を組み合わせて簡便な生体試料用のテラヘルツ計測システムを作製することも必要となります。さらには、テラヘルツ波の生体への安全性確認を含む適正な技術基準の確立が重要になるなど、行うべき課題はたくさんありますが(図4)、生体組織の状態診断の実現に向けて、一つひとつ着実に研究を進めていくことができればと思います。

図4●テラヘルツ波応用までの道のり
図4●テラヘルツ波応用までの道のり



用語解説

*1 ナノコンポジット
 ナノメータスケールで異種の物質を分散し、複合したもの。マクロ・ミクロな複合方法では得られない性質を示します。

*2 水和状態
 有機化合物に水分子が付加した状態のこと。水和は、タンパク質の構造安定性や機能発現に大きく関わっています。

*3 足場材料
 人工の細胞外基質(細胞の外に存在する超分子構造体)のこと。生体組織の欠損部位の再生を促すために使用されます。

水野 麻弥 水野 麻弥(みずの まや)
電磁波計測研究所
電磁環境研究室 主任研究員

理化学研究所 独立主幹研究ユニット ユニット研究員を経て、2006年、NICTに入所。ミリ波やテラヘルツ波の応用計測技術に関する研究に従事。博士(工学)。
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