「秒」の再定義における二つの選択肢を統一的に理解する方法を確立

〜2030年の「秒」の再定義に向けて議論が加速することに期待〜
2025年12月1日

国立研究開発法人情報通信研究機構

ポイント

  • 秒の再定義における二つの選択肢「単一原子種を利用」「複数原子種を利用」を統一的に理解する方法を確立
  • グラフを利用することで、相容れなかった両者を初めて直観的に比較することが可能に
  • 2030年に想定されている秒の再定義に向けて議論が加速することに期待
国立研究開発法人情報通信研究機構(NICTエヌアイシーティー、理事長: 徳田 英幸)は、パリ天文台と共同で、国際単位系秒の再定義を行うに当たっての二つの選択肢、「単一原子種を利用する方法(Option 1)」と「複数原子種を採用する方法(Option 2)」を統一的に理解する方法を確立しました。
上記二つの選択肢は一見すると考え方が全く異なるためその比較が難しかったのですが、グラフを利用することで初めて直観的に比較することができるようになりました。また、Option 2では、人為的な判断が残されていた“重み付け”について、世界中で得られた様々なデータから自動的に決定する手法を提案し、客観性が確保されました。
これにより、これまで膠着していた秒の再定義の二つの選択肢の議論が加速し、2030年の国際度量衡総会にて新しい定義案が上程されることが期待されます。
なお、本成果は、2025年11月14日に、 計量標準分野のトップジャーナルである国際学会誌「Metrologia」に掲載されました。

背景

現在、国際単位系における秒の定義はセシウム原子のマイクロ波領域にある遷移(約9.2 GHz)で定義されていますが、より周波数の高い光領域の遷移(400-600 GHz程度)を利用して精度の高い時間を刻む光原子時計の研究が今世紀初頭より進展し、現在ではセシウム基準より、2桁以上小さい不確かさで基準周波数を生成可能となりました。
これを受けて、秒の定義を光学遷移によるものに変更すること(秒の再定義)が2010年代の後半より国際度量衡委員会時間周波数諮問委員会(CCTF)で議論されています。
当初セシウム原子時計に代わる光原子時計を一つだけ(ストロンチウム、イッテルビウムなどが候補)選ぶことを目指して議論がなされてきましたが、多彩な原子による光格子時計単一イオン光時計の開発が進められている状況で一つの原子種に絞る事の難しさが課題となっていました。
そこで2019年にパリ天文台のJ. Lodewyckは、セシウムに代わる候補とされる複数の原子やイオンを同時に採用し、貢献度の加重を定量的に決めた形で定義する方法を提案しました。この方法は、容易に理解するのが難しい反面、関係者間の「総合的な議論」で一つの原子種を決定する必要がないこと、生成される基準周波数の性能が向上した場合、加重が増える形で反映され、それをインセンティブとして現在同様に競争的に研究が進展する可能性があること等の利点を持っています。そこでCCTFは上記二つの再定義の方法
1. セシウムに代わる新しい原子種を一つ利用し、その遷移周波数を定義値とする方法
2. 複数原子種の遷移周波数の重み付き相乗平均値を定義値とする方法
をOption 1, Option 2として議論を絞り、どちらが新しい秒の定義としてふさわしいか議論を進めてきました。しかし、時間・周波数の専門家であるCCTFの構成員ですらOption 2を正確に理解することが難しく、異なるOptionの支持者の間で科学的にかみ合った議論が展開されませんでした。

今回の成果

図1
この度、NICTはパリ天文台と共同で、現在議論されている秒の再定義の二つの選択肢を統一的に理解できる方法を確立しました。従来の数式だけでなく、周波数値空間におけるグラフも利用して単位系の定義を理解することで、特に複数遷移を利用して定義するOption 2の原理を可視化し、容易に理解できるようにしました。
図1は、例としてセシウムの遷移の周波数値ν1を横軸、ストロンチウムの遷移の周波数値ν2を縦軸に取ったものです。定義が決まると周波数値が決まるということは、このグラフ内のどこか1点が最終的に選ばれると考えることができます。しかし我々は自由に選べるわけでなく、セシウムとストロンチウムの周波数比は無次元量で定義によらず決まっており、点(ν1, ν2)は周波数比が一定値となる原点を通る直線(赤線)上になければなりません。その上で定義もしくは単位があることで赤線上のどこの点の数値とするかが決まります。したがって、定義とは、上記の赤線に加えてもう一つの拘束条件となる線を与えて交点として数値を決めるためのものと考えることができます。実際に現在の秒の定義はOption 1でありセシウムの周波数の定義値9,192,631,770があることにより図の垂直に引かれた青点線が定義を表す線となり、ν1=9,192,631,770 という条件式を与えます。そしてOption 2では、定義線が曲線となり、例えばν1, ν2の重みがそれぞれ0.4, 0.6の場合
 ν10.4 ν20.6=一定値
という曲線(緑点線)が定義線であると考えることができ、同様に赤線と定義線の交点として(ν1, ν2)が決まると考えることで、両方のOptionを統一的に解釈することができます。さらに、Option 1はOption 2におけるν12の重みがそれぞれ1, 0となった特殊な場合として包含されることも分かります。
加えて今回の成果では、Option 2における重み付けについて、世界中で得られた様々なデータに基づき、科学的な手法を提案しました。2019年の最初の提案では、特定の測定結果に基づいて決定する形で、どの結果を選ぶかという点において主観性を完全に排除できていませんでした。しかし今回、その時点で得られた全ての測定結果を入れた形で合理的に重みを決定する方法が提案されたことにより、Option 2においては必ずしも科学的ではない「総合的な議論」を廃して定義の決定や運用ができる方法が確立したことになります。

今後の展望

本成果によって、Option 2の理解しにくさが大幅に改善され、また定義とは何か、その本質が広く理解されるようになることが期待されます。そして、Option 1、Option 2 のいずれかを支持する人も、もう一方の定義の内容を理解した上で、両者間で科学的にかみ合った議論が展開されるようになります。CCTFは2025年9月18-19日に7年ぶりに対面形式で開催されましたが、このOption については、まだどちらかに決定されるには至りませんでした。しかし、本成果が既にCCTF主催の研究集会等で報告されていたこともあり、Option 2の理解が関係者間で十分進んだことが共通認識とされ、今後再定義の方式を決定する議論に進む事が合意されました。現在想定されているように2030年に国際度量衡総会で秒の再定義を決議するためには、Optionの決定は待ったなしの情勢となっており、本成果によって議論が加速されることが期待されます。

論文情報

著者: Jérôme Lodewyck, Tetsuya Ido
論文名: Properties of a definition of the SI second based on several optical transitions
掲載誌: Metrologia
DOI: 10.1088/1681-7575/ae033f

補足資料

図2 現在のセシウムによる定義(Option1)でセシウムν1と他の遷移ν2の周波数値が決まる様子
図3 複数遷移ν1, ν2 によって定義され(Option2)周波数値が決定される様子
定義に関連する遷移を二つとした場合について概略を示します。二つの周波数値ν1, ν2は定義(単位量)があることによって初めて決まる、つまりこの座標空間の中で点(ν1, ν2)が一意に決まります(図2参照)。しかし、定義によってどの点でも自由に取れるわけではありません。なぜなら周波数比ν21 は次元を持たず、人間が決める単位や定義等によらず自然が決定しているからです。そして我々は測定によって一定の不確かさを持つもっともらしい比率を求めることができます。したがって、点(ν1, ν2)は比率が一定値を取り原点を通過する赤色の線の上に存在する可能性が最も高く、比率測定の不確かさから来るピンク色の三角形の領域内に存在する確率があります。
その上で、もし横軸の遷移周波数がセシウムの遷移周波数だとすると、現在の秒の定義はν1軸の値が9,192,631,770であることを要請します。その結果、図2の周波数比ν21から決まる赤色の直線と定義から決まる緑色の点線ν1=9,192,631,770の直線の交点として(ν1, ν2)の位置が決まります。このように、定義というのは、周波数空間上で自然が求める比率関係による束縛がある上で周波数値の点を決めるためのもう一つの束縛条件と考えることができます。そう考えると重み付き相乗平均で定義するOption2における定義をグラフ上で表すと図3のようになり、例えば遷移1と遷移2の重みが0.3, 0.7の場合、定義を表す束縛条件は
 ν10.3 ν20.7=一定値
という曲線(青点線)となることが分かります。そして、重みが変わると青曲線が赤線と交わるときの角度が変わり、遷移1の重みが0.9となると、オレンジ色の破線で書くように定義線が急峻になり、さらに重みが1となると、遷移1だけで定義されることになり、図2の現行の定義線(Option 1)同様に垂直な定義線に帰着されます。周波数比は自然が決めた真値があり、我々は測定でそのもっともらしい値を求めますが不確かさを伴います。その一方、定義は人間が決定するものであり不確かさを伴いません。したがって、(ν1, ν2)は定義線の上を決して外れることがなく、その定義線上で比率測定の不確かさの範囲内に概ねあるということになります。その上で、新たな測定結果が得られると赤直線の傾きはわずかに変化し、これによりOptionによらず点(ν1, ν2)は定義線の上を動きます。ここでOption 1ではν1の値については変化しないためOption 2に比べて安定に見えますが、線の上を点が動くという状況は両者同じであり、Option 1はOption 2の特別な場合と考えることができます。
また、定義を改定する際には定義の前後で1秒の長さが変動しないようにする必要があります。現在のセシウムの周波数が9,192,631,770 Hzと定義されたのは、それまで利用していた天文に基づく1秒でセシウムの周波数を正確に計測して決定し、当時の秒の再定義の前後で1秒の長さが変動することはありませんでした。同様に今回の秒の再定義の際でも、これまでの定義で用いられてきたセシウムの遷移周波数と矛盾が生じない値として(ν1, ν2)が決まり、その値から上記の定義の式の右辺の一定値が決定されます。(Option 1の場合はν1, ν2それぞれの重みは1, 0から0, 1に変わると考えることができます。)
今回の成果では、Option 2における解釈法とともに、もう一つ2019年の複数遷移による定義の提案当時に認識された課題である重みの決定の仕方についても、得られる全てのデータに基づいて重みが与えられる科学的な方法を提案しました。2019年の論文では各原子種の遷移周波数と他の遷移との周波数比のうち相対不確かさが小さいものをいくつか選びその不確かさの値から重みを決定する、という得られる全ての比率測定の結果が反映されない、恣意的な選択が入る余地があるものでした。重み決定方法が提案されたことにより、Option 2においては定義決定過程の曖昧さをもたらす「総合的な議論」を廃して客観的な定義の決定や運用をする方法が確立したことになります。

用語解説

国際単位系(SI) 国際単位系(SI)は、科学や技術、産業に共通の基盤となる計量体系であり、長さ、質量、時間、電流、温度、物質量、光度の七つの基本単位を定め、それを基に様々な派生単位が作られている。SIの特徴は、できるだけ自然界の普遍的な物理定数に基づいて定義して時代や場所に左右されない安定した基準を確立している点にある。例えば、メートルは光速、キログラムはプランク定数を基準にしている。しかし、秒の定義については特定の原子の遷移周波数を利用する原子時計の性能が非常に高く、定義値とすることで原子時計以上の性能を実現できるような物理定数がないため、質量数133のセシウム原子という特定の原子の遷移周波数値を定義値としている。 元の記事へ

秒の定義・再定義 国際単位系(SI)の1秒は現在セシウム133原子のマイクロ波遷移の周波数を9,192,631,770 Hzとすることで定義されており、我々は当該遷移に共鳴した電磁波の振動を9,192,631,770回数えると1秒を得る事ができる。一方、近年光学領域にある遷移を利用する光原子時計の開発が進み、これを利用すれば、より小さい不確かさで1秒を生成することが可能になる。このため、計量標準の研究者間では1秒の定義を変更すること(再定義)が議論されているが、再定義のためには、光原子時計により実現される1秒の不確かさが現在のセシウムに基づくものより2桁程度小さくなること、また社会生活の基準時刻である協定世界時(UTC)が刻む1秒についても新しい定義に即して光時計でその精度を確認できること等が必須とされている。秒の再定義はメートル条約加盟国が集う最高議決機関である国際度量衡総会(4年ごとに開催)において決議され、2022年秋に開催された国際度量衡総会では、2030年での秒の再定義を目指す旨の決議がなされた。 元の記事へ

Option 1, Option 2 秒の再定義の最も素直な方法は、セシウム以外の特定の原子種の特定の遷移を選んで、その周波数を定義値とすることであり、国際度量衡委員会時間周波数諮問委員会においてはこの再定義の方法をOption 1としている。また、2019年のJ. Lodewyck博士によって提案された複数遷移の重み付き相乗平均の値を定義値とする方法をOption 2として、そのどちらが良いかを議論している。現状、双方とも長所・短所を持ち、またどちらかのOption に致命的な問題も見つかっていないため、議論の行方はまだ定まっていない。 元の記事へ

様々なデータ 様々なデータとは開発されている原子時計の遷移間の周波数比とその不確かさのこと。周波数比とその不確かさの大小は当該原子遷移の周波数基準としての性能を表すため、ここから原子遷移の性能を表す重みを決定することができる。 元の記事へ

不確かさ 原子時計において、時計が生成する基準周波数は技術的な要因によって本来の原子遷移の周波数からズレる可能性があり、その大きさを定量的に表したもの。また、一般的な測定においては外部環境による被測定量の変動や、計測装置の不完全性のために、測定結果が本来の量(真値)からズレる可能性があり、このズレの量を定量的に表したものを言う。 元の記事へ

国際度量衡委員会時間周波数諮問委員会(CCTF) メートル条約に基づく理事会組織である国際度量衡委員会によって設置され、時刻や周波数についての技術的な議論を行う作業部会。国際度量衡総会から国際度量衡委員会に委託された時刻・周波数に関する技術的な研究課題はこの委員会で技術的な議論が行われる。委員は時刻・周波数標準に関する研究実績を持った計量標準機関を中心に構成され、日本からはNICT及び産業技術総合研究所から複数名の委員が参加している。 元の記事へ

光格子時計 2001年に東京大学大学院工学系研究科の香取秀俊准教授(当時)によって提案された光原子時計の方式。ほとんどすべての先進国の標準研究所でストロンチウム原子もしくはイッテルビウム原子を利用して開発が進められてきており、既に協定世界時や国家標準時が刻む1秒の長さの校正にも利用されている。特別な波長のレーザー光を干渉させて作った微小空間に、レーザー冷却された原子を捕獲し、これらの原子にレーザー光を当てて吸収する光の振動周波数を得る。この光の振動を数えることで1秒の長さを決めることができる。 元の記事へ

単一イオン光時計 単一のイオンを交流電場によって形成されるポテンシャルに閉じこめ、このイオンにレーザー光を当てて吸収する光の振動周波数を得る。光格子時計同様にこの光の振動を数えることで1秒の長さを決めることができる。一般に光格子時計に比べてシステムが簡素になるが単一のイオンを利用するため信号強度が弱く、一定の精度を得るためには光格子時計に比べて長い信号積算時間が必要となる。 元の記事へ

重み付き相乗平均 平均する値の個数がn 個とすると、重み付けがない通常の相乗平均は、それぞれの値の積を取った後に1/n乗したものを言う。これは個々の値を1/n乗した値の積であり、したがってそれぞれの値に均等に1/nの重みがある。一方、重み付き相乗平均は均等に1/n乗するのではなく、各値の重みに応じた乗数のべき乗を取った後に全部の値の積を取って得られる平均値のことを言う。 元の記事へ

本件に関する問合せ先

電磁波研究所 電磁波標準研究センター
時空標準研究室

井戸 哲也

広報(取材受付)

広報部 報道室